第十七話「神々のいない灰色の夜明け」3
第三章 夜明けの鐘
天と地を繋いでいた二つの巨大な門が、軋みを上げて閉ざされていく。 行き場を失った膨大な神と魔王の残滓エネルギーが、行き場を求めて逆流し、渦を巻いて一点へと降り注いだ。
その中心にいたのは、天羽 祈だった。
「きゃあっ!?」
祈が悲鳴を上げる。 光と闇の奔流が、彼女の小さな体を貫こうとする。だが、それは攻撃ではなかった。 「禁忌の器」である彼女の肉体は、相反する二つの神格を拒絶することなく、乾いたスポンジのように貪欲に吸収し始めたのだ。
バリバリバリッ!!
大気が裂ける音がした。 祈の背中から、新たな翼が噴き出す。それは、先ほどまでの曖昧な灰色ではない。 右には、深淵の闇を凝縮したような漆黒の皮膜を持つ悪魔の翼。左には、極光を織り込んだような純白の羽毛を持つ天使の翼。 二つの翼は複雑な幾何学紋様を描いて混じり合い、背中で禍々しくも神聖な「混沌の螺旋」を形成していた。
彼女のオッドアイが、一段と強く輝きを増す。 その身に纏う魔力は、桁違いに跳ね上がっていた。 もはや、守られるだけの少女ではない。神と悪魔を喰らい、その力を我が物とした「魔天子」の誕生。
「……力が、溢れてくる」
祈は、自分の手を見つめた。 震えは止まっていた。指先から溢れ出す光の粒子が、周囲の瓦礫を優しく照らす。
「祈……?」
久遠灯が、血まみれの体を引きずって近づく。 彼女の左袖は空虚に揺れていた。 メタリオンの一撃で消し飛んだ左腕。再生能力の限界を超え、傷口は炭化して塞がらないままだ。他のメンバーも同様だ。 辰巳響は全身火傷で動けず、白雪美流愛は足の骨が砕け、鉄鏡花の義手は全壊している。勝利の代償は、あまりに大きかった。
祈は、痛ましげに仲間たちを見渡した。そして、ふわりと舞い降りる。
「じっとしててください。……今度は、私が治します」
祈が両手を広げた。 背中の翼が大きく羽ばたく。
「『聖魔回帰』」
彼女の掌から、温かな灰色の雨が降り注いだ。それは、治癒魔法などという生易しいものではない。 対象の時間を巻き戻し、損なわれた細胞を神の力で再構築する、因果律への干渉。
「……っ、熱ぃ!」
響が呻く。彼女の焦げた皮膚が剥がれ落ち、下から真新しい肌が再生していく。 美流愛の砕けた骨が、バキバキと音を立てて接合する。鏡花の破損した義手さえも、ナノマシンが活性化し、自己修復を始めた。
そして、灯。
「……おい、嘘だろ」
灯は、自分の左肩を見た。 炭化していた断面から、肉が盛り上がり、骨が伸び、血管が繋がっていく。 数秒の間に、失われたはずの左腕が、五本の指先まで完全に再生していた。 神の領域にある再生能力。
「……すごい」
灯が、新しくなった左手を握りしめる。祈は、よろめきながら膝をついた。 力の使いすぎだ。翼が霧散し、元の少女の姿に戻る。
「祈!」
灯が慌てて彼女を抱きとめる。祈は、灯の腕の中で、安心したように微笑んだ。
「……よかった。……元通り、ですね」
「馬鹿野郎。……無茶しやがって」
灯は、祈の頭を優しく撫でた。 傷一つない、完璧な治癒。だが、灯は知っていた。 この奇跡は、祈が背負った「業」の重さと引き換えなのだと。
数日後。聖地アストエル。
戦火は鎮まり、街には復興の槌音が響いていた。 崩壊した大聖堂の前で、瓦礫の撤去作業が行われている。
その片隅に、二人の姿があった。 シスター・ノアと、法衣を脱ぎ捨て、作業着に身を包んだルシウス・クロウリーだ。
「……行ってしまわれましたね」
ノアが、東の方角――灯たちが去っていった荒野を見つめて呟いた。ルシウスは、瓦礫の山に十字架を突き立て、手を合わせた。 それは、この戦いで散った全ての魂への鎮魂。
「ああ。……嵐のような連中だった」
ルシウスの顔には、かつての狂信的な険しさはなかった。 あるのは、憑き物が落ちたような、静かな決意。
彼の背後では、かつての長官、ヴァレリオ・アストリアが、瓦礫の上に座り込んでいた。 彼は廃人となっていた。 信仰の対象を失い、自らの正義が否定されたショックで、言葉を失い、ただ空を見つめるだけの抜け殻。
「殺さないのですか?」
ノアが問う。 ルシウスは首を横に振った。
「死は救済だ。……彼の罪は、死んで償えるほど軽くはない」
ルシウスは、ヴァレリオを見下ろした。
「彼は生きるべきだ。……神の威光も、権力も失ったただの老人として、この街が復興していく様を、その目で見続けることが罰となる」
ルシウスは、瓦礫を拾い上げた。
「私は、この街を立て直す。……神のためではない。ここに生きる人々のために」
「はい。……私も、お手伝いします」
ノアが微笑む。 異端審問官と、追放された聖女。 かつては敵対し、道を違えた二人が、今は並んで瓦礫を片付けている。聖地アストエルは、神の支配を離れ、人間の手による再生の道を歩み始めていた。
一方、闇の眷属たちも姿を消していた。 ルーファス・アザリエルは、混乱に乗じて行方をくらませていた。 崩れた壁には、深紅のペンキで『また遊ぼう、愛しき魔女たち』という書き置きが残されていた。彼はまだ、この世界を楽しみ尽くしていない。ベルベット・ミラーもまた、祈の変貌を見届け、不敵な笑みを残して去っていった。
アストエル郊外の荒野。 朝焼けが、大地を赤く染めている。
久遠灯たちは、立ち尽くしていた。 『鉄の馬車・マークII』は先の戦闘で全壊し、移動手段がない。 ユーガリア大陸は広大だ。徒歩で移動するには、あまりに無謀すぎる。
「……さて、どうするかな」
灯が、瓦礫に腰掛けて「わかば」を吹かす。体は元通りになったが、旅の足がない。途方に暮れる一同の前に、軽快なクラクションが響いた。
「よう、お嬢ちゃんたち。……まさか、歩いて帰るつもりじゃないだろうな?」
派手なオープンカーに乗ったチャーリー・Sが現れた。 彼はサングラスをずらし、ニヤリと笑う。
「心配すんな。……足なら、俺が用意してやるよ」
彼が親指で示した先。 岩陰に隠されていたのは、H.L.O.H.が撤退の際に遺棄していった、大型の軍用輸送車だった。 六輪駆動の装甲トラック。頑丈で、荷台には補給物資や弾薬も満載されている。
「ちょっと拝借しようぜ。……神様の忘れ物だ」
「へっ。気が利くな、亀野郎」
灯は吸い殻を弾き飛ばし、立ち上がった。鏡花がすぐに運転席に乗り込み、システムチェックを始める。響と美流愛、双子、そして祈が荷台に乗り込む。
エンジンがかかる。 重低音が、新たな旅立ちのファンファーレとなる。
「で、次はどこへ行くんです?」
助手席に座った祈が、地図を広げて尋ねた。
「ベルベットだ」
灯の声が低くなる。
「あいつは逃げた。……だが、ただ逃げたわけじゃない。あいつには帰るべき『巣』がある」
ベルベットが去り際に残した視線。それは、東欧の山岳地帯を向いていた。 吸血鬼の伝承が色濃く残る、霧と森に閉ざされた地。
「東だ。……ここより東」
灯は、地図上の空白地帯を指でなぞった。 そこには国境線もなく、ただ深い山々が描かれているだけだ。
「ノクタルニア」
古地図にのみその名が記された、夜の国。 吸血鬼たちの聖地。 そして、1000年前に灯を吸血鬼に変えた張本人――レオンハルト・ヴァルプルギスが待つ場所。
ベルベットはそこへ向かったはずだ。そして、全ての元凶であるレオンハルトも、灯が来るのを待っている。
「行くぞ。……本丸は、吸血鬼の古城だ」
灯の号令と共に、輸送車が走り出す。 砂塵を巻き上げ、荒野を切り裂いていく。
アストエルの鐘が、ゴーン、ゴーンと鳴り響いた。 それは、復興を告げる音であり、魔女たちの新たな戦いへの出陣の合図でもあった。
彼女たちの旅はまだ終わらない。 神と悪魔の戦争を生き延びた彼女たちを待つのは、血塗られた一族の因縁。 終わらない夜の、さらに深い闇の奥へ。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




