アトンメント・プロジェクト~中編
呪いに打ち勝ったのだと、すぐに思った。ノイズも震えも止まって、あとはもう、勝利を掴み取るのみ。
そして放った黄金の矢ベータは、吸い込まれるようにして、雛子の、蟷螂の、刃と腕の付け根、つまり短刀で傷つけた場所に突き刺さる。
当たった。
百回。
その全てで一度も当たらなかった雛子を変える矢は、ついに通じた。
心臓が暴れ出す。吐き気がする程に脈打つ。
アルファとベータから放たれたそれぞれの心の滓が、その煙が交じり合っていく。ほの暗いピンクとエメラルドグリーンがマーブル模様を作り、球体となっていく。
あれに。
「黄金の矢デルタ、装填!」
あれにこれを打ち込めば終わりだ。
出現した黄金の矢を力強く掴む。逆手に短刀を持ったまま、順手で矢を握る。その仕草はまるでガッツポーズのようで、目前に迫った、渇望していた勝利に歓喜しているようだった。
逸る気持ちを押さえつけて、冷静に、正確に弦を引く。狙いを定める。
震えは無い。呪いの力は消えたのだ。これなら行ける。
球体が出現したのは蟷螂と騎士の向こう。雛子と智樹の二人が立ち塞がっているようにも見える。
だが、狙える。僕なら十分に、そして確実に射抜ける。
焦るな。
そう自分に言い聞かせる。
そして、矢を放
――祭吏っちって、どーしてそんなにお勉強してるの?
――僕にはハンデがあるから、そのハンデがあっても、好きな人に相応しい人間になるためだよ。
「…………え」
頭の中に直接響く声がした。まだ幼い、雛子と僕の声だとすぐに解った。
同時に、全身が一気に震え上がった。
狙い澄ましていた照準がぶれる。しかし弦は指先から離れ、矢は僕の意思から遠ざかる。
しまった。
デルタは蟷螂の足元を通過し、しかし狙っていた球体の手前で、地面に突き刺さる。
何かの墓標のように、地面に刺さって動きを止める。
『なら、その好きな人ってだれ? わたし? わたしだよね。わたし知ってるよ。わたしじゃないきゃだめだよ?』
『秘密だよ。絶対に秘密。せめて僕が、その人に相応しくなるまでは』
頭の中の声は続く。後ろからユリアが僕の名前を呼んだ。僕は掌を翳してユリアを制する。
今まで止まっていた呪いが膨れ上がって再発した。頭に響く声と共に、それに呼応するように身体が震える。
「……だまれ……」
口の中で呟いた。けれど声は止まらない。
『中学の制服似合うね!』『雛子も似合ってるよ。んーでも、雛子って僕にはいつもそれ言ってない?』『祭吏っちはなんでも似合うからね』『お前らもう付き合っちゃえよ』
僕と雛子の声の中に、智樹の声が重なった。
『智樹、いつも言っているけれど、雛子と僕は付き合っているわけではないし、その予定は無いって』『そうなんか?』『なに言ってるの祭吏っち。小学生の時、私のためにお勉強してるんだって言ってたよね』『なにを言っいてるのかな雛子。そんな事を言った覚えは無いし、僕が勉強をしているのは将来のためだよ』
馬鹿馬鹿しい日々だった。雛子はこれらを覚えているだろうか。いや、これは雛子の呪いの力による産物だ。雛子が僕に見せているのだ、この光景を。
「だまれ……」
震えは大きくなる。短刀のノイズが強まる。
『祭吏っち! 今年のバレンタインは気合入れたんだよ! ほら!』『驚いた。僕はてっきり教会の模型を黒く塗りつぶしたのかと思ったよ。チョコなんだね』『そうだよ。私と祭吏っちはこの式場で結婚するんだ』『何を言っているのかな雛子。僕にはこれは黒ミサの会場にしか見えないよ』『祭吏っちこそ何言ってるの。どこをどう見たらそんなふうに』『うおっ!? なんだこりゃサバト会場の模型か!?』『あ、おはよう高瀬君、さっそくで悪いけどちょっと死んでてもらっていい?』『席外してみてぇなノリで何言ってんだ!?』
「だまれっ!!」
叫び、震えを越える力を全身に込める。
歯を食いしばり、短刀に意識を集中させて形状を維持する。ノイズが微かに弱まる。
あの日々の楽しさを思い出す必要など、今は無いはずだ。
そう言い聞かせ、呪いを振り切り、駆け出す。
まずは黄金の矢デルタを回収しなければならない。そこへ向かって全力で走る。
『雛子に返すバレンタインのお返し、何が良いと思う?』『手作りのクッキーとかじゃねぇか?』『なら手作りのクッキーは智樹の役目だね。僕は何が良いかな』『まっちゃんなら日向の好きなもんはすぐに解んだろ。なんで悩むんだ』『何度も言っているけれど、僕は雛子と付き合うつもりは毛頭無いから、僕の好感度を下げつつ智樹の好感度を上げないといけないんだよ』
なおも続くいつかの声。
正面に騎士が立ち塞がった。
『まっちゃんはさ、まじで日向にそういう気はねぇのか? 俺はお前と日向が一番お似合いだと思うんだが』『そう思っているのは智樹だけだよ。ほら、雛子はあの通り心がおかしいから、僕にはちょっと荷が重いんだ。智樹くらい寛容な人じゃないと駄目だって、あの子は』『そう、かねぇ……』
呪いの力は強まり、声は徐々に大きくなっていく。
殴りかかってきた騎士。横ステップで回避すると、すぐ目前に蟷螂が迫っていた。
『祭吏っちは、私の事、嫌いになったの?』
呪いのせいで、左から迫っていた鎌に気付くのがワンテンポ遅れた。しゃがんで避けるが、回避しきれなかった左手首が、その先に握っていた弓と共に切断され、弾き飛ぶ。
『…………いや、嫌い、というわけではないけれど、ほら、僕も雛子ももう年頃なのだから、小学生の時みたいな付き合い方は変えるべきだと思うんだ』『どうして?』
自分が死人だから。死人同然だからこれ以上の好意を受け取ってはいけない。そう気付いておきながらも、現状に甘んじていた。智樹と雛子を近付けようとしておきながら、それを徹底出来ていない僕の軟弱な姿。
胸が痛んだ。切り離された左手よりもずっと痛かった。
「っづ!」
それでも堪えて一歩を踏み出す。二歩目、三歩目を踏み出す。
駆ける。駆ける。ただ駆ける。
右側から鎌が迫ってきた。踏み込む事に意識を向けていたせいで横や上下への回避は出来そうに無かった。さらに踏み込んで、刃の範囲から外れる。そして、切り込みという攻撃がラリアットに変わった。僕は蟷螂の腕を、短刀で受け止めた。
『どうしてって……ほら、もうすぐで高校生になるのだから、節度ある付き合い方をしなければいけないでしょ?』『それは解るけど……でも、それだとずっと一緒にいられないよ?』
受け止めた攻撃はしかし、震えた僕では勝てなかった。足が地面を離れ、そのまま吹き飛ばされる。
『なぁ、まっちゃんさぁ、やっぱ日向の事、好きだろ』『何を言っているのさ智樹。もしそうだとしたら、雛子と智樹をくっつけようなんてするはずないだろ?』『普通に考えりゃそうだがよ、でも、お前はどう見たって日向の事が』
反対側で構えていた騎士の拳が炸裂した。左腕と、そして横腹から何かが潰れる音がする。
吐き出した血反吐と共に、地面に叩きつけられる。
『嫌がられても待つ。嫌われても待つ。ずっと一緒に居る。ずっと傍に居る』『雛子、それは駄目だって。雛子はもう少し、周りを見たほうが良いよ』『やだ』
倒れた僕を、蟷螂が見つめている。既に刃を振り上げられている。断首刀のように煌いている。
歯を食いしばる。全身に力を込める。同時に胃から何かが込み上げてきたため、口の中に押し留める。味は他のなんでもない、鉄、つまり血だった。
押し戻そうとして、しかし戻しきれずに吐血した。
頭上から刃の気配を感じ、横に転がる。すぐ隣に鎌が突き刺さる。
――勝つんだ。
勝って、この破綻したプロジェクトを最後にして、後追い自殺なんて馬鹿げた事を雛子が考えなくなって、そして僕は、ちゃんと死ぬんだ。
そう自分に言い聞かせ、転がった勢いで立ち上がる。デルタへ向けて、硬くて重い地面を蹴る。
けれど、まったくスピードが出なかった。鎌を引き抜いた蟷螂に先回りされ、黄金の矢デルタと僕の間に立ち塞がる。
『私が見て無いところで、私が知らないうちに、私の大好きな人が死ぬ。そんなのはぜったいにいや』
邪魔をするな、と、心の中で毒を吐く。
雛子と智樹が幸せになって、僕はこんな苦行じみたプロジェクトから、死をもって開放される。それでいいじゃないか。それしかないじゃないか。
頼むから。
お願いだから、雛子と智樹が幸せになる事の邪魔をしないでくれ。
いや、違う。
僕は、その弊害を乗り越えなければならないのだ。
僕が、なんとしてでも、どんな苦しくても、二人を幸せにしてやるんだ。
僕の手で。
この僕自身の手で、ずっと傍に居てくれた二人を幸せにするんだ。
短刀を握り締める。
もう覚悟は決めた。
呪いは未だ自己主張を強めているが、どうせ僕は、いつか雛子と真っ向から向き合わなければならなかったのだ。
蟷螂との距離はかなり近い。僕自身も危険な分、今しかないと悟った。
「とどけぇぇぇえぇぇっぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええ!!」
血反吐と共に叫び、踏み込み、雛子の懐へ潜り込んだ。
横一線に迷い無く振るう短刀。
届く。
この刃は、雛子に届く。
そして。
『あんな想いは、もう二度としたくない』
そして。
「あっ……」
そして、短刀は蟷螂を切り裂く事はなく、ノイズに混じって散って消えた。
「そんな……」
思いは届かなかった。覚悟は消えうせた。
故に生じた攻撃の不発に対し、蟷螂は一歩下がって距離を取ってきた。鎌の射程圏内に入ってしまった僕は、しかし回避行動を取れなかった。
空を握って空を切った僕の腕。その様をまざまざと見せ付けられて、僕はそうして、ようやく思い知らされたのだ。
『だからこれからも、ずっと一緒だよ』
嬉しかったんだ。捻じ曲がった、病んだ、捻くれた愛情だとしても、雛子が言ってくれるその言葉達を、確かに嬉しいと思っていたんだ。
突き放そうとしていたくせに、自分をないがしろに出来る人間のくせに、そう言われて嬉しかったのだ。
無くしたくなかった。
失いたくなかった。
このまま愛されていたいと、必要とされていたいと、生きていてと言って欲しいと、そう思ってしまっていたのだ。
だから。
智樹達との関係で居られる自分のまま変わりたくないと祈っていたのは。
病気なまでに素直な雛子に変わって欲しくないと願っていたのは。
雛子達と一緒に居られるこの状況を変えたくないと抗っていたのは。
矢の照準を合わさせなかったのは。
心の武器たる懐刀を歪ませていたのは。
最後の一撃を躊躇って消し去ったのは。
それは決して、雛子だけに許された特殊能力なんかではなく、全て。
「――ぼくだったのか」
そして。
雛子の刃が僕の身体を切り裂いた。




