232. まだ伝えてないよ、“今日の分の大好き”を。 I haven't given you Today's 'I Love You' yet.
ゴールデンウィーク(5/2-5/7)は“毎日投稿”します。
ゲアーター、シュベスター、アイ、エゴペー……完璧な川の字。
風が吹いた。桜の花びらが一枚、アイの頬に落ちる。シュベスターがそれを指先で払いながら、アイの髪を梳いた。震える指が、優しく絡まる。
エゴペーがアイの右手をそっと握り、シュベスターが左手を包み込む。ゲアーターは背を向けたまま、長い腕を伸ばし、シュベスターの肩に軽く触れた。それだけで、四人の輪は完全に閉じた。
「……ありがとう、ゲアーターお兄様。」
シュベスターの小さな呟きに、ゲアーターは答えなかった。ただ、背中がほんの少しだけ優しく動いた。それが彼なりの「当たり前だ」だった。
陽光が傾き始める。四人の影がゆっくりと一つに溶けていく。誰も何も言わない。ただ、静かに、温もりを分かち合う。アイは目を閉じた。左に姉の震える指、右に姉の柔らかな息、少し離れた端に、大きな背中を見せる兄。
これが、家族。
今また見つけた、昔から知っている家族たち。
譲り合う優しさと、照れ臭い愛情と、ただ一緒にいるだけで胸が熱くなる幸福。
やがてエゴペーが、ぽつりと呟いた。
「……ねえ、みんな。今日は特別なこと、何もしなくていいよね?」
シュベスターが、くすりと笑う。
「そうだな。特別なことなんて、もういらない。」
ゲアーターが、初めて振り返った。雷の瞳が、珍しく穏やかだった。
「……ああ。こんな日が、ずっと続けばいい」
アイは小さく頷いた。
「はい……ずっと、こうしていたいです。」
四人の呼吸が、重なり始める。風が葉を揺らし、桜の花びらが降りそそぐ。しばらくして、シュベスターが真剣に囁いた。
「……でも、やっぱり誰がアイの頭を膝枕する権利があるかは、後で決めた方がいいかもしれんな。」
「却下〜。」
「却下だ。」
二つの声が重なり、笑いが弾けた。中庭に、春の陽射しと笑い声だけが満ちる。その後、彼らは本当に昼寝をした。
ゲアーターは腕を枕に空を見上げ、シュベスターはアイの髪を撫で続け、エゴペーはアイの手を握ったまま眠りに落ちた。
――彼女はアイの手を握ることが安らかに眠るときの習慣になっているからだ。
アイは、左右から伝わる二つの体温と、少し離れた兄の気配を感じながら、初めて“帰る場所”というものを確かに知った。夢うつつの中、誰かが呟いた。
「……今日も、普通の日でよかった。誰も欠けずに、こうして。」
誰も答えなかった。でも、皆が同じことを思っていた。夕暮れが近づくまで、四人は芝生の上で繋がったまま、ただ穏やかに時を過ごした。
風が通り抜けるたび、桜の花びらが降り注ぐ。それはまるで祝福のようで、まるで約束のようで、まるで永遠を願う祈りのようだった。愛のきょうだいたちの、かけがえのない、普通の日々が、ここにあった。
やがて陽が沈み、星が瞬き始める頃。四人はゆっくりと起き上がり、談話室へと戻っていく。手をつなぎ、肩を寄せ合い、笑いながら。
――誰も急がない。誰も離れない。
夜の帳が降りるまで、彼らの笑い声は中庭に残った。そして、明日もきっと、同じように笑っていられる。そんな確信だけが、胸の奥に灯り続ける。
――これが、きょうだいたちの、特別な普通の日々。
◆◆◆
「……今日だけ、じゃないからね。」
掠れた声で、囁くように。
「明日も、明後日も、ずっと……アイちゃんは私たちのものだから。」
エゴペーがくすりと笑い、アイの額に軽く唇を寄せた。
「そうだ。今日だけじゃない。ずっと、ずっと。
――私たち四人はずっと一緒だ。」
アイは目を閉じたまま、小さく微笑んだ。
二人の姉の腕の中で、兄の静かな視線に守られながら。これが、愛の帰る場所。
――これが、アイが見つけて、アイを見つけたきょうだいたち。
ランプの芯が小さく音を立て、灯りがゆらりと揺れる。その揺らめきの中で、三人の影はいつまでも一つに溶け合い、離れることはなかった。
――夜が更けても、誰も愛を解こうとはしなかった。
◆◆◆
「……今日は、本当にいい日だったね。」
エゴペーが、誰に言うともなく呟いた。声は低く、どこか夢うつつだった。長く病床にあった体が、ようやく自由を取り戻した喜びを、まだ信じきれていないかのように。シュベスターが、頷く。
「あぁ。エゴペーが元気になって、みんなで中庭で昼寝して……。こんな日が来るなんて、夢みたいだ。」
彼女の瞳は、灯りに濡れて光っていた。アイの小さな手を握る指に、少しだけ力が入る。今日、エゴペーに譲ったことへの後悔は、もうどこにもなかった。ただ、満ち足りた幸福だけが胸に広がっている。ゲアーターが、ふっと息を吐いた。
「……お前ら、甘ったるいことばっかり言って。だが……まあ、悪くない日だった。」
◆◆◆
「ううん。まだ大丈夫。こんなにみんなと一緒にいられるなんて、嬉しくて……眠くならないの。」
アイが、エゴペーの胸の中で小さく身じろぎした。
「……エゴおねえさま、わたくしも、嬉しいです。ずっと、こうしていたいです。」
◆◆◆
「……ねえ、みんな。明日も、こうして過ごせるかな。」
シュベスターが、即答する。
「もちろん。明日は街に出ようって言ってたな。エゴペーに新しいドレスでも買ってやろうか?」
ゲアーターが、鼻で笑う。
「金ならいくらでもある。好きなだけ買え。」
エゴペーが、くすくすと笑った。
「じゃあ、アイちゃんにも。似合う色の、リボンとか。」
◆◆◆
「……アイちゃん……。」
アイが、すぐに応える。
「はい……エゴおねえさま。」
「……手、握ってて……くれる?
――アイちゃんに手を握っててもらえると安らかに眠れるの。」
その声は、どこか不安げだった。長く病床にあった日々、誰も手を握ってくれない孤独な夜を、まだどこかで恐れているかのように。
アイは、すぐに自分の小さな手を、エゴペーの大きな手に重ねた。指を絡め、ぎゅっと握る。
「はい……ずっと、握っています。安心して、眠ってください。」
エゴペーの唇に、穏やかな笑みが浮かんだ。
「……うん……ありがとう……アイちゃん……。」
その言葉を最後に、エゴペーの呼吸は完全に深く、規則正しくなった。栗色の髪がランプの光に輝き、長い睫毛が静かに影を落とす。膝の上にアイを抱いたまま、彼女は安らかな眠りに落ちた。
アイは、動かないように気をつけながら、エゴペーの寝顔を見上げた。
――優しい顔。穏やかな顔。病の影が、もうどこにもない。太陽のような、桜のような、咲き誇る笑顔が、眠りの中でも残っている。
シュベスターが、そっとアイの肩を抱き、ゲアーターがソファの背後に立ち、三人は静かにエゴペーを見守った。
アイは、エゴペーの手を握り続けながら、思う。
――エゴおねえさま、安心して眠ってください。
わたくしが、ここにいます。
おにいさまも、おねえさまも、みんなここにいます。
もう、孤独な夜はない。
これが、わたくしたちの普通の日々。
愛のきょうだいたちの、永遠に続く、幸せな日常。
――わたくしはいつでも、いつまでも手を握っています。
◆◆◆
……あぁほんとうに死にたくないなぁ……。
きょうだいで笑いあっているときもまだ眠りたくなかった。だけど明日が来るなら眠れた。
――アイちゃんが手を握ってくれるからまぶたの裏の暗闇もこわくなかった。
だけど、死んだら?ずっと暗闇?誰にも会えない?何も考えられない?無に帰る?
二度と愛する人たちと笑い合えない?
……なんで……なんでもっと笑わなかったんだろう。
なんでもっと愛を伝えなかったんだろう。
――まだ伝えてないのに、“今日の分の大好き”を。
まだ伝えきれてないのに、“私が居なくなった日の愛してる”を――。




