第十八話「霧の向こうの国」3
第三章 弱き吸血鬼の告白
軍用輸送車の荷台は、薄暗く、湿った空気が淀んでいた。鉄の箱の中、簡易ベッドに横たえられた青年――エミル・ノスフェラトゥは、毛布にくるまり、小刻みに震えていた。 久遠灯が差し出した血液パック(鏡花が医療用に備蓄していたもの)を、彼は赤子のようにおずおずと啜っている。
「……落ち着いたか?」
灯が声をかけると、エミルはビクリと肩を跳ねさせ、血に濡れた唇を拭った。 その所作には、隠しきれない育ちの良さと、染み付いた怯えが同居している。
「は、はい……。ありがとうございます。……生き返りました」
「礼には及ばん。……さて、尋問の時間だ」
灯は、エミルの正面にパイプ椅子を置いて座った。 その鋭い眼光に、エミルは縮こまる。 白雪美流愛や辰巳響たちも、興味津々といった様子で彼を取り囲んでいた。
「お前、名乗ったな。『ノスフェラトゥ』と」
灯の声が低くなる。 ノスフェラトゥ。それは、吸血鬼社会において絶対的な意味を持つ姓だ。全ての吸血鬼の頂点にして起源、真祖ヴィクトル・ノスフェラトゥ。その名を継ぐことができるのは、彼に選ばれた直系の眷属のみ。
「お前、ヴィクトルと何の関係がある?」
エミルは、視線を泳がせ、そして諦めたように呟いた。
「……僕は、あの方の『子』です」
「子?」
「数千年前……ヴィクトル様が、気まぐれに血を分け与えた眷属の一人。……つまり」
エミルは、震える指で自分の胸を指差した。
「レオンハルト兄さんや、ベルベット姉さんの……『弟』にあたります」
「なっ……!?」
全員が絶句した。 目の前の、風が吹けば飛ぶようなひ弱な青年が。 あの傲慢不遜なレオンハルトや、冷酷な野心家ベルベットと、肩を並べる存在だと言うのか。吸血鬼の三大一族。 ノスフェラトゥ家、ヴァルプルギス家、ミラー家。 もし彼がまともに育っていれば、そこに別の分家として君臨していたはずの男。
「嘘でしょ? 全然似てないじゃない」
美流愛が、信じられないという顔でエミルを値踏みする。 覇気がない。魔力も微弱。 吸血鬼としての「格」が、決定的に欠落している。
「ええ、似ていません。……僕は、失敗作ですから」
エミルは、自嘲気味に笑った。 その笑顔は、雨に打たれた野花のように儚く、痛々しかった。
「僕は弱すぎました。……人を襲うこともできず、太陽にも耐えられず、魔力も人の子以下。……期待外れの欠陥品」
彼は、かつての記憶を語り始めた。数千年前の古城。絶対的な王として君臨するヴィクトルと、その寵愛を受けて力を増していく兄と姉。その影で、常に蔑まれ、足蹴にされてきた末弟。
「兄さんたちは、強大な力を得て城を出て行きました。……独立し、それぞれの一族を築くために。……ですが、僕は」
エミルは、毛布を強く握りしめた。
「僕は、捨てられました。……『お前には、永遠を生きる資格はない』と。……森の奥に追放され、それ以来、苔を食み、虫を啜って、ひっそりと生きてきました」
1000年、2000年。 誰にも知られず、誰にも愛されず。 ただ死ねないという理由だけで、霧深い森の片隅で呼吸を続けてきた時間。 その孤独の深さは、灯の1000年をも凌駕するかもしれない。
「……因果なもんだな」
灯は、ため息をつき、「わかば」を取り出した。 火はつけない。ただ、そのフィルターの感触を確かめる。
「私も、似たようなもんだ。……レオンハルトに拾われ、化け物にされ、そして放置された」
灯の脳裏に、1000年前の記憶が蘇る。草庵での契約。 『これから始まる悲劇が、私への報酬だ』と笑った男の顔。 彼らにとって、眷属とは何なのか。暇つぶしの道具か、それとも失敗したら捨てるだけのゴミか。
「でも……」
エミルが、顔を上げた。 その瞳に、奇妙な光が宿っていた。それは狂信に近い、純粋すぎる憧憬。
「呼んでいるんです」
彼は、輸送車の壁の向こう、北の方角を見つめた。
「ずっと眠っていたお父様が……目を覚ましました。……あのハルマゲドンの波動を感じて」
アストエルでの聖魔戦争。 世界を揺るがした大きな力の波が、微睡んでいた真祖の意識を覚醒させたのだ。
「僕は……もう一度、あの方にお会いしたいんです」
エミルは、灯の手を握りしめた。氷のように冷たい手。
「捨てられたとしても……あの方は、僕の神様ですから。……一目だけでも、お姿を拝見できれば、僕は……」
「……馬鹿野郎」
灯は、エミルの手を振り払わなかった。 むしろ、強く握り返した。この男の弱さが、愚直さが、痛いほどに分かるからだ。 親に愛されたいと願う子供の心。 それは、どんなに時間を経ても消えることのない、吸血鬼の呪いの一部だ。
「いいぜ、乗っていけ。……私たちも、そのクソ親父に用があるんだ」
灯はニヤリと笑った。
「案内してもらうぞ、エミル。……お前の家に」
「はい……! 喜んで!」
エミルは、涙ぐみながら頷いた。彼は、よろめきながら立ち上がり、運転席へと向かった。 チャーリーの隣に座り、霧の向こうを指差す。
「あちらです。……風の流れが変わる場所。そこが、城への入り口です」
エミルの指示に従い、輸送車は進む。 すると、不思議なことに、あれほど濃密だった霧が、徐々に晴れていった。 拒絶されていた森が、血族の帰還を受け入れるように道を開いていく。
視界が開けた。全員が、息を呑んで窓の外を見つめる。
断崖絶壁。雲海を突き抜けた岩山の上に、それはそびえ立っていた。
巨大な古城。 黒曜石を積み上げたような、鋭角的で威圧的なシルエット。無数の塔が天を刺し、城壁にはガーゴイルの石像がへばりついている。 月光を浴びて黒く輝くその姿は、まさしく夜の王の居城。
『ノスフェラトゥ城』。
全ての吸血鬼の頂点。 そして、灯の旅の終着点。
「……あそこに、いるのか」
灯は、窓ガラスに手を当てた。指先の震えは、武者震いか、それとも恐怖か。 城の尖塔から、冷ややかな視線を感じる。 レオンハルトが見ている。1000年の時を経て、成長した「娘」が帰ってきたことを、楽しんでいる気配。
「行くぞ。……家族喧嘩の時間だ」
灯の言葉に、リコリス・バロックの面々が頷く。鉄の馬車は、アクセルを全開にした。崖を駆け上がり、魔城の門へと突進していく。
霧の晴れた夜空には、満月が蒼白く輝いていた。 それは、これからの長い夜を照らす、唯一の希望の光だった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




