第十九話「当主の戯れ」1
第一章 夜の麓、血の家系図
世界を閉ざしていた乳白色の濃霧が、緞帳が上がるように晴れていく。H.L.O.H.から奪取し、鉄鏡花の手で移動要塞へと改造された六輪駆動の軍用輸送車――新たな『鉄の馬車』のフロントガラス越しに現れたのは、息を呑むほどに美しく、そしておぞましい光景だった。
断崖絶壁。 黒い岩肌が垂直に切り立ったその頂に、巨大な城が突き刺さっている。『ノスフェラトゥ城』。 黒曜石を積み上げて造られた尖塔群は、夜空を刺す槍の穂先のようだ。 月光を吸い込み、輪郭を闇に溶け込ませながらも、圧倒的な質量と威圧感を持って地上を睥睨している。 それは、城というよりは、大地に打ち込まれた巨大な墓標に見えた。
そして、その麓。 城の威光にひれ伏すようにして、広大な城下町が広がっていた。
「……なんだ、ありゃ」
運転席のチャーリー・Sが、サングラスをずらして口笛を吹く。
「中世ヨーロッパのテーマパークか? 時代設定が狂ってやがる」
石畳の道。煉瓦造りの家々。ガス灯の頼りない明かり。そこにあるのは、数百年前に時間が凍結したかのような、古風で美しい街並みだった。だが、その美しさは、ホルマリン漬けにされた死体のような、生気のない静謐さに満ちている。
車は、音もなく街路へと滑り込んだ。 窓の外を、人々が歩いている。 古びた衣服を纏った、顔色の悪い人々。彼らは皆、うつむき加減で、足音を忍ばせるように歩いている。 そして、その首には例外なく、銀色の金属プレート――「認識票」がぶら下がっていた。
「……人間だ」
後部座席で、辰巳響が窓に張り付いて呟いた。
「でも、なんか変だぞ。……目が死んでる」
その時、通りの向こうから、黒い軍服を着た一団が現れた。人間ではない。肌が陶器のように白く、目が赤い。 吸血鬼の兵士たちだ。彼らが通りかかると、市民たちは一斉に道の端に寄り、深々と頭を下げて跪いた。それは、敬意というよりは、捕食者に対する草食動物の、本能的な恐怖と服従の姿勢だった。
兵士の一人が、ある男の前で足を止める。男は震えながら、自らの腕を差し出した。 兵士は無造作に携帯用の採血器具を取り出し、男の腕に針を刺す。赤い血が、透明なパックへと吸い出されていく。男は抵抗しない。痛みに顔を歪めながらも、それを「義務」として受け入れている。
「……納税か」
久遠灯が、吐き捨てるように言った。彼女は「わかば」を揉み消し、不快感を露わにする。
「金じゃなくて、血で払う税金ってわけか。……人間が、家畜扱いかよ」
ここでは、食物連鎖の頂点は明確だ。吸血鬼が支配階級(貴族)であり、人間は労働力であり、そして血を供給するための「資源」として管理されている。牧場。この美しい街は、人間という家畜を効率的に飼育するための、巨大な檻なのだ。
「ここは、ヴィクトル様が作られた『理想郷』の成れの果てです」
荷台の隅で、エミル・ノスフェラトゥが悲しげに語った。彼は、窓の外の光景を直視できないように、膝を抱えている。
「争いもなく、飢えもなく、ただ静かに血を捧げ、庇護を受ける世界。……それが、数千年前にあの方が夢見た、種族間の共存の形でした」
「共存? ……支配の間違いでしょ」
白雪美流愛が冷ややかに返す。彼女の瞳には、かつて自分が組織で「部品」として扱われていた記憶が蘇っている。 自由のない安寧など、死んでいるのと同じだ。
「ええ。……ですが、彼らはそれを幸福だと信じ込まされている。あるいは、恐怖で思考を停止している」
鉄鏡花が、街の監視システムを解析しながら補足する。
「街全体に、微弱な催眠暗示の術式が展開されている。……『服従こそが美徳』『城の主は絶対』という刷り込みだ」
灯は、城を見上げた。 その最上階、月が重なる場所に、全ての元凶がいる。
「……胸糞悪い場所だ」
車は、人目を避けるように路地裏の廃屋へと身を隠した。 夜の帳が完全に下りるまで、ここで待機する。 薄暗い車内で、エミルはポツリポツリと語り始めた。吸血鬼一族の、血塗られた歴史を。
「……数千年前。全ての吸血鬼の頂点である真祖ヴィクトル・ノスフェラトゥは、永すぎる生と孤独を紛らわせるために、三人の人間に自らの血を与え、直系の眷属としました」
エミルの声は、古い物語を紐解くように静かだった。
「一人目は、レオンハルト。……後のヴァルプルギス家当主となる、長兄です」
灯の眉がピクリと動く。 自分の「親」の名。
「兄さんは、父様の『力』と『傲慢』を最も色濃く受け継ぎました。最強の吸血鬼の一角として、父の城を守護しつつも……その強大すぎる力を持て余し、退屈に耐えかねて世界を放浪するようになりました」
「……ああ。知ってるよ」
灯が苦々しく呟く。 その「退屈しのぎ」に巻き込まれ、人生を狂わされた被害者がここにいる。
「二人目は、ベルベット。……ミラー家当主となる、姉さんです」
エミルが続ける。
「姉さんは、父様の『知性』と『野心』を受け継ぎました。……彼女は、父様の作る『停滞した理想郷』を嫌いました。いつか父を殺して自分が新たな王になり、世界を革新することを誓い、城を出て独自の勢力を築いたのです」
力を持て余す兄。 野心を燃やす姉。そして。
「三人目が……僕、エミルです」
エミルは、自嘲気味に笑った。その笑顔は、ひび割れたガラスのように脆い。
「僕には……父様の『虚無』と『脆弱さ』だけが遺伝しました」
彼は、自分の掌を見つめる。 透けるように白く、血管が浮き出た弱々しい手。
「力を発現できず、太陽にも耐えられず、血を吸うことさえ満足にできない。……兄さんたちからは『面汚し』と嘲笑され、父様からも関心を失われ……僕は、あの霧の森へと追放されました」
彼の告白は、あまりに惨めだった。 同じ「真祖の血」を引きながら、彼だけが何も持たざる者として生まれた。 数千年の間、森の奥で苔を食み、虫を啜り、ただ死ねないという理由だけで呼吸を続けてきた。
「兄さんや姉さんは、強大な『三大家』の当主として君臨しました。……僕だけが、ノスフェラトゥの名を持ちながら、何も持たざる者なのです」
車内に、重苦しい沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、美流愛だった。
「……似てるわね」
彼女は、ドレスの裾を強く握りしめていた。
「私も……そうだった」
組織で作られた「最高傑作」と呼ばれながら、その実態は、使い捨ての道具。 自我を持つことを許されず、ただ機能することだけを求められた日々。 エミルの抱える「空っぽの器」としての悲哀が、彼女の古傷と共鳴する。
「持たざる者の痛み……。それは、誰よりも深く刺さるわ」
美流愛は、エミルの震える手に、自分の手を重ねた。その温もりに、エミルが驚いて顔を上げる。
「……安心しな、エミル」
灯が、エミルの肩を乱暴に、しかし親しみを込めて叩いた。
「血筋なんて関係ねえよ」
灯は、M500のシリンダーを回しながら、ニヤリと笑った。
「高貴な血を引いてようが、泥水すすって生きてようが……最後に立ってた奴が勝ちだ」
彼女の瞳には、1000年の孤独を生き抜いてきた者だけが持つ、揺るぎない自負があった。
「私たちは『リコリス・バロック』。……歪んだ花だ。真っ直ぐに育ったエリート様には出せない色が、私たちにはある」
「……灯さん」
「泥水すすって生きてきた奴の方が、土の味を知ってる分だけ強いんだよ。……胸を張れ、三男坊。お前は今、最強の魔女たちと一緒にいるんだ」
灯の言葉に、エミルの瞳から涙がこぼれた。数千年間、誰にも肯定されなかった彼の存在が、今初めて認められたのだ。
「……はい。……はいっ!」
エミルは涙を拭い、強く頷いた。その顔には、弱々しいだけの敗北者の色は消え、微かな希望の灯火が宿っていた。
「さあ、日が暮れるぞ」
灯が窓の外を見る。 ノクタルニアの空が、完全な闇に染まろうとしている。城の窓に、一つ、また一つと明かりが灯る。それは、怪物たちの宴の始まりを告げる合図。
「行くぞ。……当主様への挨拶回りだ」
鉄の馬車が、再びエンジンを唸らせる。目指すは、断崖の上の魔城。1000年の因縁と、持たざる者たちの逆襲が、今始まろうとしていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




