3-15.白髪の青年の物語 転(4)
「っ―――銀狼だっ!」
「預言は本当だったのだ!」
風に流され、土煙は完全に晴れた。そこから現れた銀狼の姿を見て、押し寄せていた異端審問官や騎士たちから声が上がる。
「魔王は蘇った! 勇猛なる者たちよ、奮い立て!」
「銀色の髪の娘を捕らえよ! “暮れの災厄”を起こした罪、永き封印をもって贖わせよ!!」
そして、そして―――口々に発せられているその言葉。
何を言っているのか。
僕は何を聞かされたのか。
分からない。
魔王。銀色の髪。“暮れの災厄”を、起こした罪―――
そのどれもが僕の知っている少女と繋がらない。繋がるわけがない―――だけど、彼女は間違いなく銀色の髪をしていた。
「……あ…」
脳から何かがこぼれ落ちていきそうだった。足の感覚がない。立っている? 座っている? それも、僕にはよく分からない。
「うぉぉおおおお!!」
「おおぉぉぉっ!!」
口々に言われていた非現実的な言葉が、全部ルイナに向けられているんだとようやく気づいた頃には、咆哮が村を包み込んでいた。
村の門に並んでいた王国兵士達が一斉に狼の元へ押し寄せる。
「捕らえよっ! 魔王を捕らえよ!!」
「無辜なる民の仇を討て!! 身命をもって正義を全うせよ!!」
王国の兵士、騎士、異端審問官―――数えきれないほどのひとが、ルイナを襲うために鼓舞の声を上げていた。
『聞かないでっ! ルイナ様、奴らの言うことを聞かないで! 私を信じて、決して離さないで!!』
一斉に群がる兵士や異端審問官を、狼は薙ぎ払ないながら叫ぶ。その背中に、しがみついている銀髪の少女の姿があった。
「見つけた、狼の背中だ! 捕らえよ!! 捕らえよ!!」
「狼から引きずりおろせ!! 行けー!!」
『くっ―――』
狼は捨て身で特攻してくる兵士たちを足と尾でもって薙ぎ払う。だけど決して牙を剥かない。爪を振るわない。
薙ぎ払われた誰もが吹き飛び、けど再び起き上がって特攻していく。狼は徐々に逃げ場を失っていく。
『っ…! ルイナ様、しっかり掴まって!』
狼は跳んだ。多くの兵士の頭上を超えて、家々の屋根を踏み、空を駆る。
その素早い身のこなしを、地上の誰も追いかけられない。けれど―――
「逃がさないっ!!」
『ちっ!』
突如現れた白い影が宙を奔る。それは真っ直ぐに跳び、狼の横面を捉えた。
『邪魔ですっ!』
「ぎゃっ!」
だけど狼も負けず、空中でくるりと転身した。白い影を尾でもって薙ぎ払う。
白い影は悲鳴をあげて吹き飛ぶ。地面に叩きつけられ、転がり、僕の前でそれは止まった。
「……スメル…?」
「いっ、く……どうも、ジャック先輩。ただ、今は下がっていてください。巻き込まれないように」
白い影の正体は、白の僧服を着たスメルだった。得物こそ見慣れた短槍だけど、着ているそれには赤十字の紋章が刻印されている―――ラサ教会の司祭服に違いなかった。
「待ってよ、スメル。何がなんだか……ルイナが魔王だの、“暮れの災厄”だの―――」
「後でお願いします。今逃がすと、下手したら世界が終わってしまうかもしれないので―――いててっ…くっ―――」
スメルは僕の声を遮る。短槍の柄を支えに立ち上がり、だけど脇腹を抑えて呻いた。
白い司祭服に、赤い染みが広がっていく。
「っ———聖女様ッ! 足止めをお願いしますっ!!」
「-----!」
スメルの声に呼応して、村のどこからか歌が聞こえてくる。詩はなく、旋律だけの透き通るような歌声―――どこかで聞いたことがある声だと思った。
『ぐっ…!』
スメルの妨害により地上に落とされ、再び兵士に囲まれていた狼は天を仰ぐ。その声と表情は、憎々し気に歪められていた。
天から白い羽が舞い降りる。木の葉が落ちてくるように、ひらひらと降ってきたそれはやがてヒトの形を成す。
背中に白い翼と、胸に抱く大きな赤の十字架―――天使だ。
それも7体。彼らは狼を取り囲み、十字架の背から剣を抜いた。
『小賢しいっ!!』
狼は吠える。押し寄せてくる兵士たちをはねのけて地を蹴り、一番近くにいた、まだ構えにも入っていなかった天使へ牙を剥く。
そして噛み千切る。天使は声なき悲鳴を上げ、黄色の血潮をぶちまけた後、霧となって掻き消えた。
残された天使たちが人外の言葉でもって泣き声を上げる。そのまま剣と十字架を手に狼へと向かっていき―――1体、また1体と喰い殺されていく。
「時間稼ぎにしかならないなんて…アーセンさんはっ!? 狼はあのひと達の担当だったでしょう!?」
「分かりませんっ! ただ、あの狼がここにいるということは恐らく、もう―――」
「っ…!」
スメルが門のところにいた異端審問官を呼び寄せて話している。
スメルの傷に添えている異端審問官の手が光る。恐らく治癒の奇跡にあたるものだろう。
その間に、天使は残り2体にまで減らされ、囲う兵士や騎士たちも蹴散らされる。段々と起き上がれないひとが増えていく。
「………」
―――なんだ、これは。いったい僕の目の前では何が起こっているのか。現象と光景は目に映るけれど、理解ができない。
でも、どうやら僕も存外しぶといひとだったらしく、やがて理性が答えらしきものを告げてくる。
ルイナは魔王―――あの“暮れの災厄”を起こした張本人。
そんな彼女を倒す―――もしくは捕える為に兵や異端審問官がやってきた。
そしてスメルとイリア。彼らは僕たちを騙していた。ルイナを調べる為に素知らぬ顔で僕たちの中に入ってきた。
―――そういうことだったんだ。ただそれだけのことなんだ。
僕が守りたかった平穏は仮初でしかなく、怨恨と欺瞞の上で成り立っていた。
そしてそれは暴かれた。だったら僕は、どうしたらいいんだ…?
「待たせたっ! すまねぇ、狼を逃しちまった!」
「アーセンさん!!」
天使が全て狼に噛み殺された時、鈍色の甲冑を着こんだ大柄の戦士が、塀を飛び越えてやってくる。彼はスメルの隣に立ち、身の丈ほどの大剣を正眼に構える。
「無事で何より……ですが魔王を奪われてしまいました」
「悪ぃ、止められなかったせいだ」
「自責も追及も後にしましょう。今は足止めを」
「おぅっ!」
「スメル様っ!!!」
僕の目の前で交わされる会話を遮り、門のところにいた異端審問官がスメルを呼ぶ。
「村の住人の避難完了しました!」
「人数は!?」
「間違いなく!」
「分かりました…!」
スメルは短く応える。狼の方へ向き直る彼の表情は全く見慣れない、強い信念を感じさせるものだった。
「聖女様! 天球封印の儀を! 私達が時間を稼ぎます!」
《……スメル》
突然、耳元から誰かの声がした。振り向いても誰もいない。
か細い、女の子の声だ。さっき聞こえてきた歌声と同じ———気づいた。これは、イリアの声だ。
「そんな声を出さないで下さい。私は、神命を全うしてきます…!」
《―――分かりました。スメル、お願い》
「っ、うぉぉおおっ!」
イリアの声が終わると同時に、スメルは地を駆り、跳躍する。その右目は、淡い光を放っていた。
目にも止まらない速さ。瞬時に狼へと肉薄し、短槍を振るう。そして叫ぶ。
「っ、生き延びたい者は逃げよ!! 私と共に天命を遂げる者は戦え!! 今この時、己の道を見誤るなっ!!」
『ぐっ、何を―――』
短槍が狼の胴を薙ぐ。銀色の毛と鮮血が宙を舞う。それを嫌って避けようとしても、押し寄せてくる兵士が無数にいる。
彼らは口々に雄たけびを上げ、捨て身で狼へと特攻していく。
『ちっ!』
狼は舌を打ち、天へと跳躍する。だけどそこにも敵はいた。
「今度は逃がさねぇぜ! 狼さんよっ!」
『ぐっ!』
鈍色の甲冑を着こんだ戦士が、狼の頭上から大剣を振りかぶる。巨躯からは想像できない身のこなし。家の壁や木を蹴って、彼は常に狼の頭を狙い続ける。
狼は剣を嫌って翻り、地に降りた。そこからは混戦。足元を兵士たちが、胴をスメルが、頭上を鈍色の戦士がそれぞれ襲う。狼はそれらを振り払い、逃げまどうだけ。
「………」
それを僕は見ているだけ。どうしたらいいのかなんて分からない。
そもそも、どうしたらいいのかなんて考えたくもない。正解なんてあるわけがない。考えれば考えるだけ、傷つくだけだ。
なされるがまま。起きるがまま。鞘に納めたままの剣は、この場において一切の役に立ちそうにない。
僕はただ事の成り行きを見て―――結果だけを受け入れればいい。そうするのが一番だと理性が言った。
「……?」
その時、ふと陽光が不自然に瞬いた。雲が差したのか? 見上げると、そこにとても大きな鳥がいた。
煌めく銀の羽と、地上を見下ろす金色の瞳。その姿を、僕はどこかで見たことがあった。
「ラー……」
誰かが呟いた。それは陽の神なのだと。
かつて世界を救い、今なおヒトを導く最高神。
確かにそれは、教会のステンドグラスに描かれる神の姿、そのものだった。
「-----!」
神は歌った。詩のない旋律を。
清らかであるのに呪うようで。
優しさに溢れているのに切なくなる。
その歌声は、どこかイリアの声に似ていて―――
「-----《天球、封印》!」
歌の終わりに、またイリアの声が聞こえてきた。
瞬間、世界は区切られた。
僕たちは外側。というよりも、およそ大多数が外側で。
内側がごく少数。スメルと十数人の兵士たち、狼、そしてルイナ―――半透明の膜で覆われた球が現れ、彼らを内側に閉じ込めていた。




