最終話【聖域への花束と、別れたレール。そして魔王(カスチェイ)が手に入れた『永遠の指定席』】
終演後、会場は俺のファンで溢れかえり、どこかのアイドルかと思うほどの花束やプレゼントの山が積み上げられた。
到底一人では持って帰れない量なので、誠が呆れ顔で半分持ってくれた。
俺はその花束の山を誠の家に持ち帰り、その中から一番綺麗で大きく、上品な花束を選び抜いた。
そして、佐藤家の仏壇に、そっとそれを供えた。
「おばさん。今日の最高のステージ、半分は誠のおかげだからさ。受け取ってよ」
遺影の中で優しく微笑むおばさんに手を合わせながら、俺は誇らしい気持ちで胸を張った。
七月。高校生活最後のコンクール、県大会。
俺たち松本蒼峰高校は、見事に「金賞」を受賞した。
だが、県代表の枠には一歩届かない。いわゆる『ダメ金』ってやつだ。
悔し泣きする後輩たちを慰めながら、俺と誠は静かに頷き合った。
実は、俺たちは最初から選択をしていた。「ダメ金を狙う」と。
間違いなく今年は松本蒼峰高校吹奏楽部の黄金時代だったが、東海大会、さらにその先まで部活を引っ張るような学力的な余裕は、俺たちの代にはなかった。
六月の定期演奏会にすべてを懸けて頑張りすぎたせいで、三年生全員の演奏会直前に受けた模試の成績が最悪だったのだ。これ以上は、部員たちの人生(進路)を潰してしまう。だから俺たちは「県大会で最高の演奏をして、金賞で終わる」という最適解を選んだ。
もちろん、誠は別だけどな。
いや、誠は最初から、自分自身の道も冷徹に選択していたのだ。
「理三(医学部)には行かず、理二から薬学部を狙う。だから、高三の夏までコンクールに出る」と。
そもそも、T大を目指す奴が夏まで吹奏楽部の第一線で活動していること自体がバケモノなのだが。
春先、誠が宮坂先生に相談しているのを偶然聞いたことがある。
他の教師たちからは「お前の頭脳なら、絶対に理三を目指すべきだ」と強く説得されてたらしい。だがアイツは、自分はそもそも自らの手で薬を創りたいから「理三からでも薬学部に行けるのはわかっているけど、理二でいい」のだと淡々と答えていた。
『理二でいい』……なんて、一度でいいから言ってみたいセリフだけどな。
宮坂先生だけは、「お前の人生だ。お前の好きなようにしろ」とアイツの決断を全面的に支持してくれたらしい。本当に、話のわかるいい先生だ。
こうして、俺たちの熱く燃えた夏は終わった。
誠はT大へ進み、薬の研究をしながら一般の吹奏楽団でホルンを極めるだろう。
俺は東京のW大へ進み、経済学を学びながらジャズの世界に入る。
これからはお互い全く違う世界へ進み、俺たちの人生のレールが深く交わることはもうない。
けれど、俺たち二人は、いつまでも最高の『相棒』だ。
——そう、本気で思っていたんだがな。
「……ん……」
ホテルのベッド。かすかな寝言を漏らして、真由子が俺の腕の中で寝返りを打つ。
俺は愛おしい妻の細い肩を抱き寄せながら、暗闇の中で静かに天井を見上げた。
『もし、この先、二人が同じ人を好きになるようなことがあったら——』
あの高二の秋、病室で誠の母親が言った予言が、まさか十数年の時を経て、こんな形で的中するとはな。
今日の披露宴の最中、真由子のウエディングドレス姿を見つめていた誠の、あの恐ろしいほど冷たくて、底なしの熱を帯びた目。
あの目を見た瞬間、俺はなんとなく勘づいてしまったのだ。
俺はずっと、誠も真由子を狙っているんだと思っていた。
だから焦った。真由子だけは絶対に譲れなかった。
あんなに女遊びを繰り返してきた俺が、人生で初めて「この女しかいない」と確信した、遅すぎた『初恋』なんだ。
誰にも渡したくない。たとえ、世界で一番大切な親友である誠が相手でも、だめだ。
だから俺は、誠を出し抜くように、先に真由子にプロポーズした。
……でも、違ったようだ。
俺の腕の中で、真由子が小さく寝息を立てている。
その規則正しい呼吸の音を聞きながら、俺は絶対的な優越感と、ほんの少しの罪悪感、そしてそれを遥かに凌駕するほどの『愛おしさ』を噛み締めていた。
佐藤誠。
俺の人生において、唯一「敵わない」と認めたバケモノ。
だが、アイツには昔から、他人の感情というものを理解する回路が欠落していた。
今までの人生の中で『心』を学習する機会はいくらでもあったのに、アイツはそれを面倒がって逃げ出し、計算機としての生き方を優先したのだ。
その結果、いざ自分の中に芽生えた『まったく新しい感情』の正体が何なのか、ずっと気づけずにいた。
——アイツが自分の本当の気持ちに気づいたのは、おそらく、今日だ。
「……真由子」
俺は彼女の耳にかかった髪をそっと撫で、その柔らかな頬に触れた。
俺が、この手で幸せにしてやる。
証券マンとしてトップに立つ俺の稼いだ金で、俺の力で、誰にも負けない豊かな人生を与えてやる。
確かに俺と誠は、音楽においても人生においても最高の相棒だった。だが、真由子というたった一つの『最適解』を手に入れたのは、俺だ。
この先、アイツがどれほど後悔し、狂おしい感情に目覚めようと、もう遅い。
真由子の隣は、永遠に俺の指定席だ——。
ただ。
今日のアイツの、あの目。あの日、アイツが「新薬を作るためにT大へ行く」と執念を燃やしたあの時と全く同じ、いや、それ以上に恐ろしい熱を帯びた目。
今日、俺に敗北して『失恋』したことで、アイツの奥底に再び熱が戻り、あの死んでいた計算機を復活させて、もう一度自分の夢に向かって走り出してほしい。
俺が『汚れた大人』になったことで、現状に甘んじているアイツを内心鼻で笑っていたけれど……本心では、アイツにはいつまでも俺の敵わない「バケモノ」でいて欲しいんだ。
だって、そうでなかったら、俺があの冬、お前に付きっきりで寄り添ったあの一ヶ月はなんだったんだ。
……いや、違う。
本当の本当は、親父さんが亡くなった後、アイツに寄り添って再起動させる機会はいくらでもあったんだ。
でも、俺にはできなかった。
『親父さんも亡くなったんだから、おまえの夢のために東京の研究室に戻れ』と言いたかった。でも、どうしても言えなかった。
……そんな言い方をしたら、誠が母親のことを思い出して壊れてしまうような気がして。
いや、俺も思い出して壊れそうだったんだ。
披露宴が終わる頃に見せた誠のあの目——何かを激しく決意したような強烈な理性の光——に懸けたい。
頼む。自力で起き上がってくれ、誠。
俺はお前の分まで真由子を幸せにするから、お前はお前の夢を叶えてくれ。
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健二は、己の愛が絶対に正しいと信じて疑わなかった。
己の野心と傲慢さが、やがてこの愛おしい妻の笑顔を削り取り、再びあの「虚ろな目」へと追い込んでいく最悪の未来など、この時の健二は微塵も想像していなかった。
健二がすべてを手に入れたと確信したこの『完全な勝利』が。
絶望の果てにタイムリープした彼女と、それによって目を覚ました最狂の『佐藤誠』の手によって、たった一秒の狂いもなく、完璧に『上書き』されてしまう運命だということを。
彼は、知る由もない。
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〜一番愛する女に、一番愛されたかっただけなのに〜
【シンクロニシティ・本編へ続く】




