アトンメント・プロジェクト~前編
勝利条件はふたつある。黄金の矢を用いて雛子と智樹を結ばせるか、鉛の矢を用いて雛子に俺を嫌悪させるかのどちらかだ。智樹の心に黄金の矢を突き立てる事も、自分に鉛の矢を打ち込む事もそこまで難しくない。問題なのは雛子だけなのだ。
雛子に黄金の矢ベータ、もしくは鉛の矢ベータのどちらかが命中すれば、あとは最後の心の集合体に矢を放つ。それで終わる。
肝心なのは雛子の攻撃力の高さと、甲虫の姿をしているが故の防御力だ。
硬いのである。関節以外は刃が通らない。硬さで言うのなら智樹の心とて硬いが、智樹は鎧の隙間に命中させれば済む話だ。事実、智樹に矢を命中させる事にならば何度も成功している。
ともすれば、最初に狙うのはまず智樹だ。智樹を落とし、万全の状態で、後の事は考えずとも済むようにして、捨て身覚悟で雛子を攻略する。どうせ死ぬ命なのだから、徹底的な捨て身を施行してやる。
「鉛の矢アルファ、装填」
出現した矢を、弓を握っている手で簡単に掴み、それで自分の肩を軽く切ってから、後ろへ放り投げた。第一プランが失敗に終わった時、すぐさま第二プランへ以降出来るようにするためだ。
「黄金の矢アルファ装填」
呟き、右手に握っていた短刀を口に咥える。そして開いた右手で、出現した黄金の矢アルファを掴んだ。
そうしているうちに、上半身だけの騎士と、巨大な蟷螂は距離を詰めていた。僕から見て右手側に騎士。左手側に蟷螂。もうすぐそこに来ている。
後ろへ飛んで距離を取り、弓を構えようとした。だが、取った距離はすぐさま詰められ、無くなる。最初に切りかかってきたのは騎士だ。
巨大な剣を上段に構え、そのまま振り落とされる。
飛んだ足が地面に着くと同時に右へ飛んだ。僕がさっき蹴った地面が、轟音を立てて抉れていく。崩れていく。そして飛び散った破片と攻撃の余波が僕に襲い掛かってきた。
数メートルほど吹き飛ばされたが、智樹の攻撃ではこうなると、昔から知っていた。何度も辛酸を舐めている。難なく体勢を立て直し、着地した。そのまま黄金の矢アルファを装填し、弦を引く。狙うは鎧の中で最も大きな隙となっている顔の部分だ。蟷螂は騎士が壁になっているため、今すぐには僕に攻撃出来ない。そうなるように僕は右へ飛んだのだから。
だが、読みが甘かった。
雛子の心、蟷螂の長い腕が、その刃は、騎士を避けて通ってもなお僕に届く長さだった。
いや、まだ、想定の範囲内だ。
左から回り込んでいたノコギリのような鎌を、弓を構えたまましゃがむ事で回避する。そして、低い体勢で矢を放った。矢は真っ直ぐ騎士の顔の空洞へ向かう。同時に咥えていた短刀を握って、騎士へ向かって駆け出した。
放った矢は騎士の鎧を通過する事なく、騎士が頭を下げただけで簡単に弾かれてしまった。頭部の鎧で防がれたのだろう。もしかしたら僕の狙いがずれていたのかもしれない。だが、これも想定の範囲内。
騎士が少しでも俯いている内にと、騎士へ向かって飛んだ。狙うは騎士の篭手の隙間。手首である。
短刀を少しだけ振り上げ、全ての体重を乗せて振り下ろす。
ずぶりと突き刺さる。そして騎士が呻く。
左手の弓を上へ投げながら短刀を引き抜く。そして騎士の腕の上で一歩踏み出し、弾かれて落ちてきた黄金の矢アルファを左手でキャッチしながら、右手に握っていた短刀を、下から掬い上げるようにして、騎士の顔へ向けて投げた。
騎士は再び、顔を背ける形で短刀を弾く。
僕は踵を返し、さっき短刀で刺した騎士の手首を睨む。
矢は、深く突き刺さったほうが効力が強くなるし、アルファの角張った形式上殆ど有り得ないが、戦闘中に誤って抜けてしまう事もしばしばある。それを阻止するためにはやはり、深くに突き刺すべきだろう。
傷口に沿うように、そこへ寸分の狂い無く振り下ろす黄金の矢。
刺さった感触は定かでは無い。少なくとも突き刺した体勢にはなった。
けれど、突き刺した事を確認するよりも先に、身体が宙を舞った。
攻撃されたのではなく、振り払われたのだとすぐに気付いた。
空中をさ迷ったのは一秒あるか無いか。さっきまで体育館の壁だったものに叩き付けられる。
「がは!?」
受身には失敗した。吐血こそしなかったが、かなりのダメージを受ける。脳が揺れているせいで着地は出来なかった。ダークブルーの地面の上に膝を着く。
視界がぼやける。が、蟷螂のシルエットが近付いてくるのが解った。細い腕が振り上げられ、そして一瞬だけ止まったように見えた。
そこでようやく、鎌が振り落とされようとしているのだと気付いた。もう攻撃の届く距離に居たのだ。
視界も戻らないまま、這うようにして横へ飛ぶ、いや、滑る。
さっきまで僕が居た場所に、重く何かが突き刺さる音がした。その音だけでも鳥肌を誘うような、砂を分子レベルで切り裂いているのではないかと思うような、そういう音。
距離を取るべくして何度か転がる。止まるために四つん這いになる。そこでようやく、僕は自分の手にアルファが握られていない事に気付いた。さっき投げた短刀は勿論だが、矢が無いという事は……。
戻り始めた視界で目を凝らす。蟷螂の後ろからこちらへ近付いてくる騎士。その手首に、黄金の何かが刺さっている。アルファだ。ちゃんと刺さっている。第一段階は成功だ。そして騎士の足元に黒い短刀が落ちているのが見えた。
「黄金の矢ベータ装填」
早口に呟きながら、騎士の足元へ向かって駆け出す。出現しかけの、魔方陣の段階のそれを右手で引っ掴みながら、左手で握っていた弓から人差し指と中指を外す。右手のそれが矢に形成された時には左手に持ち替えていた。左手に弓と矢の両方を握っている形になる。
蟷螂の右を通り抜けようとしたが、それを妨げようとしてか、それともただの純然たる攻撃意思か、蟷螂の細い脚が、僕を踏みつけんとして降りかかってきた。横へステップして回避し、ともかく短刀を拾うため、次のステップで軌道修正をして駆ける。
右手首を負傷した騎士は左手だけで巨剣を振るってきた。左から襲い来る、僕よりも遥かに大きなその攻撃を黄金の矢ベータで受け流しつつ、僅かに身を捩じらせる。
騎士の攻撃は、真っ向から受け止められるような代物ではない。だからせめて軌道を逸らそうとしたのだ。
実際にそれは成功した。めいっぱいの力を込めて、巨剣は僕の頭上を掠めてそのまま通過していく。
けれど、威力を殺しきれなかった。
そのまま走り抜けようとした僕はしかし、右側へ流れる力に逆らえずに横転。三回ほど地面にバウンドしたところでようやく受身を取り、止まった。
途端に心臓が張り裂けそうになる。目前には騎士。右後ろでも左後ろでも無い、正真正銘の真後ろから蟷螂の気配。
挟まれた。
当然背中に目があるわけでも無い僕は、僕よりも圧倒的に高い攻撃力を持つ二人の心を相手にこの状況はまずい。
騎士のほうへ向かうべく地面を蹴りかけたが、同時に後ろを確認して、駆け出す事を中断。蟷螂の刃が横凪に振るわれていたからだ。
「づっ!?」
前へ駆け出すために踏ん張っていた足を無理矢理方向転換し、真上へ飛んだ。身体と地面が水平になる。
鎌は僕の顎と膝を掠め、いや、制服のズボンの膝を引き裂いて、しかし身体には触れず通過した。
着地と同時に、体勢は再び四つん這いへ。殆どクラウチングスタートに近い形になった。その体勢を利用して、一気に駆け出す。
そのまま一直線に短刀を拾い上げようとしたが、さっき巨剣を振るったはずうの騎士の腕が戻ってきた。巨大な鎧が、鉄の塊が僕に襲い掛かる。巨剣を振るった反動のせいで、まだ切り返してくるには早すぎる。
襲い来る騎士の肘打ち。身体を後ろへ逸らすが、それだけでは回避しきれない。野球のスライディング然とした体勢で地面との距離を0にする事で、鉄の塊を頭上に受け流す。余波の風が胸を圧迫してきたが、構わず滑りきり、短刀を掴み上げると同時に立ち上がった。
そのまま走り抜ける事で、騎士の後ろへ回り込む。そこでようやく振り向く。
挟撃からこそは脱したが、さっきの二の舞だ。騎士を回り道してきた蟷螂の鎌がすぐそこに迫っていた。回避は間に合わない。短刀で真っ向から受け止めるが、力の差は歴然。体勢を崩さないために全身の力を込めるが、僕の身体は地面に杭を打たれて止まっているわけではない。蟷螂の押す力に大敗し、ローラーブレードを履いているわけでもあるまいに、数メートルほど地面を滑った。
短刀がのこぎりによって削られていく。なんとか体勢を保ち続けて、耐え切った。雛子の攻撃に巻き込まれる形で刃の内側へ内側へと運ばれていってしまったが、雛子は騎士の身体越しに僕を攻撃していたのだ。蟷螂の腕の根元が騎士に当たったところで、刃が止まった。
今だ。
鎌と腕の付け根。そこへ向けて短刀を走らせる。
「だぁあぁらっ!」
短刀にノイズが走った。一瞬だけ消えかかる。
だが耐え切った。短刀は消える事なく、蟷螂の鎌を切断するまではいかずとも、決して浅く無い傷を与えた。殻を破ったのだ。
追撃したいところだが、騎士の手が迫っていた。いつのまにか巨剣は手放されている。そこでようやく、挟撃された際のありえない切り替えしの理由が解った。
騎士は巨剣を振るった後、すぐさま剣を手放した事で、腕を自由にしていたのだと。
仕切り直しが必要だ。何度かバックステップを踏んで騎士の手から逃れつつ、蟷螂と騎士から距離を取った。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ」
右手に短刀。左手には弓と黄金の矢ベータ。今でもしっかりと握られている事を感触で確認する。
体力の消耗が激しいが、全身に力が入らないわけでもない。体育館の壁に背中を打った程度のダメージ以外は、まだ無い。
順調だ。
そう思った。
ユリアが何かの神だと言いたいわけでは無いが、ユリアの加護を確かに感じる。ユリアが僕を正義だと言ってくれたから、だから僕は自分が勝てると、今も本気で信じている。思えている。勝てる気が毛頭しなかった前回の時とは全く違う。
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、少し離れたところに居るユリアを見た。何かを耐えるように唇をかみ締め、震える左手で十字槍を抱きしめ、その左手に右手を添えている。
加勢したいと思っているのだろう。どちらにかは解らない。僕の手助けをしたいと思ってくれているのか、それともこれから感情を塗り替えられようとしている雛子達の事を思ってくれているのかは、僕には当然知る由も無いのだ。
けれど、微笑ましく感じたのは、その加勢したいという感情を惜しげもなく放っているくせに、加勢せず、見届ける事に徹してくれている事だった。
これは僕と、雛子、智樹の戦いだ。智樹は勝手に連れ出したようなものだが、智樹が雛子の事を好いてくれているのは知っている。なら、彼とて不本意ではないはずだ。
そんな三人の戦いに、割って入ってはいけない。そう言い聞かせているのが、きっとあの右手だろう。
そうだ。その通りだ。僕は僕が正義たるため、僕の力で勝たなければならない。ずっと一人で戦ってきたのだ。最後もそうでなければ意味が無い。
ありがとう。と、心の中で呟いてから、雛子達との距離を確認する。
距離はまだ多少はある。最初の接近よりもペースが遅くなっているのは、騎士が僕の攻撃を受けた事で警戒しているせいだろう。
「ふぅ……」
息も大分整った。
右手の短刀と左手の弓矢を握り直し、そして視線にも力を込める。
短刀を逆手に持ち帰る。そして、開いた右手の人差指と中指、親指で、黄金の矢ベータを摘む。
『これからはずっと一緒だからね』
そんな言葉が脳裏を過ぎる。トラックに轢かれた昔の僕が目を覚まして、雛子が泣いて、泣き止んだ後に言ってくれた言葉だ。
「僕はね、あの時、嬉しかったんだよ」
自分が死ぬ事を、悲劇ともなんとも思わなかった。ああ死ぬんだな、その程度の事でしか無くて、コンマ一秒も迷わず、悔やまず、悲しまずに諦める事が出来てしまった僕に対して、代わりに雛子が悲しんでくれた。そこで初めて僕は、自分は死んではいけないのだと思えた。
矢を弓に装填。弦を引きながら狙いを定める。
途端に手が震えだした。息苦しくなって、心なしか視界が霞み始める。
雛子の呪いだ。
絵画世界に入った人間のほうは自身の心に沿った特殊能力を使えるという事はプシュケに教えられて知っていたけれど、雛子以外に、心だけが絵画世界に入っている状態で特殊能力を使う人間を、やはり僕は見た事が無い。
それでも雛子は確かに、この特殊な力を使うのだ。
逆手に握っている短刀がノイズを走らせた。一瞬だけ消えかけたが、なんとか形を保つ。
この弓を持つ手の震えと、懐刀の不安定な形成。これのせいで、雛子にまともな攻撃を入れられた試しが無い。雛子にこんな特殊能力さえ無ければ、今頃雛子は智樹と付き合っていて、そして人知れず僕は死んでいただろう。その展開を望んでやまない僕からすれば、どれほど厄介で、憎たらしい能力である事か。
しかしそれとももうおさらばだ。
勝つんだ。
勝って、さよならをするんだ。
本当ならばとっくに死んでいるはずの僕は、そうしなければならない。
それが例え、破綻した愛情表現なのだとしても。
震えが止んだ。
短刀のノイズが――消えた。




