第十六話「祈りの魔天子(セラシファ)」3
第三章 泥だらけの賛歌
重力が、容赦なく私を地面へと引きずり下ろす。背中の翼は霧散し、魔力は枯渇していた。私の体は、ただの肉の塊となって、瓦礫の山へと落下していく。
(……ああ、落ちる)
風切り音が耳元で轟く。 意識が遠のいていく中で、私は冷めた思考で自分の末路を眺めていた。結局、私は利用されただけだった。神にも、悪魔にも。 大切なものを守りたくて、そのための力を搾取され、最後はゴミのように空から捨てられた。
誰も、私そのものを見てはいなかった。私の痛みも、小さな願いも、誰にも届かなかった。私は、世界から拒絶された異物として、ここで砕け散るのだ。
地面が迫る。 死の硬さが、私を迎え入れようとしている。
ガシッ!!
強い衝撃と共に、落下が止まった。痛くはなかった。誰かの腕が、私を受け止めていたからだ。泥だらけで、汗臭くて、そしてとても温かい腕。
「……っと! 捕まえたぜ、祈!」
聞き慣れた、乱暴で、けれど誰よりも優しい声。 恐る恐る目を開けると、そこには泥と煤で真っ黒になった辰巳響の顔があった。雷の影響で髪は爆発し、頬には切り傷がある。 でも、その腕は力強く、震える私を支えていた。
「響……ちゃん……」
「一人でカッコつけてんじゃねぇよ、馬鹿タレ」
響はニカっと笑うと、私をそっと地面に下ろした。足元がおぼつかない私を、左右から誰かが支えてくれる。
「無茶しすぎよ、祈」
右には、片足を引きずりながらも剣を構える白雪美流愛。 彼女の純白のドレスはボロボロだが、その瞳は宝石のように輝いている。
「生存を確認。……バイタル低下しているが、致命傷ではない」
左には、システムダウン寸前の義手で親指を立てる鉄鏡花。彼女の眼鏡は割れ、白衣は焦げているが、その理性的な眼差しは健在だ。
「祈さん!」
「ご無事ですか!」
双子のアリアとカルアが、私の足元に駆け寄ってくる。そして、少し離れた場所では、ルシウス・クロウリーが巨大な十字架を杖にして立ち上がっていた。彼もまた、聖職者の衣を血に染めながら、微かに頷いてみせた。
そして。
「……灯さん」
私の前に、黒いコートの背中があった。久遠灯。 彼女の左袖は、風に虚しく揺れていた。 肩から先がない。メタリオンの一撃を受け、再生能力の限界を超えた傷口からは、血ではなく白い湯気だけが立ち昇っている。
「灯さん……腕が……私のせいで……」
私が守ろうとしたせいで、灯さんが傷ついた。罪悪感が、胸を締め付ける。
「立てるか、祈」
灯が振り返った。 顔半分が血に染まっている。 けれど、その表情は痛みに歪んではいなかった。 どこまでも穏やかで、そして強い瞳。
彼女は、残った右手で私の頭を乱暴に、しかし愛おしそうに撫でた。血と泥のついた手。 それが、私の純白の聖衣(死に装束)を汚していく。けれど、私にはその汚れが、メタリオンの黄金の光よりも、アヴァゼブブの深淵の闇よりも、遥かに美しく、そして尊く見えた。
「お前が神様だろうが、メシアだろうが知ったことか」
灯は言った。 その声は、優しく、そして力強かった。
「お前は、ウチの仲間だ。……不味いコーヒー淹れて、客の愚痴聞いて、一緒にバカ話する……ただの家族だ」
「……っ」
その言葉が、私の心に空いた巨大な穴を埋めていく。神としての力はいらない。 世界を救うメシアとしての使命もいらない。 ただ、この泥だらけの手を握り返せる「人間」でありたい。
傷つき、汚れ、それでも一緒に生きていける。 この場所こそが、私の世界の全て。
「……はいっ!」
私は、涙を袖で拭い、立ち上がった。背中の翼が、再び光を帯びる。だが、それはもう拒絶の光ではない。仲間を守り、共に戦うための、決意の輝き。
「……愚かな」
頭上から、空気が軋むような威圧感が降ってきた。 天使王メタリオン。 黄金の仮面が、感情のない眼差しで私たちを見下ろしている。その六枚の翼が展開し、大聖堂の残骸を粉砕するほどのエネルギー充填音が響く。
「個の生存などに執着し、大義を見失うか。……人間とは、かくも救い難いエラーコードよ」
その足元では、ヴァレリオ・アストリア枢機卿が、血走った目で叫んでいた。
「なぜだ! なぜ神の愛を拒む! 貴様らのその薄汚い命一つ一つより、世界の浄化の方が遥かに尊いのだぞ!」
ヴァレリオの手にある聖遺物が、狂ったように明滅する。 彼は理解できないのだ。完璧な秩序と静寂よりも、泥にまみれた喧騒を選ぶ私たちの愚かさが。
「クカカカカ……! 同感だねえ、枢機卿」
地響きと共に、魔王アヴァゼブブが蠢いた。 腐肉の山が波打ち、無数のハエが黒い竜巻となって空を覆う。その中心で、ルーファス・アザリエルが、退屈そうにあくびを噛み殺していた。
「愛だの家族だの……。そんな脆弱な幻想にすがって、死にゆく姿こそが人間の滑稽さだ」
ルーファスは、深紅の法衣を広げた。
「『鍵』は損なわれたが、構わん。……このまま力押しで、天界ごと食らい尽くしてやる。貴様らはその添え物に過ぎんよ」
神と悪魔。 二つの絶対的な力が、再びぶつかり合おうとしている。 その余波だけで、私たちなど消し飛んでしまうだろう。絶望的な戦力差。
だが。
「ベルベットは逃げた。……だが、目の前のデカブツ共は残ってる」
灯が、M500に最後の弾丸を込めながら、メタリオンとアヴァゼブブを睨みつけた。 祈の結界によって弱体化したとはいえ、依然として脅威であることに変わりはない。 だが、今の彼女たちに恐れはなかった。
「……上等だ」
灯が笑う。 1000年の孤独を越え、今、背中を預ける仲間がいる。 それだけで、彼女は最強の吸血鬼になれる。
「やるぞ、野郎ども!」
灯の号令が、戦場に響き渡る。
「おうよ! アタシの腹は満タンだ!」 響が大気を震わせ、雷雲を呼ぶ。
「フィナーレにしては、客席がうるさいわね!」 美流愛がワイヤーを構え、双子がナイフを抜く。
「排除する! 論理的に、徹底的に!」 鏡花がサブアームを展開し、全火器のロックを解除する。
「……調律の時間です!」
私が、杖を掲げる。 その先端に、灰色の光が灯る。 神聖と邪悪、秩序と混沌を混ぜ合わせた、人間の色。
「私の家族に……指一本、触れさせません!!」
灰色の光が、灯たちの武器にエンチャントされる。神の加護でも、悪魔の契約でもない。 私たちが互いを想う「意志」の力が、物理的な質量を持って宿る。
「喰らえェェェェッ!!」
全員が、同時に地面を蹴った。神をも殺せる「人間」の力が、今、反撃の狼煙を上げる。
硝子の街の魔女たちは、最後の戦場を駆け抜ける。傷だらけの賛歌を歌いながら。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




