第十六話「祈りの魔天子(セラシファ)」1
第一章 灰色の聖域
聖地アストエル。 光と闇が物理的な質量を持って激突し、世界が崩壊しかけていた大聖堂広場は、今、奇妙な静寂に包まれていた。音がないのではない。鼓膜を破らんばかりの轟音、信徒たちの悲鳴、そして神と悪魔の咆哮――それら全ての「音」が、ある一点を中心にして強制的に「ミュート」されたかのように沈黙しているのだ。
その中心に、天羽 祈が浮いていた。
彼女の背中から噴き出した翼。 右には、夜の闇を凝縮したような、蝙蝠の皮膜を持つ悪魔の黒翼。左には、朝の光を織り込んだような、純白の羽毛を持つ天使の翼。本来なら決して交わることのない二つの翼。 だが、それらは羽ばたくごとに粒子となって混ざり合い、彼女の周囲に「灰色」の領域を展開していた。
それは、爆発的な破壊力ではない。絵の具をすべて混ぜ合わせた時にできる、混沌とした、しかしどこか懐かしさを感じさせる灰色。 その色が、天使王メタリオンの放つ黄金の光も、魔王アヴァゼブブが吐き出す漆黒の瘴気も、等しく塗り潰していた。
「……消えた?」
ヴァレリオ・アストリアが、震える手で空を仰いだ。 彼が信じてきた絶対的な「聖なる力」。それが、祈の領域に触れた瞬間、ただの物理現象――熱や風へと還元され、霧散していく。 神の奇跡が、ただのエネルギーへと格下げされる光景。 彼の信仰の礎が、音を立てて崩れ去っていく。
「私の魔法が……無効化されただと?」
ルーファス・アザリエルもまた、愕然としていた。彼が操る深淵の闇が、祈の灰色に飲み込まれ、毒気を抜かれている。恐怖も、絶望も、そこでは意味を成さない。
絶対的な「中和」。 神聖と邪悪。秩序と混沌。 相反する属性を同時に内包し、衝突させることで対消滅させる、禁忌の力。
「……争いは、終わりです」
祈の声が、戦場に響き渡った。 それは命令ではない。世界そのものへの、切実な「お願い(強制)」だった。
彼女の頭上には、テレビのノイズのように激しく歪んだ光輪が浮かんでいる。天使でもない。悪魔でもない。 第三の種。『祈りの魔天子』。
「神様も、悪魔も……。私の家族を傷つけるなら、いりません」
彼女のオッドアイが輝くたび、空間の彩度が落ちていく。 奇跡も呪いも存在しない。ただ、痛みと重力だけが支配する「人間の世界」へと、強制的に書き換えられていく。 それは、神話の時代を終わらせる、静かなる拒絶だった。
祈は、必死に意識を保っていた。空中を漂う彼女の身体は、悲鳴を上げていた。 この力は、彼女自身の命を削って発動している。神と魔王、二つの巨大なエネルギーを、彼女という小さな器を使って無理やりショートさせているのだ。 全身の血管が沸騰し、骨がきしむ音が内耳に響く。
(痛い……。熱い……)
まるで、体の中に溶岩と氷河を同時に流し込まれているような激痛。 細胞の一つひとつが、「存在の矛盾」に耐えきれず崩壊しようとしている。 けれど、止めない。 止めてしまえば、またあの地獄が始まる。灯さんが血を流し、響ちゃんが倒れ、美流愛さんが叫ぶ。 そんな光景は、もう二度と見たくない。
(私が「鍵」なら……この身が砕けるまで、鍵穴を塞ぎ続ける!)
祈は歯を食いしばり、血の味がする口の中で誓った。誰かに守られるだけの自分は、もう終わりだ。 これからは、私が守る。たとえこの身が、神と悪魔の衝突点となって消滅しようとも。
「……退いてください! さもないと……私ごと、あなたたちを消します!」
祈は、血の涙を流しながら叫んだ。 その姿は、神々しくもあり、同時に痛々しいほどに孤独だった。世界でたった一人、灰色の空に磔にされた聖女の姿。
「……祈」
瓦礫の下から、久遠灯がその姿を見上げていた。左腕を失い、血にまみれながらも、彼女の瞳は祈を捉えて離さない。
灯の胸に、鋭い痛みが走った。それは肉体の傷の痛みではない。守りたかった少女が、自らを犠牲にして世界を守ろうとしている姿に対する、どうしようもない心苦しさだった。
出会った頃の祈は、ただ震えて泣くだけの子供だった。自分の目の色を呪い、生まれてきたことを謝り続け、ストロングゼロで現実から逃避していた、弱虫な半端者。そんな彼女に、灯は「泣き虫」とあだ名をつけた。守ってやらなければ、すぐに壊れてしまいそうな硝子細工だと思っていた。
だが、今の彼女はどうだ。 神と悪魔を相手取り、たった一人で空に立ち、世界をねじ伏せている。 その背中は、いつの間にか灯よりも大きく、そして遠く見えた。
「……強くなりやがって」
灯は、血の泡と共に言葉を吐き出した。 嬉しい。誇らしい。 だが、それ以上に、寂しくて、悔しい。
あいつは、優しすぎるんだ。自分の痛みを後回しにして、誰かのために傷つくことを選んでしまう。 その優しさが、今は彼女自身を殺そうとしている。 「魔天子」なんて大層な名前じゃない。あそこにいるのは、ただの家族想いで、お人好しで、不器用な私の「妹」だ。
灯は、残った右手で瓦礫を握りしめた。立ち上がりたい。駆け寄って、あの馬鹿な頭を殴ってやりたい。『一人でカッコつけてんじゃねえ』と怒鳴って、その肩を抱いてやりたい。 だが、身体が動かない。失血と疲労が、吸血鬼の再生能力さえも凌駕している。
祈が、空中でふらついた。 限界が近い。
「……馬鹿野郎」
灯の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。 それは泥と血に混じり、頬を伝って地面に落ちた。
「そんな顔で……笑うなよ」
空に浮かぶ祈の表情は、激痛に歪みながらも、どこか安堵していた。自分の命と引き換えに、みんなを守れるならそれでいい。そんな、自己犠牲の聖母のような顔。
「お前は……生きて、不味い酒を飲むんだろ……」
灯の声は、轟音にかき消され、祈には届かない。 それでも、灯は叫ばずにはいられなかった。 その決意だけが、灰色の空に輝く唯一の希望だったから。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




