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リコリス・ディープ・ニルヴァーナ  作者: ネオもろこし
久遠の涅槃(ディープ・ニルヴァーナ)編

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第二十五話「長い旅の終わり、始まりのコーヒー」3

第三章 東帝都の泥水


 数日後。 東シナ海を越え、太平洋の荒波を抜けた『鉄の馬車・マークIII』を乗せたフェリーのデッキから、見慣れた灰色の空と、鉛色の雲に突き刺さる摩天楼が見えてきた。


 東帝都(トウテイト)。一年中酸性雨が降りしきり、汚染された大気が充満する、世界最悪の過密都市。 だが、その澱んだ空気こそが、私たちの肺を最も深く満たす酸素だった。


「……帰ってきたわね」


 白雪美流愛(しらゆき みるあ)が、潮風に吹かれながら髪をかき上げる。 彼女の表情は、虹海で見せた決意とはまた違う、安堵と倦怠が入り混じった「日常」の顔に戻っていた。


「数値異常なし。……PM2.5、窒素酸化物、共に基準値を大幅に超過。この汚染濃度こそが正常値だ」


 鉄鏡花(くろがね きょうか)が、義眼のデータを読み上げながら口元を緩める。 彼女にとって、このノイズだらけの環境こそが、最も快適な演算空間なのだ。


「わぁ……! アシュラタワーが見えますよ!」


「お姉様、あそこの看板、新しいアイドルグループですよ。……潰しますか?」


 双子のアリアとカルアがはしゃぎ、天羽祈(あもう いのり)が、ほっとしたように息を吐く。 彼女の手には、旅の途中で買い込んだストロングゼロの缶が握られていたが、今はまだ開けていない。 帰ってから、ゆっくり飲むつもりなのだろう。


 港に着くと、そこには相変わらずの喧騒と、無関心な人々の波があった。誰も彼女たちが世界を救ったことなど知らない。 H.L.O.H.との聖戦も、吸血鬼の古城での決闘も、この街にとっては遠い異国の出来事。 ただの、訳ありの集団として冷たい視線を向けるだけ。 だが、その冷たさが心地よかった。 英雄として祭り上げられることも、異端として石を投げられることもない。 ただの「風景の一部」として埋没できる安らぎ。


「……帰るぞ」


 久遠灯(くおん あかり)が、フェリーを降りる。 彼女たちは、ボロボロの装甲車で、神宿(シンジュク)の路地裏へと向かった。


 神宿の路地裏。 雑居ビルの屋上へと続く階段を上りきると、そこには無惨な光景が待っていた。


 かつて掲げられていた看板は半分焼け焦げ、地面に転がっている。プレハブ小屋の鉄扉は内側にひしゃげ、壁には無数の弾痕が刻まれていた。 あの日――旅立ちの夜、聖槍異端監察庁の執行官ルシウス・クロウリーのガトリングガンによって破壊された爪痕が、そのまま残されていたのだ。 雨風に晒され、室内は水浸しになり、カビと錆の臭いが充満している。


「……ひでぇな」


 辰巳響(たつみ ひびき)が、ひしゃげたドアを蹴り飛ばした。ガラン、と乾いた音がして、ドアが外れる。


 中は瓦礫の山だった。 砕けたデスク、割れた窓ガラス、散乱した書類。 思い出の場所は、廃墟と化していた。


「……全部、やり直しかよ」


 美流愛が、瓦礫の中に埋もれていた自分のメイク道具を拾い上げ、ため息をつく。だが、その声に悲壮感はない。 彼女たちは知っている。 形あるものはいつか壊れる。だが、何度でも作り直せばいいと。


「文句言ってないで動くぞ」


 灯が、瓦礫を退けながらソファを引きずり出した。スプリングが飛び出し、泥だらけだが、まだ座れそうだ。彼女はそこにドサリと倒れ込み、天井を見上げた。 弾痕から、東帝都の曇った空が見えている。


「……ただいま」


 灯が呟く。 その一言が、スイッチになった。


「……腹減った。タピオカ買ってくる! あと掃除用具!」 響が叫び、財布を持って飛び出していく。


「埃だらけよ。……アリア、カルア、雑巾を用意して。徹底的にやるわよ」


「はい! お姉様の新居をピカピカにします!」 美流愛と双子が腕まくりをする。


「機材のメンテナンスを優先する。……湿気で基盤が錆びている可能性がある。使えるパーツを選別する」 鏡花が、ジャンクの山に目を輝かせて飛び込む。


「ストロングゼロ、冷やしておきますね。……冷蔵庫、動くかな」 祈が、コードの切れた冷蔵庫に手を当て、魔力で強制的に冷却を始める。


 そして、灯は瓦礫の中から一枚の板切れを拾い上げた。 彼女はそこに、マジックで新しい名を書き殴る。


『万事屋 リコリス・バロック』


 探偵事務所なんて上品なもんじゃない。 清濁併せ呑む、この街の吹き溜まり。


 灯は、懐から最後の「わかば」を取り出し、ジッポで火をつけた。 カチン、という音が、旅の終わりと、再建の始まりを告げる。紫煙が、穴の空いた天井へと吸い込まれていく。


 壮絶な旅の終わり。神と悪魔、そして吸血鬼の因縁を断ち切った果てに辿り着いたのは、瓦礫と泥だらけの日常。 だが、ここには「家族」がいる。


「……悪くねえ」


 灯の言葉と共に、窓の外で雨が上がり、薄日が差し込んできた。雲の切れ間から覗く太陽が、濡れたアスファルトを照らし出し、街全体が硝子のように輝き始める。


 硝子の街に、いつもの朝が訪れる。 彼女たちの物語は、ここで一旦幕を下ろすが、その生活は続いていく。不味いコーヒーと、騒がしい仲間たち、そして修繕費の請求書と共に。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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