【3-5】トトという魔術師(フェンリルside)
俺がオアシスの魔術師によって封印されてから、約二年程経った頃。
聞き覚えのない声と共に目を覚ました俺は、ぼんやりとした視界の中、金髪の女性らしき姿が見えた事で、不意に口を滑らせてしまった。
「母さん……?」
「おや、まだ寝ぼけているのかな。残念ながら私は君のお母さんじゃないよ」
「?——ッ⁉︎」
指摘されてから数秒後。完全に覚醒した俺は、改めて目の前の人物を凝視する。肩までの跳ねっ毛のある濃い金髪に、これまた紅く熟れたりんごの様な瞳。
茶の外套を纏い動き易そうな格好をした彼女は、覗き込む様に顔を近づけると、俺の目の前で手を振って声を掛けてくる。それに俺は眉間を寄せると、低い声で訊ねた。
「お前……何者だ。俺の封印をどうして解いたんだ」
「どうしてって……そりゃあ、綺麗だったから」
「綺麗?」
「うん」
雪の様に綺麗な髪で、イケメンだから。
予想外の答えに俺は唖然とすれば、彼女はこちらの気も知らず、手を伸ばしてこう言ってきた。
「ねえ。もし良ければ私の用心棒にならない?」
突拍子にそんな事を言うものだから、俺は開いた口が塞がらないでいると、女はにこりと笑って無理やり俺の手を掴んだ。
——これが、後に俺の恩師となる三大魔術師トト・オールポートの出会いだった。
最初はただの人間で魔術師の女かと思いきや、その後彼女の追手との戦闘にて、次々と披露された高難易度かつ美しい魔術に、俺は彼女の技術力だけは認めざるを得なかった。
『私の魔術はあくまでも芸術性に長けているだけだから、戦闘には不向きなんだよ』
そう彼女は口癖の様に話していた。であるからこそ、用心棒が必要だったのだろう。
とはいえ、基本となる戦闘に用いられる様な主魔術が使えない訳ではない。本当に身の危険を感じた時だけ、彼女は炎系統の魔術を使うのである。
更に彼女は意外にも勉強家で、芸術系統以外にも主魔術や回復魔術まで、様々な魔術の本を集めては勉強していた。だが、使う時は大抵芸術系統の魔術でどうにかしようとする。……何故そうまでして芸術系の魔術にこだわるのか。
一緒に過ごす様になって半年が過ぎた頃、俺はその疑問を一度だけトトさんにぶつけた事がある。それに対して彼女はキョトンとした後、柔らかい笑みを浮かべてこう言った。
『美しいものを見れば戦意を失うかなと思って』
君も私より長生きしているんだし、色んなもの見てきたでしょ。
続けてそう言った後、トトさんは趣味で描いていたスケッチブックを俺に渡した。そこに描かれていたのは確かに見覚えのある風景だった。
春を迎えた神獣山。ネモフィラに混じって咲き乱れる氷空花。聖園領域に行った際に見かけたであろう桜に紅葉の葉。雨の降るラピスラらしき街。
パラパラと捲りつつ、俺は小さく「戦意を失う……な」と半信半疑で呟けば、トトさんは微笑を浮かべたまま言った。
「綺麗事ではあるんだけどね。でも、生きていると何かしら忘れられない景色ってあるじゃない? それがいつも生活している場所だったり、はたまた遠くまで行って見つけた花畑だったり。そういうのを呼び起こして戦意を失わせるの」
「……けど、それがない人だっているかもしれないだろ? もしかしたら思い出したくない光景だってあるかもしれない」
そうなったら逆上されるのでは。そう言うと、トトさんは目を伏せて「そうだね」と返す。してすぐにこう言った。
「ま、その時は相容れなかったで終わりだよ。でも、私が描きたいのはただありのままの風景だからさ。そういった美しさを私は大事にしたい」
彼女はそう言って、俺からスケッチブックを受け取る。その言葉の意味を理解したのは、それから数年経った後だった。
季節は梅雨。新緑の葉を雨が長らく濡らす頃。俺はトトさんに頼まれて麓の村に下りていた。
麓の村には一年前から俺の異母妹というルディが住んでいたが、目当ての物を買い揃え、彼女の家でルディと軽く話をしていた時だった。
よく世話になっている商人のミルコが、慌てた様子で扉をノックしてくると、ルディが扉を開けるなり俺に向かって山を指差しつつ叫んだ。
「さ、さっき神獣山に見慣れねえ奴らが数人向かったのを見たって……!」
「見慣れない奴ら?」
彼の慌てっぷりといい、怪しい奴らといい。嫌な予感がした俺は、二人と別れて急いでトトさんのいる家へ向かった。
というのも以前からトトさんは色んな組織に狙われていた。
それは旅の最中度々受ける襲撃とかで何となく察してはいたが、その原因となった出来事を語ったのはつい数ヶ月の事である。
偶々ラピスラにある実家に行った際、その街で見かけた、店頭に飾られている可愛らしい少女の姿をした人形を見た際、ふと眉を下げて彼女は言った。
『色んな美しさがあるけれど、中には受け入れられない美しさというものがあるんだよね』
どこか怒りも感じる低く悲しい声。何故その様に思ったのかと驚いたものだが、その後彼女の実家で語られた話に俺は更に驚愕したものである。
トトさんはかつてはグラスティアの専属魔術師だった。これに関しては前々から聞かされていた。
だが、その際にグラスティア内で極秘に行われていた【ホムンクルス実験】に嫌でも関わる事になり、そこでトトさんは何人ものデザイナーベビーを作り出した。
その子ども達は失敗作と呼ばれた子達も含め、様々な人体実験から、非道な作戦まで様々な事をさせられており、その殆どが成人する事なく長くても十代で命を落としていたらしい。
その様な光景を沢山見てきたトトさんは、この実験を何としてでも止めたかった。結果、なんとその事をオアシスに密告したという。
それによってオアシスはグラスティアを批判し、止める様に告げた。
これに対しグラスティアは否定した上、秘密裏に行われた実験内容が流出した事で、その犯人探しに躍起になった。
一方でオアシスもまた、見返りとしてトトさんにホムンクルス製造の技術を要求したが、彼女は二度とその技術を使わせまいとノートやらメモやら全てを火に焚べた。
その行動により、トトさんはグラスティアだけでなくオアシスにまで狙われる羽目になり、目的は違えど二つの国はトトさんを追いかけていた。
(それを知っていたのに……俺は……!)
彼女の頼みとはいえ、離れるべきではなかったと後悔した。
こうして普段は一時間は掛かる山道を、息を切らしながらもその半分以下の時間で家に戻ってきたが、扉に続く複数人の足跡を見て俺は肝が冷えた。
扉を開ければ案の定中は荒らされていて、床には誰かが負傷したのか、血の跡もあった。
頭の中が真っ白になる中、必死に正気を保とうとした俺は、震えた声で一人呟いた。
「まだ、トトさんの匂いがする。早く追わねえと」
半神とはいえ、俺は狼の半獣人の血も流れている。聴覚もだが、嗅覚もそれなりに優れていた。
必死に鼻を動かし匂いを辿れば、神獣山の上の方までそれは続いていた。
進む度に強くなるトトさんの匂い。……同時に独特の鉄の様な匂い。認めたくはなかったが、頭に浮かぶのは家の中で見つけたあの血痕だった。
そうして半ば現実逃避しつつ、針葉樹ばかりになってきた所で、俺は崖の様になっている岩場の側で倒れているトトさんを見つけた。
「トトさ……」
名前を呼び近づいた時、「ああ」と俺は絶望に満ちた声を漏らした。
景色に似合わぬ真っ赤な水溜りの真ん中で、背中を中心にいくつもの剣が刺さっている。
綺麗だった金髪も今は血によって黒く固まっていて、俺は数歩歩いた所で膝をつきうずくまった。
胃が絞られる様に痛くて、気持ち悪くて。恐怖とどうしようもない喪失感が俺の頭を強く殴ってきた。
えずき口を押さえた後、地面に生えたカタバミを見て俺は視界を歪ませる。
(また、俺は……)
大事な人を守れなかった。唇を噛み、拳を作って地面を殴ると、声を上げて泣いた。
たとえ目の前のカタバミが千切れても叱る人は誰もいない。埋もれた小石で手を傷つけても、それが自分の罪だと思って我慢した。
とにかくただただどうしようもなく、俺は悲しみに打ちひしがれた。泣いて喚いて、そして気付いた時には雨が降っていて。手を見れば土と血で酷い有様だった。
日は暮れ時折空が稲光で照らされる中、少しだけ顔を上げると、尚も動かないトトさんがいる。
雨によって少しだけ洗い落とされたトトさんの顔が見えると、俺はすり寄り、頬に張りついた彼女の髪を掻き上げた。
「……ごめん。トトさん。本当に……ごめん、なさい」
守れなかった事を謝り再び涙すると、これ以上冷えない様にトトさんの身体を起こして抱きしめる。
背中には痛々しい傷が残り、剣も残っていた。
きっとものすごく痛かっただろう。俺であればすぐ治るだろうが、彼女は人間である。傷なんかすぐに治る筈はなく、右手には未だに数日前に不注意で受けたナイフの傷が残っている。
俺は背中の傷を摩った後、胸の中に怒りの炎を焚き付けた。
誰かは知らないが、俺の大事な人を奪った。しかも多数で一人の女性を狙ったのである。ここで泣き寝入りする気など全く無かった。
「許さない……」
雷鳴が響く中、俺は恨みを込めた声で呟く。して、トトさんを抱えると、辺りを凍らせながら山を下ったのだった。




