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リコリス・ディープ・ニルヴァーナ  作者: ネオもろこし
聖魔の調律(カオス・チューニング)編

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第十六話「祈りの魔天子(セラシファ)」2

第二章 女王の(クイーンズ・)盤上(ギャンビット)


 色彩を失った世界。 灰色の静寂に包まれた大聖堂の、崩れかけた梁の上。ベルベット・ミラーは、優雅に組んだ足の上で、愛用の煙管をギリリと噛み締めていた。


 彼女の視線の先には、中空に浮かび、灰色の翼を広げる天羽 祈(あもう いのり)の姿がある。 神と悪魔、二つの絶対的な力を同時に無力化するその姿は、まさしく「奇跡」そのものだった。 だが、ベルベットの表情には、期待していた歓喜の色がない。 あるのは、計算式が僅かに狂ったことに気づいた科学者のような、冷たい焦燥と苛立ちだけだった。


「……違う」


 ベルベットは、煙管を口から離し、吐き捨てるように呟いた。


「あれは『救世主(メシア)』じゃない。……ただの『調律者』よ」


 彼女が時間をかけて組み立てた仮説。『ハルマゲドンの混沌の中で、禁忌の子が覚醒し、不死なる真祖をも殺せるメシアとなる』。 その仮説は、半分当たりで、半分は致命的に外れていた。


 祈の力は確かに強大だ。神聖と邪悪、二つの相反するエネルギーを衝突させ、対消滅させる力。それは、あらゆる異能を無効化する「最強の盾」であり、世界を停滞させる「鎖」だ。だが、ベルベットが求めていたのは、そんな保守的な力ではない。 世界をリセットし、古い神を殺し、新たな(ルール)を創造する、圧倒的な「剣」としての力だ。


「あの子の力じゃ、真祖(ヴィクトル)は殺せない。……動きを止めるのが精一杯ね」


 ベルベットは、不愉快そうに紫煙を吐き出した。彼女の野望――始祖殺し(パトリサイド)のためには、対象を完全に消滅させる「死の概念」そのものが必要なのだ。


「チッ……。計算違いね。あの子は、どこまでいっても『人間』側だったということかしら」


 ベルベットは、爪先で瓦礫を蹴り落とした。壮大な舞台装置を用意し、世界を巻き込んで演出した惨劇が、一人の少女のささやかな願い――「家族を守りたい」という人間臭いエゴによって、肩透かしを食らった気分だ。 彼女のプライドが、音を立てて軋む。


「駄作ね。……これじゃあ、ただの強力な電池よ」


 彼女は興味を失いかけ、背を向けようとした。


 その時。


 ドクン。


 ベルベットの心臓が、奇妙なリズムで跳ねた。 それは、祈が発している波動ではない。もっと遠く。もっと深く。 この世界のどこか、光も届かない深淵で、何かが「孵化した」気配。 絶対的な、捕食者の波動。


「……え?」


 ベルベットは、弾かれたように振り返った。 彼女が見つめたのは、祈のいる空ではない。その遥か向こう。 東の空――あの日、灯たちが船出した虹海よりもさらに遠く、あるいは彼女たちの故郷である島国の方角か、それとも古き血が眠る地か。


 吸血鬼の始祖に近い血を持つ彼女の直感が、告げていた。


 今、この瞬間。 世界のどこかで、本物の『救世主(メシア)』が目覚めたのだと。


 祈が起こした「調律」の波動が、世界に亀裂を入れ、その隙間から「本物」が這い出してきたのだ。


「……あはっ、あはははは!」


 ベルベットは、狂ったように笑い出した。 肩を震わせ、陶酔したように自らの身体を抱く。


「そう! そういうこと! 私の実験は無駄じゃなかった!」


 祈はメシアではなかった。ただの引き金(トリガー)だった。だが、その引き金は確かに引かれたのだ。 マッチの火は、導火線を伝い、世界のどこかにある本命の爆薬に点火していた。


「居場所はわからない……。でも、確かに産声を聞いたわ」


 ベルベットの深紅の瞳に、新たな野心の炎が宿る。 ならば、ここにはもう用はない。 茶番は終わりだ。 さっさとこの退屈な聖地を去り、その「本物」を探しに行かねばならない。


 ……いや。 手ぶらで帰るのも癪だ。


 彼女の視線が、再び空中に浮く祈に戻る。メシアではないにせよ、神と悪魔を同時に退けるその力は、希少なサンプルだ。 真祖を殺す毒にはならずとも、彼を弱らせる「痺れ薬」程度にはなるかもしれない。 あるいは、本物のメシアをおびき寄せるための「餌」として。


「……回収しましょうか。参加賞としては、悪くないわ」


 ベルベットが動いた。彼女は、祈が展開する「異能無効化領域」へと、躊躇なく飛び込んだ。


 この領域内では、魔術は使えない。 炎も、雷も、光も闇も、すべて中和される。 だが、吸血鬼の超人的な身体能力と、彼女自身の血液を硬質化させる物理攻撃は、魔法ではない。 ただの質量と速度の暴力だ。祈の「調律」の穴を突く、純粋な物理干渉。


「失礼するわよ」


 ヒュッ!!


 ベルベットの手から、真紅の鞭が放たれた。『赫き荊棘(クリムゾン・ソーン)』。 それは音速を超え、祈の死角――灰色の翼の隙間へと回り込む。


 祈は気づいていなかった。 神と魔王を抑え込むことに全神経を集中させており、背後から忍び寄る「身内」の殺意に反応できない。


「え……?」


 祈が気づいた時には、遅かった。 荊棘の先端が、祈の左二の腕を掠めた。 深くはない。だが、鋭利な棘が肉を裂き、鮮血が飛沫となって舞う。


「いっ……!?」


 痛みに、祈の集中が途切れる。 完璧だった灰色の結界が揺らぎ、ノイズが走る。拘束されていたメタリオンとアヴァゼブブが、自由を求めて暴れだす。世界が再び、極彩色に明滅し始める。


 ベルベットは、空中に舞った祈の血を、小さなガラス瓶でキャッチした。一滴、二滴。 天使と悪魔、二つの血が混じり合い、銀色に輝くその雫を、一滴も残さず。


「……頂いたわ」


 ベルベットは着地し、小瓶を月光にかざした。中で揺らめく液体は、メシアの血ではない。だが、神を拒絶する「魔天子」の血。 新たなカードを手に入れた女王は、満足げに微笑む。


「テメェ……! 何しやがった!?」


 瓦礫の下から、久遠灯(くおん あかり)の怒号が響いた。 彼女は左腕を失い、泥まみれになりながらも、M500をベルベットに向けていた。 その瞳は、獲物を狙う狼のように殺気立っている。


「何って? ……『収穫』よ」


 ベルベットは、妖艶に唇を歪めた。だが、その目は笑っていなかった。 自らの読み間違いへの苛立ちと、灯への歪んだ執着が混じり合っている。


「感謝するわ、灯。貴女たちが育てたこの子は、メシアにはなれなかったけれど……面白い毒にはなりそうよ」


「ふざけんな! 返せッ!」


 灯がトリガーを引く。 銃声。 だが、ベルベットは動じない。 彼女の身体が、ふわりと霧散する。血の霧となって、風に溶けていく。


「逃がすかッ!」


 灯が霧を掴もうとするが、指の間をすり抜けていく。虚空から、ベルベットの声が響いた。


『追わないで。……今は、落ちてくる小鳥を受け止めてあげなさい』


「なに……?」


 灯が見上げると、空中で支えを失った祈が、重力に引かれて落下を始めていた。 翼が消え、ただの少女に戻った祈が、真っ逆さまに落ちてくる。


 ベルベットの気配は、完全に消滅した。彼女は去ったのだ。 新たな獲物――東の空で産声を上げた「本物」を求めて。


「クソッ……!」


 灯は、舌打ちをして銃を捨てた。今は、怒りよりも優先すべきことがある。 彼女は、落ちてくる家族を受け止めるために、瓦礫の山を駆け出した。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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