3-16.白髪の青年の物語 転(5)
半透明の球は、陽光を僅かに照り返しながらそこにある。
僕はふらふらと、歩いて球の前まで近づく。間違いなく、内と外との境界がそこにあった。
『くっ―――!』
内側に閉じ込められた狼は周囲を見渡す。四方と天、全てを膜で覆われている。
同じく内側に閉じ込められている兵士やスメル達は既に構えを解いていた。彼らに警戒の目を送りながら狼は膜に向かって突進する。
『ッ!?』
だけど弾かれる。膜は狼の突撃を受けきり、何事もなくそこに存在し続ける。狼は自身の勢いに負けて弾き返された。
「無駄ですよ。これは天球封印―――陽の御神が私達ヒト族へ与えてくださった最上位の封印結界です。たとえ魔王であっても破ることは叶いません」
『………』
狼は振り向き直り、膜の境目に落ちているものを見下ろす。
———ヒトの身体だ。だけど膜の内と外で割かれている。確認するまでもなく死んでいる。
「気にされるんですか? ヒトの死を」
『………』
「この作戦に参加した者には事前に全てを話しています。天球封印が発動した時、内に立つ者、内と外の境目に立つ者、全て死ぬと。彼らも志願してこの場に立ったのです」
『………』
話している間に、半分に割かれて死んだ彼らの、膜の内側に残された身体が光の粒となって消えていった。
あとには血の跡も何も残っていない。それがどんな現象なのか、僕には理解が出来ない。追いつかない。
どさりとスメルが地に腰を下ろした。そして狼の顔を見上げる。
「さて、後は英雄が魔王を殺し得る力をつけるまで待つだけです。僕たちの役目は終わりました———どうせここから抜け出せない身です。殺してくださって構いません」
『………』
「もしくは、やはり殺せない事情があるのでしょうか?」
『……ふぅ…』
スメルの言葉に、狼はため息を吐く。
『他人を殺すことを、私は許されていません』
「道理で。殺気のわりに攻撃がぬるかったわけですね―――では、お互い朽ち果てるまで不干渉でいましょうか」
乾いた笑いがスメルの口から漏れる。そして辺りを見回し、誰かを見つけたようで視線が止まる。
「アーセンさんは、外なんですね」
「…あぁ、運悪くな」
スメルの視線の先には僕と一緒、膜の外側に佇む鈍色の甲冑のひとがいた。
「いやいや、やっぱりアーセンさんはこの世界に必要な方なんですよ。外にいてくださって、ほっとしました」
「っ、莫迦野郎…! そんな言い方、お前まで……そっちに残して、喜べるかよ!」
「あはは、それはまあ、本当に運でしかないですから―――ご自愛なさって下さい、アーセンさん。それと、あとのこと頼みます」
「っ……あぁ…」
その時、『ぐっ』とくぐもった声が聞こえてくる。
見ると、膜の内側にいた兵士が1人、胸に剣を刺し自刃していた。そして倒れてしばらくして、彼も光の粒となって消えていった。
膜一枚隔てて行われるそれを、僕はとても奇妙な心持で眺めていた。
「…お疲れさまでした」
ただ一言、スメルは彼に労いの言葉をかけて見送った。
ああ、羨ましい。と僕は何故か思ってしまった。
本当に、何故なのか。
理由は、考えたくなかった。
「スメル様! 聖女様をお連れ致しました!」
「ん、ご苦労様です」
こっちへ駆け寄ってくる者がいる。その声を聞き、スメルは立って向かってくる。
そして膜を挟んでスメルの前―――僕の隣までやってきた異端審問官。その腕にはイリアの身体が抱えられていた。
「………」
―――彼女に対してどういう感情を抱けばいいのか分からない。
だけど、身体のあちこちが炭化して崩れかけている彼女を見た時に、胸を通り過ぎっていった感情は、紛れもなく虚しさだった。
「イリア…」
呼ぶ声が漏れる。だけど、反応はない。
「聖女様、お役目ご苦労様でした。あとは、ゆっくりお休みになってください」
「………」
スメルの言葉にも反応はない。やがてイリアの身体は崩れていく。
ぼろぼろ、ぼろぼろと灰となって地に落ちていく……死んだのだ、イリアは。それがどうしてかは分からないし、今自分がどういう心を持てばいいのかも分からない。
悲しみとも違う。切なさとも違う。涙は出ない。
ただ、そう。その時僕が感じたのは、やっぱり虚しさに違いなかった。
「ジャック先輩、イリアのことは心配しないでくださいっす」
その時、スメルがいつもの口調で話しかけてくる。振り返りみると、そこには見慣れた表情をした彼がいた。
「イリアは死なないっす。聖女っすから―――ほら、灰の中から出てきたでしょう?」
言われて、地面に積もった灰を見る。異端審問官が丁寧に灰をはらっていくと、中から灰色の髪の赤ん坊が出てきた。
「天球封印の儀―――最上位の奇跡を叶える対価は聖者の命っす。だけど今生の聖女は死なない。イリアはまたこうして神様に仕えるっす」
「……やっぱり、僕は君たちのこと、何も分かってなかったんだね」
聞けば聞くほどそう思う。僕たちの見知っていたイリアとスメルは虚像。
ここにいる意味不明な奴らが、本当の彼らだったんだ。スメルはそのまま鈍色の甲冑を着たひとに向き直る。
「それではアーセンさん。聖女様をお願いします」
「あぁ、生き残ったからには聖女さんのことは任せろ、約束は守る。師匠と相棒の名にかけて」
「ありがとうございます。ではこちらも、末席の身ですがラサ教会の司祭として、貴国の復興と繁栄を祈っております」
「…はっ、よく言うぜ」
「心外ですね。全部本当のことですよ?」
そうして2人は笑い合って、アーセンと呼ばれた男はイリアを抱きかかえて背を向けた。
そしてそのまま村の外へ走り去っていく。その後を、慌てて異端審問官たちが追いかけていった。
「―――ジャック先輩」
膜の向こう側から、寂し気な声が聞こえる。気づけば、再びスメルが僕を見ていた。
どうしてそんな声を出すんだろう。僕がずっと見ていた君は、そこにはいないんだろう?
「ジャック先輩。まさか、最期にこんな風に落ち着いて話せる時間があるなんて思ってなかったっす―――おいらはこのままここで死ぬっす。この結界の中は、さすがのおいらも長くもたないっすからね」
「スメル……」
「でもルイナ先輩だけは生き続けるっす。この檻は魔を捕らえて生かし続ける為の檻っすから」
「………」
「そしていつか、魔王を倒すための英雄がやってくるっす。その時ジャック先輩がどこで何をしているか分からないっすけど、邪魔はしないで上げて欲しいっす。おいらや世界のためにも、イリアのためにも。ルイナ先輩のためにも」
「……なんで」
なんでそんな話を僕にするのか。意味が分からない。
理解も追いつかない。意図も分からない。
「…スメル。君が言っていること、全然意味が分からないよ」
「そうっすね。おいらも怒られない程度にしか話してないっすから」
「………」
「あとはまあ———ジャック先輩。難しいと思うっすけど、ここであったこと全部忘れてくれた方が嬉しいっす。今後生きていくうえで邪魔になることばっかっすから」
「………」
「―――それじゃあ、先輩。さよならっす。それに……ありがとうございました。短い間でしたが、本当に楽しかったです」
背を向けられる。ああ、逝くのか。君も。
「スメルは―――」
去り行く背中に思わず声をかけてしまう。かけねば、もう本当に今後話すことが出来ないだろうと思ったから。
でも何を話す? 聞きたいことは山のようにあるようで、何もない。その背は何も応えないと言っている。であれば与えられた情報から自分を納得させるだけの材料をかき集めるしかない。
それに、これ以上何を聞いても虚しさは拭えない。これ以上事実を突きつけられれば恐らく立っていられないだろう。
「―――君は、自分が正しいことをしたと思ってる…?」
だから、どうしてそんなことを聞いたのか分からない。
スメルが振り返る。即答はない。
僕の目を長く見つめ返してきて、やがて言った。
「ジャック先輩は、間違ったことはしていませんよ」
———あぁ、むごい。あまりに、ひどい。
膝から力が抜けた。もう立っていられなかった。
去っていくスメルの背中に、かけられる言葉は出てこない。
僕はやっぱり、ダメなやつだった。




