第二十六話「ディープ・ニルヴァーナ」1
第一章 春、それぞれの「変身」
東帝都に、遅い春が訪れた。
空は相変わらず鉛色の雲に閉ざされ、シロップのような粘着質の酸性雨が降り注いでいる。だが、路地裏の汚泥からは名もなき雑草が芽吹き、ネオンの光は湿度を含んでどこか柔らかく潤んでいた。腐敗と再生が同居するこの街にも、等しく季節は巡る。それは、世界を揺るがした神と悪魔の戦争が、遠い過去の夢幻であったかのように錯覚させる、穏やかで泥臭い日常の再開だった。
神宿の裏路地、傾奇町。 かつて天羽祈が店長を務め、傷ついた魂たちの避難所となっていたコンカフェ『しゅがーぽいずん』が入居していた雑居ビル。その看板は、無慈悲に架け替えられていた。
ギラギラと明滅する極彩色のLED。 『メンズコンカフェ・帝(MIKADO)』。
「……私の城が……」
祈は、店の前で膝から崩れ落ちた。ピンクと黒を基調とした「病みかわいい」内装も、彼女がこだわり抜いたインテリアも、すべて撤去され、今は安っぽい金箔とベルベットに彩られたホスト崩れの巣窟と化している。ガラス越しに見えるのは、シャンパンタワーと、虚ろな目をした女性客たち。
「私の居場所が……完全に、上書き保存されてしまいました……」
祈は地面に手をつき、項垂れた。 世界を救うために走り回り、神になりかけ、泥だらけになって帰ってきた。 その代償が、無職。 あまりに世知辛い現実に、涙も出ない。
だが、彼女はそこで終わる少女ではなかった。アストエルでの地獄を生き抜き、神と悪魔を拒絶した「魔天子」の胆力は、伊達ではない。
「……いいえ。場所なんて、関係ありません」
祈は顔を上げ、ポケットから最新型のスマートフォンを取り出した。自撮り用のアタッチメントライトを装着する。 光量最大。 瞳の中のオッドアイが、人工的な光を反射して輝く。
「居場所がないなら、ネットに作ればいいんです!」
彼女は、動画配信アプリ『TipPop』を起動した。 アカウント名は「堕天使しふぁ」。 フォロワー数、50万人突破。 ハルマゲドンの中心で目撃された「謎の翼を持つ少女」の都市伝説と、彼女の持ち前の愛嬌、そして時折見せる「ガチでヤバい目つき」がカルト的な人気を呼び、今や東帝都の若者で知らぬ者はいないインフルエンサーとなっていた。
「3、2、1……配信開始!」
祈の表情が、瞬時にプロのそれへと切り替わる。
「みんなー! こんしふぁー! 堕天使しふぁだよっ!」
画面に向かって手を振る。コメント欄が滝のように流れる。
『しふぁちゃんキター!』
『今日も可愛い!』
『後ろの店、潰れてて草』
『眼帯外して!』
「今日はね、神宿の激変スポットから配信だよっ! ……見て、このエモい看板。私の古巣が、こんなイカついお店になっちゃいました〜。ぴえん通り越してぱおん!」
祈は、失った店さえもネタにして笑いに変える。その姿は、かつてストロングゼロに逃げていた弱虫ではない。虚構の海を泳ぎ、現実を侵食する、たくましき現代の魔女。
「でも大丈夫! 私の魔法は、みんなのスマホの中にあるからね! ……それじゃあ、今日もリクエストに応えて歌っちゃうよ!」
彼女は路地裏で、アカペラで歌い始めた。 その歌声は、酸性雨のノイズをかき消し、画面の向こうの孤独な魂たちへ届いていく。
若者の街、死舞谷。巨大なスクランブル交差点を見下ろすビルの谷間に、長蛇の列ができていた。 その列の先にあるのは、派手なキッチンカーだ。
『辰巳屋』。
厨房の中で、辰巳響は、制服ではなく、タピオカ屋のエプロンを着けて戦っていた。彼女は高校を退学していた。留年が確定し、「朝起きるのがダルい」「因数分解とか生きてく上で必要ねぇ」という理由であっさりとドロップアウト。現在は通信制高校に籍を置きつつ、このバイトに精を出している。
「へいらっしゃい! 注文は!?」
「あ、あの、新作の……白虎ミルクティーを……」
「アイヨ! 甘さマシマシでいいな!?」
響の手際は、神業だった。 シェイカーを振る動きは、まるで雷を呼ぶ儀式のよう。 残像が見えるほどの速度でタピオカを掬い、ミルクティーを注ぎ、シーラーで蓋をする。
「お待たせ! 新作『白虎ミルクティー』、マジで飛ぶぞ!」
渡されたカップの中身は、通常のタピオカとは一線を画していた。虹海のスラムで出会った道士・チェン爺から直伝された秘伝のレシピ。 龍の鱗(違法成分)こそ入っていないが、滋養強壮に効く漢方と、響が込めた微弱な「電気的刺激」が隠し味となっている。飲めば疲れが吹き飛び、目が覚めるような衝撃が走る、合法ドラッグ的な一杯。
「うわ、すげぇ! なんか力が湧いてくる!」
「やっぱ辰巳屋のタピオカしか勝たん!」
客たちが歓声を上げ、SNSに写真をアップする。響は、額の汗を拭いながら、満足げにニカっと笑った。
「……へっ。勉強はニガテだけどよ。商売は才能あるかもしんねぇな」
彼女は、空を見上げた。 かつては、アシュラツリーに見下ろされ、命を削られていた空。今は、自分の足で立ち、自分の手で稼いだ金で、好きなだけ飯を食っている。 神としての威厳はない。だが、今の彼女は、どの時代の龍神よりも「生きている」実感に満ちていた。
「おい響! 手を休めるな! 行列が伸びてるぞ!」
「わーってるよ! ……っしゃあ! どんどん来い! 全員、タピオカ漬けにしてやる!」
響の威勢のいい声が、死舞谷の喧騒に溶け込んでいく。
北の魔都、逝袋。地下ライブハウス『セルロイド・ドリーム』の楽屋は、戦場のような殺気に包まれていた。
「照明のタイミングが0.5秒遅い! 前の曲のアウトロに被せて!」
「音響、ベースもっと上げて! 低音で客の内臓を揺らすのよ! 心臓発作が起きるギリギリを攻めなさい!」
白雪美流愛は、インカムをつけてスタッフに怒鳴り散らしていた。彼女が着ているのは、アイドルの衣装ではない。 タイトな黒のスーツに、鋭いピンヒール。手にはマイクではなく、指示出し用のタブレットが握られている。
彼女は、アイドルを引退していた。長期の海外遠征(という名の逃亡生活)による無断欠勤が響き、所属グループを解雇されたのだ。だが、転んでもただでは起きないのが白雪美流愛だ。彼女は、組織からくすねた裏金と、殺し屋時代の人脈をフル活用し、自ら芸能事務所『ホワイト・プロダクション』を立ち上げ、プロデューサーに転身したのだ。
「本番5分前! ……アンタたち、準備はいいわね?」
美流愛が振り返る。 そこには、クリスタルのように輝く衣装を纏った、二人の少女がいた。
白雪亞莉愛と白雪華琉愛。双子のクローン姉妹。彼女たちは、美流愛によって徹底的に「調教」され、新人アイドルユニット『CrySis』としてデビューを果たそうとしていた。
芸名は、ARIAとKARUA。
「はい、お姉様! 今日のために、喉のコンディションは完璧に仕上げてきました!」
「この衣装……お姉様がデザインしてくださった聖衣。汚したら切腹します!」
二人の瞳は、ステージへの緊張など微塵もなく、ただ目の前の「神」への信仰心だけで輝いている。
「切腹禁止。衣装に血がついたらクリーニング代が高いのよ」
美流愛は、二人の襟元を直し、背中をバンと叩いた。
「いい? 歌とダンスは完璧に教えたわ。……あとは、客を殺す気で魅了しなさい」
「「はい!お姉様!!」」
ステージの幕が上がる。爆音と共に、イントロが流れる。
『聴いてください、デビュー曲……「断頭台のロマンス」!』
アリアとカルアが躍動する。元暗殺者の身体能力を生かした、重力を無視したアクロバティックなダンス。一糸乱れぬシンクロ率。そして、美流愛譲りの、見る者の魂を射抜くような冷たくて甘い視線。
「キャアアアアッ!!」
「ARIA様ー! KARUA様ー!」
客席が沸騰する。 サイリウムの海が揺れる。その熱狂を、美流愛は舞台袖から腕を組んで見つめていた。その口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。
「……まだまだね。私の全盛期には程遠いわ」
彼女は、インカムのマイクを切り、独りごちた。
「でも、悪くない原石よ。……私が磨けば、路傍の石ころだって、人を狂わせるダイヤになる」
かつては「作られた最高傑作」だった彼女が、今は「最高傑作を作る側」に回っている。 それは、彼女なりの、かつての組織への復讐であり、証明だった。
「覚悟しなさい、芸能界。……この業界の『毒』は、私が全部飲み干してやるわ」
美流愛は、ステージ上の双子に向かって、小さくウインクを送った。硝子の街の夜は、彼女たちの新しいステージだ。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




