第十話「聖なる檻」1
第一章 ユダの接吻
聖地アストエル郊外、荒野。東の空が白み始め、夜と朝の境界線が曖昧になる刻限。 荒涼とした大地には、血を滲ませたような濃霧が立ち込めていた。 その静寂を切り裂いて、重苦しいローター音が空から降りてくる。
漆黒の塗装が施された軍用ヘリコプター。 機体には、吸血鬼の三大一族の一つ、ミラー家の紋章が刻印されている。 土煙を巻き上げながら着陸するその鉄の塊を、冷徹な沈黙をもって出迎える集団があった。
白銀の甲冑と法衣を纏った、聖職者にして戦士たち。『天槍騎士団』。 ヴァルチアンが誇る精鋭部隊である彼らは、整然とした隊列を組み、一糸乱れぬ動作で銃口と槍の穂先をヘリに向けていた。その殺気は、ただの警備ではない。降りてくる者が「絶対的な敵」であることを理解した上での、ギリギリの自制だった。
タラップが下りる。 霧の中から姿を現したのは、戦場には不似合いなほど絢爛な真紅のチャイナドレスに、無骨な革ジャンを羽織った女。ベルベット・ミラー。 彼女は数百の銃口を向けられても、優雅に煙管をくゆらせ、ハイヒールの音を響かせながら大地を踏みしめた。
「……相変わらず、熱烈な歓迎ね。ヴァルチアンの犬どもは」
彼女が吐き出した紫煙が、霧に溶けていく。
その瞬間。
ジャキッ!!
ベルベットの鼻先数センチの空間を、不可視の衝撃が貫いた。 彼女の前髪が数本、ハラリと切れて落ちる。
「……無駄口を叩くな、女狐」
殺意の塊のような声。 騎士団の列が割れ、一人の巨漢が歩み出てきた。 身の丈ほどもある巨大な十字架を背負い、漆黒のロングコートをなびかせる男。
ルシウス・クロウリー。 コードネーム『ウィッチブレイカー』。
「あら。……生きていたのね、神父様」
ベルベットは、驚く素振りもなく微笑んだ。東帝都での激闘以来の再会。あの夜、互いに殺し合い、決着がつかぬまま別れた因縁の相手。
「てっきり、東帝都湾の藻屑になったかと思っていたわ」
「神の使命を果たすまで、私は死なん。……貴様ら不浄な魔女を、この地上から一掃するまではな」
ルシウスの手が、背中の十字架に掛かる。 彼の碧眼には、私的な憎悪と、公的な使命感が入り混じった、青白い炎が燃えていた。 今ここで戦闘が始まってもおかしくない。一触即発の空気。
「控えなさい、ルシウス」
その熱を、氷水で冷やすような声が響いた。ルシウスの背後。 騎士団の中央から、一人の男が静かに歩み出てきた。
長身痩躯。年齢は50代前半。 黒い法衣には銀糸で緻密な刺繍が施され、胸元には枢機卿の証である十字架が輝いている。 その風貌は、高潔な聖職者のようでありながら、同時に数万の死刑執行書にサインをしてきた独裁者の冷酷さを併せ持っていた。
聖槍異端監察庁(H.L.O.H.)長官、ヴァレリオ・アストリア。
「ようこそ、聖域の門へ。……約束の品はお持ちかな? 吸血鬼の女狐よ」
ヴァレリオは、ルシウスを片手で制し、穏やかな笑みを浮かべてベルベットに向き合った。 その瞳は、目の前の吸血鬼を「敵」としてではなく、単なる「取引相手」として値踏みしている。
「ええ。……最高級の『鍵』よ」
ベルベットが指を鳴らすと、ヘリの中から二人の従者に抱えられ、一人の少女が引きずり出された。
天羽 祈。
彼女は両腕を後ろ手に拘束され、口には猿ぐつわを噛まされている。 豪奢な拘束具には、魔力を封じる術式が刻まれており、彼女の抵抗力を完全に奪っていた。 意識は朦朧としており、足元はおぼつかない。 泥だらけの裸足が、荒野の砂利を引きずる。
「……ん、うぅ……」
祈が、うわ言のように呻く。
「……灯さん……助けて……」
ヴァレリオは、無造作に祈の顎を持ち上げた。 まるで、市場で家畜の歯並びを確認するかのような手つき。彼は、祈の瞼を指で押し広げ、その瞳を覗き込んだ。
右目の青。左目の赤。 相反する二つの色が、混沌の中で美しく輝いている。 天使と悪魔。本来なら交わるはずのない二つの血が、一つの器の中で奇跡的な均衡を保っている証明。
「……素晴らしい」
ヴァレリオの瞳に、狂信的な歓喜が宿る。それは、信仰という名の狂気だった。
「天使と悪魔、相反する血が奇跡的なバランスで融合している。……これならば、天界の門をこじ開ける楔になる」
彼は、祈の髪を愛おしそうに撫でた。 それは人間への愛情ではない。核ミサイルの発射スイッチを手に入れた軍人の、陶酔に近い感情だ。
「長官。……本当に、吸血鬼と取引をするのですか」
ルシウスが、苦々しげに問う。 彼の信念において、魔女との取引など許されざる背信行為だ。
「手段を選ぶな、ルシウス」
ヴァレリオは、祈から目を離さずに答えた。
「我々の目的は『最終浄化』。……この穢れた地上を洗濯し、神の庭を取り戻すことだ。そのためには、どんな鍵でも使う。たとえそれが、悪魔の手から渡されたものであろうともな」
ヴァレリオの目的。それは、祈を触媒として天界の門を開き、天使の王・メタリオンを召喚すること。圧倒的な光の力で、地上の全ての異端――吸血鬼、悪魔、妖怪、そしてそれに加担する人間たちを一掃する。彼にとって祈は、そのための「使い捨ての鍵」に過ぎない。
「……満足いただけたかしら?」
ベルベットが、煙管を吹かしながら問う。
「報酬は?」
ヴァレリオは、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。古風な封蝋が押された、不可侵条約の書類。 そして、小瓶に入った赤い液体――高純度の聖血(聖人の血)。
「我々が『最終浄化』を終えるまでの間、貴公らミラー家への干渉は控えよう。……そして、この大陸での狩り場も保証する」
「交渉成立ね」
ベルベットは書類と小瓶を受け取り、満足げに微笑んだ。ルシウスが、殺意のこもった目で彼女を睨む。ベルベットは、わざとらしくルシウスにウィンクを送った。
「怖い顔しないで、神父様。……私たち、これからはお隣さん同士よ?」
「……貴様を浄化する弾丸は、常に装填されている。忘れるな」
「フフッ。期待して待ってるわ」
ベルベットは、震える祈の元へ歩み寄った。 そして、彼女の耳元に唇を寄せ、冷酷に囁いた。
「恨まないでね。……貴女の血が、私を王にするのよ」
「んぐっ……!」
祈が抵抗しようと身をよじるが、騎士団の男たちに押さえつけられる。彼女はそのまま、H.L.O.H.の装甲車に乗せられ、巨大な城壁の中へと消えていく。
「……では、失礼する。良き終末を」
ヴァレリオが踵を返し、ルシウスもまた、忌々しげにベルベットを一瞥して去っていく。H.L.O.H.の部隊が撤収していく。 砂煙が舞い、静寂が戻る。
ヘリのタラップに立ち、それを見送るベルベットの口元には、ヴァレリオさえも欺く嘲笑が浮かんでいた。
「……愚かね」
彼女は、手にした不可侵条約の書類を、煙管の火で燃やした。羊皮紙が灰になって風に舞う。
「精々踊りなさい、神の犬。……貴方たちが開くのは天国への門じゃない。地獄の蓋よ」
ベルベットの真の目的。それは、領土の確保でも、不可侵条約でもない。 『始祖殺し』。
全ての吸血鬼の頂点にして起源、真祖ヴィクトル・ノスフェラトゥ。数千年の時を生き、死ぬことさえできずに玉座で微睡む怪物。 彼を殺し、その座を奪うことこそが、ベルベットの悲願であり、野望の全て。
だが、真祖は不死身だ。日光も、聖銀も、魔術も通じない。 彼を殺せる唯一の存在――それが、伝説にある『救世主』。ハルマゲドンの混沌が極まった時、世界をリセットするために現れるとされる高次存在。 その「メシアの血」だけが、真祖に死を与える毒となる。
「H.L.O.H.が祈を使って儀式を行えば、必ず悪魔軍(黙示録団)が動く。……天と地がぶつかり合い、世界が崩壊する時、メシアは降臨する」
ベルベットは、西の空――ヴァルチアンの方角を見つめた。
「私は、その瞬間を待てばいい。……現れたメシアを狩り、その血を啜るために」
彼女は、祈というマッチを擦り、世界という薪に火を放ったのだ。燃え上がる炎の中で、自分が最強の捕食者となるために。
「さあ、始めましょう。……世界を巻き込んだ、壮大な茶番劇を」
ベルベットが合図をすると、ヘリコプターが上昇を始めた。 眼下には、祈を乗せた装甲車が、要塞都市の門へと吸い込まれていくのが見えた。それは、決して開くことのない檻への収監であり、神の屠殺場への入場行進だった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




