第五話 辺境伯家へ
卒業式の日から間もなく、アンジェリカは辺境伯家への引っ越しの日を迎えた。
「結婚を諦める必要はないのよ、アンジェリカ」
「ふふ。分かっていますわ。お姉さま」
「無理に結婚する必要もないからね、アンジェリカ。お前ひとり養うくらい、僕にだってできるから、戻ってきたくなったら遠慮なく戻っておいで」
「ふふ。ありがとうございます、お兄さま」
アンジェリカの出発に合わせて、既に嫁いだ姉と、王宮勤めで忙しい兄が見送りに来てくれた。当然ながら父もその中にいた。
「アンジェリカ。ほとぼりが冷めたら戻っておいで」
「ふふふ、お父さまってば。養子にせよ、嫁ぐにせよ、わたしは家を出なければなりませんわ」
泣きそうな表情で言う父を遮るように祖父が口をはさむ。
「アンジェリカは家の子になるんじゃからな。もうこの家には戻らん」
「そんなぁ~。お義父さま、そんな意地悪を言わないでください」
「はは。わしの娘を奪った罰じゃ」
楽しそうに笑う祖父に、縋りつくように手を伸ばす父。さらにその手を祖父にシッシッと振り払われている父を眺めて、アンジェリカは苦笑した。
「大げさですよ、お父さま。辺境伯家の王都にある屋敷は、馬車で五分もあれば行き来できるではありませんか」
「いや、今日行くのはあそこではないぞ」
「え?」
アンジェリカは祖父に否定されて驚きの声を上げた。
「わしのほうが驚きだ。養子になったのだから、領地でお披露目をせんとな」
「あっ……」
(そうだった。わたしはお爺さまの屋敷へ遊びに行くのではなく、養子になるのだから……お披露目は当然ね)
アンジェリカは急に養子の話が現実味を帯びて感じられた。
(どことなくフワフワした感じで受け止めていたけれど。わたしは辺境伯家の娘になるのね。結婚するとなれば、辺境伯家に相応しい相手と……)
そこまで考えて、アンジェリカは頭を振った。
(まだ結婚のことは考えられない。いえ、わたしは結婚なんてしないかも。親戚筋から、わたしが養子を迎えたって辺境伯家を継承することはできるもの。わたしが産まなくてもいい……)
心がズキリと痛む。小さな頃からリッキーと結婚し、ふたりの間の子どもを産むと思い込んでいたアンジェリカは、気持ちの切り替えが出来てはいなかった。
(ロジータさまとの仲を見ていても、わたしはどこかでリッキーさまとの未来を信じていた。愛されなくても、運命だと思っていたから……退場する気なんて欠片もなかったのよ……)
アンジェリカを見る兄姉や父、祖父の視線が、どこか痛ましさを帯びた。
(ああ、気を使わせてしまう)
「わたしが向こうへ行っても、皆が遊びに来たらいいわ。辺境伯家の領地といっても、小さな頃はよく遊びに行っていた場所だし、王都から馬車で半日ほどだもの。そんなに遠くはないわ」
「そうだね。久しぶりに行くのもいいかもしれない」
「ええ、お兄さま。昔のように馬で遠乗りに行きましょうよ」
アンジェリカの言葉に、兄は笑った。
「はは。あれは遠乗りというほどの距離ではないよ。アンジェリカは小さかったからね。今行けば、その距離の短さに驚くと思うよ」
「それでもいいわ。ピクニックしましょう」
アンジェリカの提案に、姉は同意した。
「いいわね、ピクニック。晴れた日の辺境伯領は気持ちがいいもの」
「ふふふ。お姉さま。楽しみに待っていますね」
「なら私もいくよ、アンジェリカ」
「お父さまも、ぜひいらして」
「いや、お前は来なくていい」
「そんなぁ~」
祖父がブスッとした表情で突っ込み、父が情けない顔をするのを見て、一同は笑った。
「ではそろそろ行こうか、アンジェリカ」
「そうですね、お爺さま。辺境伯領が安全と言っても、夜遅くなるとさすがに危ないですよね」
馬車の周囲には護衛が控えていた。祖父もまだまだ現役といった逞しさがあるが、貴族に護衛はつきものだ。
(男爵家の護衛なんて、屋敷に数人いるだけだったのに。この状態にも慣れなきゃいけないのよね)
アンジェリカはそんなことを思いながら祖父の方を見た。すると祖父は爆笑しながら事情を説明する。
「はっはっはっ。治安の問題でなくて……いや帰りが遅くなるとわしの身が危うくなるのは、たしかにそうだが……。屋敷の者たちは、お前がくるのを楽しみにしていてな。張り切って準備しているよ。特に料理長は腕によりをかけてご馳走を作ると張り切っていたな。あまり遅くなると、わしは使用人たちに恨まれてしまう」
「あら、それは大変」
驚くアンジェリカと、祖父の戸惑った表情をみて、他の家族は笑った。
「はは。辺境伯家の使用人たちは怖いからな。恨まれたら大変だ。早く行ってあげなさい、アンジェリカ」
「はい、お兄さま」
「わたくしたちも遊びに行くから、使用人たちによろしくいっておいてね」
「はい、お姉さま」
「辺境伯家でも可愛がってもらうんだぞ、アンジェリカ」
「はい、お父さま。では行ってまいります」
家族に挨拶を済ませたアンジェリカは、祖父にエスコートされて馬車へと乗り込んだ。黒塗りの立派な馬車には、辺境伯家の紋章が金色に輝いている。アンジェリカが走り出した馬車の小さな窓から別れを惜しむように手を振ると、家族は目に涙をためながら手を振り返していた。
こうしてアンジェリカは、母方の祖父である辺境伯家の領地へと向かったのだった。




