第九話「聖地への誘い」2
第二章 裏切りの朱雀
感動的な別れも束の間。突如、虹海の大気が変質した。 湿潤だった空気が一瞬にして乾き、肌を焦がすような熱波へと変わる。 足元の水たまりがジュッという音を立てて蒸発し、白い湯気が立ち込めた。 瓦礫の隙間から生えた雑草が、耐えきれずに自然発火し、赤い舌を伸ばす。
「……暑苦しい客のお出ましだ」
久遠灯が、反射的にM500を構え、空を睨む。紅い霧が渦を巻き、真紅の炎が舞い降りた。 それは物理的な火炎ではない。存在そのものが熱源となっている、圧倒的なエネルギーの具現化。
炎の中から現れたのは、背中に巨大な炎の翼を生やした男だった。 燃えるような赤髪。黄金の瞳。 素肌に纏ったチャイナ服のような装束は、風に煽られるたびに火の粉を撒き散らす。
そしてその隣には、真紅のチャイナドレスに革ジャンを羽織ったベルベット・ミラーが、優雅に煙管を燻らせて立っていた。熱波の中でも汗ひとつかかず、その肌は陶器のように白い。
「ごきげんよう、灯。……いい見世物だったわ」
ベルベットは、ヒールの音を響かせながら瓦礫の山を歩み寄る。その足元では、熱波でアスファルトが飴のように溶けていく。
「青龍の継承に、人工ドラゴンの討伐。……私の『可愛い妹』にしては、上出来ね」
「テメェに褒められても嬉しかねえよ」
灯が睨みつけるが、ベルベットは意に介さない。彼女は煙管を回し、隣の男を見上げた。
「挨拶なさい、イェン」
「……心得ている」
男――イェンと呼ばれた青年が、一歩前へ出た。その動作だけで、熱気が膨張し、呼吸をするのも苦しいほどの圧力が場を支配する。彼は、私たちを見下ろすように、傲慢な笑みを浮かべた。
「我が名は朱 焔陽。……南方を司る守護神、朱雀の当代なり」
朱雀。 かつて大陸の均衡を保っていた四神の一柱であり、その責務を放棄して裏切った堕ちた神。
焔陽の視線が、老人に向けられた。
「久しぶりだな、陳 幽寂。……いや、老いた白虎よ」
「……焔陽」
チェン爺が、呻くようにその名を呼んだ。 老人の拳が震えている。それは恐怖ではなく、かつての盟友が変わり果てた姿に対する、深い悲しみと怒りだった。
「なぜだ。……なぜ、大陸を捨てた。我らの誓いを忘れたか」
「誓い? ククッ、笑わせるな」
焔陽は、嘲笑った。 その笑い声に合わせて、周囲の空気が陽炎のように揺らぐ。
「我らは神だぞ? なぜ、蟻のような人間どものために、泥にまみれて『守護者』などというボランティアを続けねばならん?」
彼は、ベルベットの肩を抱いた。
「時代は変わったのだ、老兵よ。……これからは、力ある者が世界を支配し、愉悦を貪る時代だ。あの青龍のように、人間に狩られて封印されるなど、真っ平御免だ」
「貴様……ッ!」
チェン爺が踏み出そうとするが、熱波に耐えきれず、膝をつく。
「おや。……そちらの嬢ちゃんが、新しい『青龍』か?」
焔陽の興味が、王 麗琳へと移った。 彼は値踏みするように、リーリンの全身を舐め回す。
「フン。……王家の『出来損ない』か。死に損ないの青龍の力を借りてようやく覚醒とは、随分と安っぽい龍が生まれたものだ」
「……!」
リーリンが、青い鱗を逆立たせる。 彼女は機械の身体を捨て、真の龍として新生したばかりだ。その誇りを傷つけられ、風のオーラが激しく渦巻く。
「安っぽいかどうか……その身で試してみる?」
「威勢だけはいいな、小娘」
焔陽は、鼻で笑った。
「だが、覚えておけ。……貴様が継いだのは、敗北した神の力だ。我の炎の前では、その青い鱗も瞬く間に灰になる」
「無駄話はそこまでよ、イェン」
ベルベットが、煙管の先で焔陽を制した。彼女は、興味深そうに灯を見つめた。
「単刀直入に言うわ、灯。……私の『ミラー家』に来なさい」
それは勧誘というより、所有権の主張だった。
「H.L.O.H.との戦争が始まる。あの人は動かない。……だから、私が主導権を握る。貴女の力が必要なの」
「断る」
灯は即答した。 迷いなどない。
「私は誰の駒にもならない。……私の家族を守るのは、私だ」
「……家族?」
ベルベットが、可笑しそうに鼻を鳴らした。 彼女は煙管を口から離し、憐れむような目で灯を見下ろした。
「まだそんな人間ごっこを続けているの? ……吸血鬼にとって、血の繋がらない他者など、餌か道具でしかないというのに」
「アンタには分からねえよ。……血よりも濃い、泥の味ってやつがな」
灯が言い放つと、背後で白雪美流愛や鉄鏡花たちも武器を構えた。 満身創痍の身体。勝ち目などないことは明白だ。それでも、彼女たちは一歩も引かない。
「残念ね。……交渉決裂よ」
ベルベットが、パチンと指を鳴らした。乾いた音が、処刑の合図のように響く。
「さて。……灯は殺すなと、『あの人』から釘を刺されているけれど……」
ベルベットは、冷酷な瞳で灯以外のメンバーを見渡した。
「他の有象無象は、灰にしても構わないわよね? ……焼き払いなさい、イェン」
「御意」
朱 焔陽が、翼を広げた。その瞬間、世界が紅蓮に染まった。
ボオオオオオオッ!!
爆発的な熱線が、灯たちを襲う。 それは魔術の火炎ではない。太陽のフレアを地上に再現したかのような、純粋な熱エネルギーの奔流。
「くっ……!」
辰巳響とリーリンが前に出る。 二匹の龍は、即座に反応した。
「やらせるかよ! 水壁!」
「風よ、障壁となれ!」
響が地下水脈から水を汲み上げ、リーリンが風を纏わせて盾を作る。水と風の防壁。 だが、朱雀の炎は、それらを一瞬で蒸発させた。
ジュワアアアアッ!!
大量の水蒸気が発生し、視界を奪う。
「熱っ!?」
「ぐぅ……ッ! 格が、違う……」
響とリーリンが吹き飛ばされ、瓦礫に叩きつけられる。新生したばかりの青龍と、病み上がりの東の龍。万全の状態であっても苦戦する相手に、今の消耗しきった二人では、足止めさえも叶わない。
「弱い。……あまりに脆いな、新しき龍よ」
焔陽は、地面に降り立つことさえせず、空中から冷ややかに見下ろした。
「クソッ……!」
灯がM500を連射する。だが、弾丸は焔陽の身体に届く前に溶解し、鉛の滴となって地面に落ちた。 物理攻撃も、魔術も通じない。 圧倒的な「格」の差。
「しまっ……!」
美流愛がワイヤーを展開するが、ベルベットの操る血の荊棘に絡め取られ、逆に身体を拘束される。鏡花のサブアームも、高熱で回路が焼き切れ、機能不全に陥る。
絶体絶命。 だが、ベルベットの狙いは、殺戮ではなかった。彼女の真紅の瞳が、瓦礫の陰で震えている一人の少女を捉えた。
天羽祈。
「……見つけたわ」
ベルベットが、妖艶に唇を歪めた。
「その子は『鍵』よ。……天使と悪魔、その両方の血を持つ禁忌の子。来るべき聖戦のトリガー」
「……え?」
祈が顔を上げる。そのオッドアイが、恐怖に見開かれる。ベルベットの背後から、焔陽が音もなく降下した。
「祈! 逃げろ!!」
灯が叫び、身を挺して割って入ろうとする。だが、遅い。
シュボッ!
焔陽が翼を一振りすると、熱の檻が生成され、灯たちを弾き飛ばした。 炎の結界が、祈だけを孤立させる。
「いや……! 灯さん! みんな!」
祈が杖を振り上げるが、焔陽はその手首を無造作に掴み上げた。熱い。火傷しそうなほどの高熱。
「無駄だ、混血。……貴様の魔力など、我の炎の前では蝋燭の火に等しい」
「放して……! 嫌だぁっ!」
祈の体が、宙に浮く。 焔陽は彼女を小脇に抱え、再び空へと舞い上がった。
「祈!!」
「祈ちゃん!!」
響と李 小蓮が絶叫し、炎の壁に突っ込む。だが、高熱に阻まれ、近づくことさえできない。 肌が焦げ、髪がチリチリと燃える。
「……連れて行くわ」
ベルベットが、ヘリコプターの縄梯子に手をかけながら、灯を見下ろした。 その表情は、勝利者の余裕に満ちていた。
「返して欲しければ、西へ来なさい。……『アストエル』。神と悪魔が殺し合う、約束の地で待っているわ」
プロペラ音が轟く。ヘリは、焔陽と共に西の空へと機首を向けた。 連れ去られていく祈の泣き声が、風にかき消されていく。
灯は、M500を握りしめたまま、呆然と空を見上げた。まただ。 また、守れなかった。 1000年前の周。タマ婆。 そして今、家族の一人である祈が、目の前で奪われた。
「……ッ、ふざけんな」
灯の身体から、どす黒い殺気が噴き出した。 それは、吸血鬼としての渇きと、人間としての怒りが混ざり合った、凄まじい情念の炎。
「逃がすかよ……!」
灯は瓦礫を蹴り、炎の壁を突き破ろうとした。だが、鏡花がその腕を掴んで止めた。
「待て、灯! 今追っても無駄だ! ……機動力がない!」
「離せ! 祈が連れて行かれるんだぞ!」
「だからこそだ! ……座標は特定した! 闇雲に追っても、消耗して全滅するだけだ!」
鏡花の冷静な、しかし必死な叫びに、灯は動きを止めた。 彼女は唇を噛み切り、血を流しながら、遠ざかるヘリの機影を睨みつけた。
西の空が、夕焼けのように赤く染まっていた。 それは太陽の光ではない。 戦火の色。ユーガリア大陸の向こう側で始まろうとしている、最終戦争の予兆だった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




