第十三話「アストエル聖魔戦争(ハルマゲドン)、開幕」1
第一章 朱き空の審判
ユーガリア大陸の最西端、聖地アストエル。 その中心に鎮座する白亜の大聖堂広場は、狂信と熱狂が入り混じった、異様な高熱に包まれていた。
広場を埋め尽くすのは、数万人の信徒たち。 そして、彼らを取り囲むように整列した白銀の軍勢――『天槍騎士団』の精鋭部隊。 彼らが一斉に捧げる祈りの声は、もはや人間の言語を超え、地鳴りのような低周波となって大気を震わせていた。 無数の松明と蝋燭の灯り、そして騎士たちの甲冑が反射する冷たい月光が、夜を昼のように、そして祭壇を処刑台のように照らし出していた。
広場の中央、高く築かれた石造りの祭壇の上。巨大な白銀の十字架に、一人の少女が磔にされていた。
天羽 祈。
彼女の身体は、豪奢な純白の聖衣で飾られていたが、それは死に化粧に等しかった。細い腕、足首、そして鎖骨の窪みに至るまで、無数の透明なカテーテルと太い針が突き刺さっている。痛覚は、強力な麻酔魔術によって麻痺させられているはずだった。だが、体内の血液が――天使と悪魔、相反する二つの種族の血が混じり合った「禁忌の液体」が、ポンプで強制的に吸い上げられていく不快感と寒気だけは、鮮明に残っていた。
(……寒い)
祈は、虚ろな瞳で、何も映っていない夜空を見上げていた。意識は泥水のように濁り、指一本動かす力も残っていない。 視界の端で、自分の血がチューブの中を流れ、祭壇に刻まれた溝へと注がれていくのが見える。赤いラインが、複雑な幾何学模様を描きながら魔法陣を満たし、心臓の鼓動に合わせて妖しく脈動している。
私は、人間じゃなかった。コンカフェの店長でも、リコリス・バロックの一員でもない。 ただの、世界を壊すための「部品」。誰にも愛されず、誰からも必要とされなかった半端者が、最後に世界を終わらせるための「鍵」として消費される。その事実が、肉体の痛み以上に、祈の魂を凍らせていた。
「時は満ちた」
祭壇の最上段。祈のすぐ足元に立つ長身の影が、朗々と告げた。聖槍異端監察庁(H.L.O.H.)長官、ヴァレリオ・アストリア枢機卿。 彼は、祈の苦悶など路傍の石ほどにも気にかけていない。その瞳は、天上の栄光だけを見つめ、恍惚と見開かれていた。
「第七の封印を解き、神の軍勢を招き入れん。……穢れた地上を焼き払い、真の楽園を此処に!」
ヴァレリオが、手にした儀式用の短剣――『聖遺物・ロンギヌスの欠片』を高く掲げた。刃が月光を吸い込み、神々しく輝く。
「……やめ、て……」
祈の唇が、微かに動いた。 声にはならない。ただの空気の漏れる音。 だが、ヴァレリオは慈父のような微笑みを浮かべ、祈の頬に手を添えた。
「怖がることはない、聖女よ。……貴女の血は、世界を浄化する聖水となるのだ」
ヴァレリオが、短剣を振り下ろした。切っ先が、祈の手首の動脈を、儀式的な正確さで切り裂く。 鮮血が噴き出した。 それはチューブを通さず、直接、魔法陣の中央にある「鍵穴」へと滴り落ちる。
ジュゥゥッ……!!
血が石に触れた瞬間、焼けるような音が響いた。 世界が、悲鳴を上げた。
パァァァァァン……!!
アストエルの夜空に、巨大な亀裂が走った。星々が瞬く黒い空が、まるで薄い布のように引き裂かれ、その向こう側にある「別次元」が露わになる。 目が潰れるほどの黄金の光が、滝のように降り注いだ。その光は暖かくはない。絶対零度よりも冷たい、無機質な「断絶」の光。
「おお……! 見よ! 天が開いた!」
「神よ! 我らを救いたまえ! 我らを導きたまえ!」
信徒たちが狂喜し、涙を流して地面に額を擦り付ける。だが、祈の魔眼だけは見ていた。光の奔流の奥から、ゆっくりと実体化し始める、巨大な影の正体を。
六枚の鋼鉄の翼。 感情のない、能面のような黄金の顔。手に携えた、都市を一つ焼き払えるほどの熱量を秘めた大剣。
天使の王・メタリオン。
それは、人々が夢見る慈愛の天使ではない。人類という種を「剪定」し、不要なものを削除するために現れた、冷徹な「殲滅システム」そのものだった。光は熱線となり、影は断頭台の刃となる。
(……これが、神様?)
あまりに冷たく、あまりに無慈悲な光。私の血が、こんなものを呼んでしまった。 こんな、世界を終わらせる怪物を。 絶望が、涙となって頬を伝う。その涙さえも、祭壇に吸い込まれ、儀式の糧となっていく。
その時。 天から降り注ぐ黄金の賛美歌を遮るように、地の底から腹に響く重低音が轟いた。
ズズズズズズ……ドゴォォォォン!!
地響きと共に、アストエルの大地が陥没した。広場の一角、石畳が爆ぜ飛び、直径数百メートルの巨大な穴が開く。そこから噴き出したのは、天の光とは対照的な、ドス黒い瘴気と、腐った土の臭いを含んだ土煙だった。 硫黄と、血と、欲望の臭い。
「待ちくたびれたよ、ヴァレリオ」
奈落の底から、スピーカーを通したような大音量の嘲笑が響き渡る。土煙を裂いて現れたのは、宙に浮く岩塊に乗った深紅の法衣の男。『深紅の預言者』ルーファス・アザリエル。
そして、彼が引き連れてきたのは、地獄の蓋を開けて溢れ出したような、悪魔の軍勢だった。
地下都市ヴァルハドキアから、『黄昏の黙示録団』の全戦力が雪崩れ込んできたのだ。 岩盤を砕き、地下から這い上がってくる無数の異形たち。
機械と悪魔の死体を融合させた合成魔獣。 全身に呪印を刻み、詠唱を唱えながら火球を放つ黒魔術師団。 彼らは飢えたイナゴの大群のように、聖なる広場を埋め尽くしていく。
「総員、蹂躙せよ! ……このすました聖都を、我らが宴の会場に変えるのだ!」
ルーファスの号令と共に、地獄の窯が開いた。そして、その軍勢の先頭を行くのは、見る者全てを絶望させる四つの災厄だった。
『黙示録の四騎士』。
灯たちとの戦いから撤退した彼らが、ドクター・メイによる修復と強化を終え、完全な姿で再臨したのだ。
大鎌を振るい、触れるもの全ての時間を奪う『死』。全身が兵器庫と化し、ミサイルの雨を降らせる『戦争』。周囲の魔力と生命力を枯渇させ、干からびさせる『飢饉』。 猛毒のガスを撒き散らし、生物を溶かす『疫病』。
「ヒャハハハ! 燃えろ! 燃えろ!」
「神の犬どもを食い尽くせ! 骨までしゃぶり尽くせ!」
悪魔たちの咆哮が、信徒たちの悲鳴と混じり合う。聖都は一瞬にして、阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌した。 美しい白亜の教会が、キメラの爪で粉砕され、黒魔術の炎で焼かれていく。 逃げ惑う人々が、四騎士の足元で塵となり、毒に冒され、爆散していく。
「迎撃せよ! 異端どもを聖域に入れるな! 神敵を討て!」
ヴァレリオが叫び、天槍騎士団が陣形を組む。聖銀の弾丸と、魔術の光弾が交錯する。 光と闇。 天と地。 秩序と混沌。相反する二つの力が真正面から激突し、その衝撃波がアストエルの街を揺るがした。
「殺せ! 奪え!」
ルーファスが、戦場の混乱の中、悠然と扇子で祭壇の上の祈を指差した。彼の目は閉じられているが、その意識は祈という「点」に集中している。
「あの小娘は、我々の『鍵』だ! ……天の扉を閉ざし、魔界の門を開くためのな! 決して殺すな、生きたまま私の元へ連れて来い!」
悪魔たちが、祈を目指して殺到する。騎士団がそれを阻む壁となる。肉と肉がぶつかり合い、血の雨が降る。
その中心で、祈はただ震えることしかできなかった。磔にされたまま、眼下で繰り広げられる殺戮の嵐を見下ろす。
(……なんで?)
祈の心は、恐怖を超えて、深い虚無に沈んでいた。
神も、悪魔も、誰も私を助けてはくれない。ヴァレリオは私を「扉を開ける道具」として切り刻み、ルーファスは私を「魔界を呼ぶ鍵」として奪おうとする。どちらが勝っても、私に待っているのは「死」か、それ以上の地獄だ。 誰も、天羽祈という一人の人間を見てはいない。 私の痛みも、悲しみも、誰の目にも映らない。
(……灯さん……)
祈は目を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは、神々しい天使でも、強大な悪魔でもない。 不味いコーヒーを淹れて、「熱っ」と舌を出し、ぶっきらぼうに頭を撫でてくれる、不器用な吸血鬼の顔だけだった。
(会いたい……。みんなに……会いたいよぉ……)
聖地は、神話的な戦場へと変貌した。そして、その空の上から、もう一つの災厄――朱色の翼を持つ裏切り者が、舞い降りようとしていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




