表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リコリス・ディープ・ニルヴァーナ  作者: ネオもろこし
聖魔の調律(カオス・チューニング)編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/54

第十話「聖なる檻」2

第二章 嘆きの壁の向こう側


 虹海(ホンハイ)を出発してから、どれほどの時間が過ぎただろうか。『鉄の馬車・マークII』は、ユーガリア大陸の荒野をひた走っていた。


 昼は灼熱の太陽が装甲を焼き、夜は凍えるような冷気が車内を侵食する。車窓を流れる景色は、鬱蒼とした密林から乾燥した砂漠へ、そして戦火の跡が残る瓦礫の街へと、目まぐるしく変わっていく。 道なき道を往く過酷な旅路。 タイヤはすり減り、車体は泥と砂塵で本来の色を失っていた。


「……あと、どれくらい?」


 後部座席で、辰巳響(たつみ ひびき)が力なく呟いた。彼女の手には、虹海で買い込んだ真空パックの肉まんが握られているが、その表情にはいつもの覇気がない。相棒である王 麗琳(リーリン)を現地に残してきた喪失感と、天羽祈(あもう いのり)を奪われた焦燥感が、彼女の心を重く押し潰しているのだ。


「計算上では、あと3時間で国境を越える。……目的地は目前だ」


 運転席の鉄鏡花(くろがね きょうか)が、乾いた声で答える。彼女もまた、不眠不休の運転で消耗していた。義眼の輝きが鈍り、指先の反応速度が僅かに落ちている。


「そう。……やっとね」


 白雪美流愛(しらゆき みるあ)が、窓の外を睨みつける。彼女は旅の間中、片時もナイフの手入れを止めなかった。祈を奪ったあの屈辱を、決して忘れないために。


「敵影なし。……ですが、空気が変わりました」


 双子の白雪亞莉愛(アリア)が、鋭く指摘する。国境を越えた瞬間、肌にまとわりつくような湿度が消え、代わりに乾いた、鉄錆と血の匂いを含んだ風が吹き込んできたのだ。


 大陸の最西端、聖地アストエル。 数多の宗教が聖地とし、そして数多の血が流された紛争の地。 その不穏な気配が、地平線の彼方から押し寄せてくる。


 夕日が、荒野を赤く染め上げる頃。 私たちはついに、その場所へと到達した。


「……見えたぞ」


 久遠灯(くおん あかり)が、身を乗り出す。


 眼下に広がる盆地。その中央に、絶壁のような白い城壁に囲まれた巨大な都市が鎮座していた。


 城壁の内側――『上層(ハイ・サンクチュアリ)』。 そこには、白亜の教会群と鋭利な尖塔が林立し、夕日を浴びて神々しく輝いている。 風に乗って、神聖な鐘の音と、天使たちを称える賛美歌が聞こえてくる。それは、地上の楽園を具現化したかのような、清らかで美しい光景だった。


 だが、城壁の外側――『下層(アンダー・スラム)』は、地獄そのものだった。 城壁にへばりつくように、無数のボロ布を継ぎ接ぎしたテントや掘っ立て小屋が密集している。 そこには、各地の紛争や魔女狩りから逃れてきた難民、そして異端として追放された亜人たちが、蟻の巣のように身を寄せ合って暮らしていた。泥と排泄物、そして腐敗臭が充満する路地。 行き交う人々の目は虚ろで、明日をも知れぬ不安と飢えに支配されている。


 天国と地獄が、一枚の壁を隔てて隣り合っている。


「……ここが、神様の膝元かよ」


 灯が、車を降りて吐き捨てた。砂埃にまみれた顔に、嫌悪の色が浮かぶ。


「上からは賛美歌、下からは呻き声。……随分と趣味の悪い二重奏だ」


「エネルギー反応、上層に集中している。……あそこには、都市一つを焼き払えるだけの魔力が蓄積されている」


 鏡花が、義眼で城壁の向こう側を解析する。 強力な結界が張られており、内部の詳細なスキャンは不可能だ。


「どうする? 正面からカチ込むか?」


 響が、拳を鳴らして問う。 彼女の瞳に、戦意の炎が灯る。


「いや。……まずは情報収集だ。祈がどこに囚われているか、正確な場所を突き止める必要がある」


 灯は、コートの襟を立てて歩き出した。 目指すは、下層スラムの灯り。 どんな掃き溜めにも、必ずネズミの耳(情報屋)は潜んでいるものだ。


 スラムの酒場『嘆きの羊』。そこは、粗悪な密造酒と暴力の匂いが充満する、荒くれ者たちの溜まり場だった。 灯たちが入店すると、一瞬だけ視線が集まるが、すぐに興味を失ったように喧騒が戻る。ここでは、訳ありのよそ者など珍しくもない。


 カウンターの隅。 そこに、周囲の空気から浮き上がっている男がいた。


 金髪に染めた髪を無造作に遊ばせ、派手なアロハシャツを着崩した東洋人の青年。 彼は、昼間からカクテルグラスを傾け、隣に座る娼婦たちと談笑していた。 一見すると、戦場の悲惨さなどどこ吹く風の、軽薄な遊び人だ。


 だが、響は店に入った瞬間に足を止めた。龍の勘が、その男から発せられる異質な「気配」を感じ取っていたのだ。


(……なんだコイツ)


 響が眉をひそめる。


(水臭ぇ……。でも、アタシの雨とは違う。……もっとドロッとしてて、光の届かない深海みたいな……重くて冷たい水だ)


 同じ「水」に属する者だからこそ分かる、質の違うプレッシャー。 人間ではない。 それも、ただの妖怪レベルではない「格」の違い。


 男が、ふと顔を上げた。 サングラス越しの視線が、響たちを捉える。彼はニヤリと笑い、手招きをした。


「よう、東洋の旅人(トラベラー)さん。……血と火薬の匂いがプンプンするねぇ」


 灯が警戒しながら近づく。男のテーブルには、飲み干したグラスがいくつも並んでいた。


「……アンタ、何者だ?」


「俺? ただのチャーリーさ。……チャーリー・Sと呼んでくれ」


 男は、おどけた調子で名乗った。だが、サングラスを少しずらしたその瞳の奥には、底知れない冷徹な光が宿っていた。 それは、ただの酔っ払いができる目ではない。


「こんな場所で何してる?」


 灯が問うと、チャーリーはカクテルをあおり、氷をガリリと噛み砕いた。


「俺はただの『観察者』さ。……世界が終わる瞬間を、特等席で見ようと思ってね」


「世界が終わる?」


「ああ。……ハルマゲドンだよ。天使と悪魔の最終戦争。……その開演ベルが、もうすぐ鳴る」


 チャーリーは、天井――その遥か上にある上層の方角を指差した。その口調は、まるで決まっている未来を語るように淡々としていた。


「だが、お嬢ちゃんたちが面白そうだから、ちょっとだけヒントをやるよ。……『祈ちゃん』の居場所を知りたいんだろ?」


「ッ!?」


 灯たちが色めき立つ。響がテーブルに身を乗り出す。


「てめぇ……! なんで祈の名前を知ってんだ!?」


「焦るなよ、龍神様」


 チャーリーは、響の殺気にも動じず、ヒラヒラと手を振った。


「この街に流れる噂は、ドブ水と一緒に下層へ流れてくるんだよ。……『聖女』として連行された娘の話は、もう有名だ」


「聖女……?」


「ああ。あの子は今、上層の一番高い塔のてっぺんにいる。……神への生贄として、綺麗に飾り付けられてな」


 チャーリーは、懐から一枚の古びた地図を取り出し、テーブルに広げた。 指差したのは、スラムのさらに奥深く。 崩れかけた石造りの建物。


「だが、助け出すには『鍵』がいる。……城壁の中に入るには、正面突破じゃ無理だ。抜け道を知る必要がある」


「抜け道?」


「まずはあそこに行きな。廃墟の孤児院だ」


 チャーリーの指が、地図上の一点を叩く。


「そこに、あの子の両親の最期を知る人物がいる。……シスター・ノア。彼女なら、城壁の中へ入るための『裏口』を知っているはずだ」


「……信用できるのか?」


 灯が疑り深く問う。 この男は、敵か味方か。 あまりに都合よく情報を出しすぎる。


 チャーリーは、意味深に微笑んだ。


「信じるか信じないかは、あんたらの自由さ。……ただ、急いだ方がいいぜ」


 彼は、空になったグラスを置き、席を立った。


「神様は、気が短いからな。……開演に遅れたら、主役が死んじまう」


 彼はそう言うと、代金をカウンターに投げ、ヒラヒラと手を振って店の奥へと消えていった。その背中には、一切の隙がなかった。


「……食えない野郎だ」


 灯は地図を掴み取り、店を出た。あの男の正体は気になるが、今は祈の情報が最優先だ。


 響だけが、去り際に振り返り、チャーリーが消えた暗がりを睨みつけた。あの水の気配。 敵ではないかもしれないが、味方とも限らない。 得体の知れないジョーカーが、この街には潜んでいる。


(……チッ。油断できねぇな)


 響は頭を振り、仲間たちの後を追った。聖なる檻への道が、今、微かに開かれようとしていた。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ