第十八話「霧の向こうの国」1
第一章 聖なる別れ、俗なる旅立ち
ユーガリア大陸の最西端、聖地アストエル。 数日前まで、天使と悪魔、そして人間たちが殺し合い、世界の終わりの瀬戸際まで追い詰められていたこの場所にも、等しく朝は訪れていた。
立ち込めていた硝煙と魔力の残滓は、朝霧に混じって薄れつつある。 崩壊した大聖堂の瓦礫の山からは、カン、カン、という乾いた金属音が響いていた。 それは破壊の音ではない。生き残った人々が、瓦礫を退け、柱を立て直し、再び生活を築こうとする復興の槌音だった。
その喧騒を背に、一台の巨大な鉄塊がエンジンをアイドリングさせていた。 H.L.O.H.(聖槍異端監察庁)が撤退の際に遺棄していった、六輪駆動の大型軍用輸送車。 塗装は剥げ、装甲には無数の弾痕が刻まれているが、その武骨な姿は、これからの過酷な旅路にはうってつけの頑強さを漂わせていた。
「……行くのか」
荷台のハッチを閉めようとしていた久遠灯に、声がかかった。 作業着に身を包み、顔を煤で汚した大男。かつては最強の処刑人として灯の前に立ちはだかった、ルシウス・クロウリーだ。その傍らには、盲目の修道女、シスター・ノアも静かに佇んでいる。
「ああ。ここはもう、私たちの居場所じゃない」
灯は、くしゃくしゃになった「わかば」を口の端で遊ばせながら答えた。
「祈は取り戻した。……長居すれば、またアンタらの神様とやらが機嫌を損ねるかもしれんしな」
「……そうだな」
ルシウスは、かつて「異端」と断じていた吸血鬼の言葉に、微かに口元を緩めた。彼の手には、巨大な十字架ではなく、瓦礫を砕くためのスレッジハンマーが握られている。 その手は、血ではなく、労働の汗と泥にまみれていた。
「行け、魔女たちよ。……この街の瓦礫が片付く頃には、私の罪も少しは軽くなっているだろうか」
彼は、崩れ落ちた大聖堂を見上げた。そこには、彼が信じ、そして裏切られた組織の残骸がある。だが、彼の瞳に虚無感はない。瓦礫の下から、新しい信仰――人としての正義を見つけ出そうとする、求道者の光が宿っていた。
「さあな。……罪の重さなんてのは、天秤にかけるもんじゃねえよ」
灯は、輸送車の窓枠に肘をつき、ニヤリと笑った。
「背負って、歩いて、くたばるまで運び続けるもんだ。……私たちがそうであるようにな」
「……違いない」
「次に会うときは、美味い酒でも奢ってくれよ、神父様。……聖水抜きでな」
「……善処する」
ルシウスは、去りゆく車列に向かって、ゆっくりと右手を切った。縦に、横に。十字の印。 それは、異端審問官としての「破邪」の呪いではない。同じ地獄を生き抜いた、一人の友人としての、不器用で誠実な「祈り」だった。
シスター・ノアもまた、見えない瞳で彼女たちの旅路を見つめ、静かに頭を下げた。 聖地は遠ざかる。だが、そこで結ばれた絆は、決して消えることはない。
「さてと! 次の地獄へごあんな〜い!」
運転席から、場違いに明るい声が響いた。 ハンドルを握っているのは、派手なアロハシャツを着崩した男、チャーリー・S。 その正体は、四神の一柱・玄武。 数千年の時を生きる神獣でありながら、彼は「ヒマだから付き合ってやるよ」と嘯き、運転手を買って出たのだ。
「おい、亀野郎。……安全運転で頼むぜ」
「任せな。俺の甲羅(装甲)は硬いぜ? 乗り心地は保証しねえけどな!」
チャーリーは軽口を叩きながらも、サングラスの奥の瞳を鋭く光らせていた。 視線は、フロントガラスの向こう、東の空に向けられている。そこには、ユーガリア大陸の深部へと続く荒野と、不気味な雲を纏った山脈が広がっている。
車内――改造された荷台の居住スペースでは、リコリス・バロックの面々がそれぞれの時間を過ごしていた。
「……お肉、よし。水、よし。タピオカ、よし」
辰巳響は、物資の在庫リストと睨めっこをしていた。 彼女にとって、食料の確保は生命維持に直結する最重要事項だ。 H.L.O.H.から奪った戦闘糧食は味気ないが、カロリーだけは保証されている。
「……次は、もっと美味いもん食いたいな」
彼女は呟き、真空パックのパンを齧った。
「お姉様、このナイフの刃こぼれが……」
「貸して。……砥石はある?」
白雪美流愛と、双子の亞莉愛、華琉愛は、車座になって武器のメンテナンスを行っていた。彼女たちの指先は、踊るように軽やかに、そして正確に殺傷器具を分解し、磨き上げていく。硝煙の臭いが染み付いたドレスはボロボロだが、彼女たちが放つ冷徹な美しさは損なわれていない。
「……システム、アクセス開始。車両制御系を掌握」
鉄鏡花は、壁面のコンソールに自身のコネクタを接続していた。彼女の義眼には、高速で流れるデータストリームが映り込んでいる。 輸送車のサスペンション制御、空調管理、そして敵性反応の索敵。 彼女は、この鉄の箱を、快適で安全な移動要塞へと書き換えていた。
そして、最後尾の座席。 天羽祈は、窓の外を流れる景色を見つめていた。 遠ざかっていくアストエルの白い城壁。 そこで知り、受け入れた、自らの出生の秘密。 両親が愛し合い、散っていった場所。
「……さようなら」
祈は、小さく手を振った。それは、過去の悲しみへの決別であり、未来への挨拶だった。
車は荒野を抜け、ユーガリア大陸の深部へと進んでいく。目指すは東。 地図には載っていない、深い霧と森に閉ざされた山岳地帯。
ノクタルニア。
古より吸血鬼や魔狼が支配し、人間を拒絶してきた「夜の国」。 そこには、全ての元凶であり、灯の「親」であるレオンハルトが待っているだろう。
エンジンの重低音が、終わりなき旅の鼓動のように、荒野に響き渡っていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




