第十五話「神と魔王の降臨」1
第一章 開かれた門
聖地アストエルの中心に鎮座する白亜の大聖堂。 その巨大なドーム天井に描かれた天地創造のフレスコ画が、悲鳴のような音を立てて亀裂を走らせた。極彩色の聖人たちが描かれた漆喰が剥がれ落ち、その向こう側に広がる「真の天」が露わになる。
そこから降り注いだのは、物理的な質量を伴う黄金の光だった。それは慈愛の陽光ではない。 触れるもの全てを分子レベルで分解し、漂白し、無へと帰すための、絶対的な浄化の奔流。祭壇は瞬く間に高熱を帯び、大理石の床が焼け焦げる臭いが充満する。
光の柱の中で、天使の王・メタリオンの巨躯が、次元の壁を越えて顕現しつつあった。六枚の鋼鉄の翼が展開されるたびに、大気が歪み、衝撃波が堂内を駆け巡る。 顔には表情がない。黄金の仮面は、人間的な感情を一切排した「システム」としての冷徹さを象徴していた。 その威圧感だけで、大聖堂を支える太い石柱に亀裂が走り、色鮮やかなステンドグラスが粉々に砕け散ってキラキラと降り注ぐ。
「おお……! 神よ! 我らを救いたまえ!」
ヴァレリオ・アストリア枢機卿は、その圧倒的な光景に膝をつき、両手を掲げていた。彼の頬を伝うのは狂喜の涙だ。 彼にとって、この破壊的な顕現こそが救済であり、長年追い求めてきた信仰の答えだった。滅びこそが、唯一の清浄なる解決策であると信じて疑わない狂信者の顔。
一方、その祭壇の中央で磔にされた天羽祈は、薄れゆく意識の中で、その冷たい光を見つめていた。
(……寒い)
全身の血液が、無数のチューブによって強制的に吸い上げられていく。天使と悪魔、二つの禁忌が混じり合った彼女の血は、祭壇の魔法陣へと注がれ、天界の扉を開くための潤滑油として消費されていた。 指先の感覚がない。心臓が早鐘を打つたびに、命が削り取られていく。
(……これが、救済?)
目の前に浮かぶ天使の王は、彼女を見ようともしない。ただ、開かれた扉から地上を睥睨し、何を消去すべきかを計算しているだけだ。 そこに愛はない。あるのは、厳格すぎる規律と、逸脱を許さない断罪の意志だけ。
死の冷たさが、彼女の心臓まで届こうとしていた。視界が暗転する。もう、痛みさえ感じない。
その時だった。
ヒュンッ!!
紅い閃光が、黄金の光を切り裂いて祭壇を駆け抜けた。 鋭利な風切り音と共に、祈の腕に突き刺さっていたチューブが、外科手術のような精密さで切断された。
プシュッ!
圧力が開放され、鮮血が噴き出す。 それは魔法陣ではなく、虚空へと散った。
「なっ……何奴!?」
ヴァレリオが叫び、立ち上がる。 神聖な儀式を、降臨の瞬間を妨害された怒りに、その端正な顔が醜く歪む。
血の雨を浴びて立っていたのは、この場には場違いなほど艶やかな、真紅のチャイナドレスを纏った女だった。黒い革ジャンを肩に掛け、優雅に煙管をくゆらせる吸血鬼。
ベルベット・ミラー。
「……神様のお出ましにしては、演出が地味ね」
ベルベットは、降り注ぐ黄金の光をサングラス越しに見上げ、退屈そうに吐き捨てた。 彼女の周囲には、固有能力『赫き荊棘』によって形成された血の結界が展開され、メタリオンの威圧を跳ね除けている。
彼女は、空中に飛散した祈の血を、素早い手つきでガラスのアンプルに採取した。一滴も零さず。 天使と悪魔、二つの種族の力が極限まで高められた、禁断の血液。それこそが、彼女がこの戦場で求めていた唯一の「収穫」だった。
「貴様、ミラーの女狐! 儀式を邪魔するか!」
ヴァレリオが錫杖を構える。天槍騎士団が殺到しようとするが、ベルベットは優雅に微笑んだまま動かない。
「邪魔? まさか。……もっと面白くしてあげるだけよ」
ベルベットは、採取したばかりの鮮血のアンプルを、親指で弾いた。ガラス瓶が放物線を描き、大聖堂の床下――先ほど崩落した奈落の底へと吸い込まれていく。そこは、地下から侵攻してきていた悪魔軍の陣営が待ち受ける場所。
「感謝するよ、ベルベット」
闇の奥底から、深紅の法衣を纏った男が、手品のようにアンプルを受け取った。 『深紅の預言者』ルーファス・アザリエル。 彼は、手に入れた祈の血を、極上のワインのように照明にかざして見つめた。 その閉ざされた瞼の下で、眼球が激しく動いている。歓喜。 渇望。 そして、世界を壊すことへの純粋な愉悦。
「これだ……。この矛盾に満ちた血こそが、地獄の蓋をこじ開ける鍵となる」
ルーファスの背後では、ドクター・メイが作り上げた異形のキメラたちが、餌を待つ犬のように唸り声を上げている。 だが、ルーファスが求めているのは、そんな矮小な兵器ではない。世界そのものを書き換え、塗り潰す、真の「王」の降臨だ。
「さあ、目覚めたまえ。……我らが父よ」
ルーファスは、アンプルを床に叩きつけた。
パリンッ!
乾いた音が、地下空間に響き渡る。飛び散った鮮血が、床に描かれた巨大な逆さ十字の魔法陣に染み込む。神聖な血と、呪われた血。 その二つが触媒となり、次元の境界を溶解させる。
その瞬間、世界が悲鳴を上げた。
ズゴゴゴゴゴゴ……!!
大聖堂の床が、耐えきれずに陥没した。底知れぬ奈落が口を開け、そこから噴き出したのは、天の光を塗りつぶすほどの、ドス黒い瘴気と腐臭だった。無数の蝿の羽音が、重なり合って不快なノイズを奏でる。
「来い! 暴食と混沌の王よ!」
ルーファスの絶叫と共に、奈落の底から巨大な肉塊が這い出してくる。 不定形の泥。腐乱した死体と、虫の群れが融合し、渦を巻く。それらは急速に形を成し、巨大な蠅の頭部を持つ悪魔の姿を形成していく。
背中にはボロボロの皮膜の翼。全身から滴り落ちる粘液が、地面を溶かし、新たな魔物を生み出していく。 その口からは、終わることのない飢餓の気配が漏れ出している。
魔王 アヴァゼブブ。
「クカカカ……! 良い匂いだ。……絶望と、混沌の匂い!」
魔王の咆哮が、衝撃波となって大聖堂を内側から破壊する。 ステンドグラスが全て吹き飛び、柱が折れる。
天には、無慈悲な秩序を強いる天使の王。地には、全てを腐らせ飲み込む魔王。 二つの太陽が同時に出現し、世界を引き裂く「大崩壊」が始まった。
祈は、磔にされたまま、その光景を見ていた。 右からは焼けるような光が。左からは腐食するような闇が。 二つの力が彼女を中心にして衝突し、火花を散らしている。 彼女は、神と悪魔の綱引きの「結び目」として、その身を引き裂かれようとしていた。
(……あぁ……)
声が出ない。涙も枯れた。 ただ、圧倒的な終末の光景が、彼女の瞳に焼き付いていく。 ここには、救いなんてない。あるのは、力の奔流と、それに飲み込まれる弱者の絶望だけだ。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




