【3-13】目覚め(チハルside)
——ふと瞼を開くと、目に入るのは懐かしい木目の天井だった。
視界は鮮明。耳には障子の外で鳴く蝉の声が入ってくる。身体は熱がある様で気怠くとても重かった。
ぼんやりとしながらも右手を動かして面前まで上げると、握ったり開いたり繰り返す。してゆっくりと上体を起こせば、案の定背中と胸の傷が酷く傷んだ。
「っ……」
小さく呻いた後、顔を少しだけ上げる。
ベタつく肌に汗が伝い落ちた後、改めて周囲を見渡せば、ここはやはり見覚えのある部屋だった。しかしそれは、とうの昔に置いてきた僕の記憶の方であったが。
(彼は……眠っているのか)
そう胸に手をやりつつ、頭のどこかで眠っているであろう彼の人格を考えていれば、外から男らしき二人の話し声が聞こえてきた。
耳を澄ませれば、どうやら自分について話しているらしい。
「正直な所、貴様の様な素性の知れない医者になど診せたくはないのだが……マコト様の頼みだからな」
渋る男の声。それに対し医者らしき男も呆れ混じりに返した。
「ま……君達の気持ちは分からなくもないけどね」
即座に反発するといった様な気はないが、かと言って納得もしていない。
そんな二人の苦々しいやりとりに思わず僕は苦笑してしまうと、僕は深く息を吐いて目を瞑る。
(さて……どうしようか)
少なくとも、キュウ様が望んでいた様に一応は人格も記憶が戻り、下層世界にも戻って来た訳だが。だからといって、このまま朝霧家当主になるという訳ではない。先ずは今の朝霧家の状況を知らないと上手く動けやしないだろう。
なんて考えながら目を開けば、同時に障子が開く。そこには上層にて助けてくれた医術師タルタ・ソーウェルと、十年前の襲撃の際に身を挺して僕を守ってくれた雪知の姿があった。
二人はその場で立ち尽くし僕を凝視した後、真っ先に雪知が声を上げて駆け寄る。
「ち、チハル様⁉︎ お、お身体は⁉︎」
「とりあえずは……生きているよ。後、朝霧を長い間空けて済まなかった」
「っ、いえ……いえ! こちら、こそ、最後までお側に居れず申し訳ございませんでした……!」
涙ぐむ雪知。そんな彼に眉を下げつつ頭に手をやる。
十年も経てば、当時はまだ若かった彼もそれなりの貫禄があって、綺麗な黒髪にもちらほらと白髪が見える。手も昔よりも傷が増え、硬くなっていた。
きっと計り知れない程の沢山の苦労や困難があったのだろう。
家を守ってくれた感謝を口にしつつ、彼に対して申し訳なく思っていれば、もう一人の視線を感じて頭を上げた。
「キサラギ……?」
恐らく口調の違いに困惑しているであろうタルタに、僕もまた困った様に笑った後、「どちら様ですか」と呟く。して、より顔を歪める彼に笑った後「冗談です」と返して言った。
「タルタ・ソーウェル。三大魔術師の一人で、今は流浪の旅団の団員兼医術師……ですよね?」
「あ、ああ……って、覚えてはいるのかい?」
「はい。知っています。ですが、僕はキサラギではありません。僕はこの身体の本来の人格で、朝霧チハルと言います」
「!」
タルタは驚き「あー」と納得する様に唸った後、顎に手をやる。医術師である彼だからこそ、早く理解したのだろう。
その一方で雪知はキョトンとすれば、僕とタルタを交互に見て彼はこう言った。
「ち、チハル様、そのキサラギというのは一体……マコト様やもう一人の狼の男も言っていましたが」
「ちょっと、まあ。色々あってね。詳しい事は後で話すよ。……それよりも先ずは、今の朝霧の状況を知りたい」
教えてくれないかな。と雪知に訊ねれば、彼は表情を固くした後、間を空けて頷く。
タルタは僕の傍に腰掛けると、手にしていた手当ての道具が入った籠を開けて言った。
「良ければその話、僕も包帯を変えつつ聞いて良いかい? 僕達もイマイチ状況が分かっていないんだ」
「ええ。良いですよ。……雪知も良いよね」
「チハル様がそう言うのであれば」
反対はしないと言いたげにこちらを真っ直ぐ見る。タルタはそれを見て僅かに肩から力を抜けば、「じゃあ」と言って、僕の着物に手をやる。
僕はそれに委ねて着物を脱げば、彼に包帯を外されつつ、雪知の話に耳を傾けた。
※※※
朝霧は、下層世界の聖園領域南部にある、いくつかある小国の一つである。
ここだけ見れば上層の聖園領域とそう変わりはしないが、下層では南部と北部で大きな文明の差がある。
特に盆地にあるここ等の国々は、外にある様な【機械】もなければ、【鉄道】や【車】もない。かなり技術が遅れた所だった。
何故この様な遅れが生じたのか。説は様々あるが、一つはこの山に囲まれた地形によって、外界から隔たれている所為だと言われている。
後は聖園領域神の影響が強いとも言われている。朝霧家含め、ここ等の全ての家の祖は聖園領域神になるらしい。
それ故に上下関係を付けようと、家同士で争う様になり。そしてこれがかれこれ数百年続いている事から、ここ等一帯を【戦國領域】と呼ぶ様になった。
さて。そんな領域にある我が朝霧家。雪知の話によれば、僕が想像していたよりも大きく変わってしまったようである。
「父上だけでなく、母上も……」
「——はい」
長い沈黙の後、雪知は小さく返事をする。
今更ながら両親を失った事に心痛を感じると、雪知も悲痛な表情を浮かべて言った。
「あの日道中での襲撃の後、北側の屋敷も焼かれ……その際にセンテン様が。幸いにもその際はマチ様はお救い出来たのですが……」
雪知曰く、当時孕っていた母上はその後子を産んだものの。それからまもなくして、隣国の刺客に狙われた我が子を守ろうと身を挺して庇い、この際に受けた傷が原因で命を落としたという。
尚、生まれた子は今も生きている様で、雪知の話によれば、今は現当主として家をまとめていると言う。
「とはいえ、その子はまだ九歳位だよね」
「ええ。ですから後見人がついています。政も後見人が」
「なるほど……して、その後見人とは?」
「センリュウ様です」
「ああ……」
朝霧センリュウ。父・センテンの叔父にあたり、朝霧家の分家の当主でもある。
父の代から重臣として政を手伝い、自分自身も世話になっていた覚えがある。彼であればその立場にいてもおかしくないだろう。
しかし、それに関して雪知は表情を曇らせると、一瞬タルタを見た後呟いた。
「以前はともかく、今は……」
「……」
歯切れが悪い雪知の言い方に、僕は以前マコトから聞いたであろう記憶を思い浮かべる。
あの時はキサラギとしてだったが、記憶自体は共有されている様で、直接聞いたかの様に鮮明に覚えていた。
(確か分家が好き勝手しているとか何とか……)
そう朝霧家の現状を聞いた時は、特に驚きもしなかった。何せその頃から仲が何となく悪いのは察していたからだ。
センリュウも父に対しては良くしていた覚えはあるが、一方で家同士では対立していた。
そんな事情もあってか、センリュウは分家の者に強く言われていたと聞いた事がある。要するに本家と分家との板挟みである。
故に彼は常に胃痛を起こしており、よく胃薬を持ち歩いていた。
(けどそんなセンリュウも、父がいなくなれば流石に変わるか)
直接会ってみるまで確信はできないが、もしマコトの話通りであれば、少なからずともセンリュウも関わっているだろう。
残念に思いつつも一方で理解もすれば、僕は深く溜息を吐いて頭を抱えた。
「……大体の事は分かった。タルタも、長い時間付き合わせて申し訳ない」
「いや大丈夫だよ。それよりも君はまだ寝ていないと。まだ無理をしてはいけないんだから」
「そうしたいのは山々なんですけどね……僕には時間がないから」
そう言うとタルタは眉間を寄せる。雪知も心配してか、名を口にしつつ僕の左手を握った。
「そうは言っても、まだ無理をなされては……それに帰ってきたばかりですしお疲れでしょう?」
「確かに身体は万全じゃない。……でも、それでも。やっておきたい事があるんだ」
お願い。と言えば、彼は困った表情を浮かべる。して、「そこまで言うのであれば」と返した。
これにはタルタも呆れてはいたが、彼を連れ歩く事で了承してもらうと、僕は笑んで礼を言う。
「ありがとう雪知。じゃあ早速……」
着物を着直した後、布団から立ちあがろうとする。だが、視界が回り始めふらつくと、雪知とタルタがそれぞれ叫び、左右から手を伸ばした。
「チハル様ぁっ⁉︎」
「ほらやっぱり無理だよ! 寝とかないと!」
脱力する僕を二人がかりで布団に戻される。
想像以上に弱っている身体に僕は呻ってしまうと、タルタに布団をかけられた後、呆れ混じりに雪知が言った。
「仕方がありませんね……チハル様、代わりにこの雪知が貴方様の手足となります。なので、ご指示を」
「と、とりあえず、マコトとフェンリルを……って、来たのはタルタ含めて三人ですよね?」
「ええ。チハル様のそばに居たのはその三人と、後はキュウ様です」
「じゃあ、その三人を……」
「分かりました」
頷くと、雪知はタルタを見た後部屋を後にする。
先程から一々タルタを見る雪知に、僕は小さくタルタに謝った。
「うちの雪知が申し訳ない」
「別にいいよ」
従者としての性だろうから仕方がない。そうタルタは苦笑いした。




