3-14.白髪の青年の物語 転(3)
―――翌朝。いつも以上に食べたものの味が分からなかった。周りで誰かが何かをしゃべっていても、うまく反応できていたか分からない。
「………」
……つらい。誰かを疑うというのが、こんなにもつらいことなのか。
「………」
考え過ぎだ、悩み過ぎだという僕もいる。狼が言っていたのは“危険かもしれない”というだけの警告だ。決して、あいつらはルイナを狙って裏切るつもりだなどという確たる話じゃない。
「………」
けれど―――ダメだ。まともに冷静でいられない。せっかく、せっかく平穏を見つけたのに。誰かにそれを壊されるのが、怖くてたまらない。僕は、僕は、弱い人間だ。
「………」
怖い。怖い。
「………」
怖い! 怖い! 怖い!
僕はいったい―――どうしたらいいんだ……!
「―――ックさん……ジャックさん!」
「……っ!!」
気が付くと、肩を揺さぶられていた。目の前で真紅の瞳が僕の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「ジャックさん、どうされたんですか? 酷いお顔をされています」
「……ルイナ?」
はたと気が付くと、僕は庭先で、背負っていた魔物の遺体を地面に落として突っ立っていた。記憶が曖昧だ―――だけど、スメルと狩りに行って1体仕留めてきたところだった気がする。
肺の奥が凍える。頭が痛い―――けれど彼女には、彼女にだけは心配されてはならない。こめかみをぐりぐりと押し、息を1回ついた。
「ごめん、ルイナ。ちょっとぼーっとしてたみたい」
「ぼーっとって……ジャックさん、大丈夫ですか? 今、お湯を持ってきますから」
「いいよ、気にしないで」
「気にしますよ! 待っていてください、すぐに―――」
「っ―――!」
……あれ、おかしいな…?
「え……ジャック、さん?」
「……っ―――」
気が付くと、僕はルイナの手を握っていた。
「ご、ごめん、ルイナ―――ごめん。あれ、おかしいな。あれ、あれ?」
「………」
ルイナを握った手が離れてくれない。ルイナは、何故か手を震わせている。
「―――ぁ……」
「……ジャックさん」
そのうち、気づいてしまった。震えているのは僕の方で―――ルイナはそこへ、もう片方の手も重ね合わせてくれる。
「落ち着いてください、ジャックさん。私は、どこにも行きませんから」
「っ……ありがとう、ルイナ…」
現金なもので、手を重ねた傍から安心感が沸いてくる。僕は貪欲にも、もう片方の手もルイナの手に重ね合わせた。
「―――ルイナ、ごめん、突然変だよね、こんなの…」
「はい、変です。でも突然じゃありません、今朝からずっと変でした」
「……やっぱり、そう見えた?」
「はい。イオさんもワンクスさんも心配されてました」
「それは―――あはは、悪いことしちゃったな。僕も、自分がここまで弱い人間だとは思ってなかったんだけどな…」
どうしてここまで追い込まれなくちゃいけない? 僕は、たった1つの言葉でこれだけ恐怖を感じてしまうほど脆いやつだったのか?
―――怖い。失うのが怖い。失ってしまうかもしれないって思っただけで、身がすくんでしまう。
「…嘘みたいだろ? 僕、震えてる……ははっ、何をこんなに怖がってんだろう。まだ、何も失っていないのに……」
「………」
黙って首を振られる。僕は、もう何かを失っているんだろうか? ―――そうさ、平静を失っている。かちかちと、歯が震える。その音が、記憶の底から何かを引っ張り出そうとしている。
かちかち、かちかちと―――あの時も、僕は震えていた。コレット――コレット……! コレットが、目の前で……!
「っ―――ジャックさん、ごめんなさい!」
あ――――――
「………ルイ、ナ?」
目の前で、銀色が揺れる。
胸に、頬に、温もりを感じる。あれ、温かい―――君は、温かいな……
「―――ルイナ……」
「ジャックさん、ごめんなさいっ―――私、あなたを救いたくて…っ!」
視界に、焦点が合わさってくる。僕はルイナに抱きしめられていた。
温もりが、胸の奥のざわつきを霧散させていく。僕は、まだ何も失っていなかった。
「……なんで謝るの? それに、なんで君は泣いているのさ」
「っ―――あなたの胸は、私が踏み込んでいい場所ではなかった…! そこを、私が侵してしまったからです……」
―――そんなことだけで、君は泣いてくれるのか……
「……莫迦だな、ルイナは……家族なんだ。泣いている時は、胸を貸したっていいじゃないか…」
僕はルイナの肩に腕を回し、静かに泣く彼女の頭を撫でた。
「―――泣かないで、ルイナ。僕は、いつも君の笑顔に支えられてきたんだ。だから笑って欲しい。泣かせてしまったのは、僕だけど」
「……っ、嫌です……今だけは、笑えそうにありません…」
「そうなんだ……それは、残念だな……」
「はい―――だから、しばらく…このままで、居させてください……笑えるようになったら、離れますから」
「―――分かったよ、ルイナ……」
もう一度、ルイナの身体を強く抱きしめる。
ああ、僕はなんて醜い。でも、君は綺麗だ。
―――どうか、君の平穏を僕に守らせてほしい。きっとそこに、僕の平穏もあるのだから。
心から願う、君の平穏を。僕の平穏の為に。
僕は醜い。君は綺麗だ。
だからどうか、天罰は僕に下りますように。
―――好きだよ、ルイナ。
「―――ごめんなさい、落ち着きました」
やがて、ルイナが離れていく。ぽっかりと大きな穴が開いてしまった気がしたけれど、違う。その穴は元々開いていた。
彼女が少しの間、埋めてくれていただけだ。僕はそれを自覚しながら、今後自分で埋めていかなくてはいけない。
「ううん、こっちこそ。まともじゃなかったね、ごめん」
「いいえ、そんなことは―――」
そうしてお互い沈黙。僕は、何かしゃべらなくちゃいけないんだと思う。
でも、何を? どうやって話したらいい? 冷静になればなるほど泥濘にはまっていく。
単なる身の上相談じゃない。下手したら、ルイナの平穏を壊しかねない話だ。
実は、スメルとイリアは君の平穏を崩しかねない不穏分子であって。
実は、それを僕が知ることが出来たのは君のことを知っている人外の協力者がいるからであって。
実は、ただ1人の家族であるルイナと、2人の家族であるイリアとスメル、どちらを失いたくないか優劣をつけるなら君であって。
実は、君を選ぶ理由は―――君が好きだからだと。誰よりも、何と比べても、君を失いたくないと思っているからだと。
―――どれもが言えない。どれかを言えば、全てを語らなければならなくなる。
「……っ」
唇を噛む。八方ふさがりだ―――僕は、昨晩からずっと自分を苦しめてきた原因をようやく悟って、それでもなお状況から脱しきれずにいた。
「―――ジャックさん、おつらいですか…?」
「え?」
悩んでいると、目の前のルイナからそんなことを聞かれた。
確かにつらい。けれど、どうして君もそんなにつらそうな顔をしているんだ。ルイナは僕から視線を外し―――胸を押さえた。
「……ごめんなさい。やっぱり、あんなことするべきじゃありませんでした」
「あんなって…? ルイナ、どういう―――」
「ごめんなさい…っ!」
そうして伸ばした手を乱暴に振りほどかれ、僕は家の中に入っていくルイナを見送ることしかできなかった。
いったい、自分の何が彼女をあんなに追い詰めたのか? 考えて、思い出して―――
「……あっ!」
悟った。ルイナは僕がつらそうにしている原因を。
半年前と同じだ。僕がコレットの面影を感じてしまってつらい思いをしていると思い込んでいる―――違う。それは、違うのに。
「ルイナっ! 待って―――」
追いかけようとした。だけどそれよりも前に、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「ジャック先輩ー!! ジャック先輩ー!!」
「……スメル?」
振り返ると、村の門の方から慌てて駆けてくるスメルの姿があった。
「どうしたの、スメル? そんなに慌てて―――」
「ぜぇっ、ぜぇっ……た、大変なんすよ、先輩!! 門のところに、変なやつらが!」
「変なやつら? って、いったいどんな―――」
「説明してる暇はないっす! とにかく来てくださいっす!!」
「あ、ちょっと!」
そのままスメルに手を引かれ、連れ出されてしまう。後ろを振り返る―――家に入っていったルイナのことが気にかかって仕方がない。
だけどこの間みたいに村の外に出て行ったわけではない。すぐに戻ってこればいい。後で話して、きちんと分かってもらおう。
正直なところは言えないけれど……きっと何とかなる。
そう思って、僕は村の門の方へ走って行った。
村の門に着くと、そこにはスメルの言っていた通り見慣れない恰好をしたひと達がたくさんいた。
重厚な銀の鎧、細身の剣と盾を持ち、整然と並ぶ兵士の姿―――その最前列。一層豪華な鎧の彼、胸にキルヒ王国の国章と、二重線の間に位階が刻まれている。記憶違いでなければ、あれは王国騎士の紋章だ。
そして、その騎士の隣に並び立つ3人。1人は文官だろうか。細面に細長の帽子を被り、モノクルをかけた男―――彼に見覚えはない。
ただ、もう2人。彼らは冒険者のような恰好をしているけど、応対しているワンクスへ見せている記章を遠目に見て息を呑んだ。
白金素地に赤十字と一振りの剣―――間違いなく異端審問官の証だ。
どうして異端審問官がここへやってきた? しかも王国の上級騎士をこんな辺鄙な田舎まで引きつれて―――戸惑い、足を止めて考えて、思い当たる要因は1つしかなかった。
ルイナだ。ルイナの平穏が今、壊されようとしている。
「どうして……」
何が、どうしてこうなった。狼はどうしている? 介入しないのか? それとも―――っ、それにどうして今なんだ…!?
「っ!?」
茫然として動けずにいると、急に横から手を引かれた。
「っ、イオ?」
驚いて振り返ると、そこにはイオがいた。
イオがいた、けど―――
「え……なに、どうして……?」
彼女は泣いていた。目元に涙を溜めて、口を固く噤んで。だけど目をそらさず真っ直ぐ僕のことを見据えている。
その表情の意味は? 理由は? どうして僕の袖を掴んだまま放そうとしないのか。何も分からない。
分からないまま、少しだけ時が過ぎてしまう。
「どうしたのさ、イオ?」
「―――分からない…」
聞いても、力なく首を振られてしまう。
「もう、私には分からない…! ジャック。私、どうしたらいいの…っ」
「……イオ、落ち着いて。どうしたの? あいつらに何かされたの?」
首で門のところにいる異端審問官たちを指す。だけど、それにも首を振られる。
「―――分からない……ねえ、私、どうしたらいいの…? あの子を―――守ればいいの? 恨めばいいの? ……殺せば、いいの…?」
イオは真っ直ぐ僕のことを見続けている。でもその目が虚ろになっていって、僕を通して僕じゃない誰かを見始める。
「っ―――ねぇイオ、落ち着いてよ! イオの言ってること全然分からないよ! どうしたのさ!? あの子って、誰のこと!?」
「……っ―――あぁ、ジャック…」
肩をゆさぶる。イオは膝から崩れ落ちた。
見上げてくるけど、焦点が合わない。震える唇で、それを告げた。
「ねぇジャック……コレットを殺したのが、ルイナだったとしたら、あなたはどうする?」
「―――っ!」
何を言われたのか、咄嗟に理解できなかった。
でも、じわりと言葉が脳を侵す。コレットを殺したのが、ルイナだって…? ……ふざけたことをっ!
「どうしたのさ、何言ってるんだよイオ!? コレットは“暮れの災厄”で、っ―――の、せいでっ! 誰かのせいでもない! 誰のせいにも出来ないって、イオも言ってたじゃないか!?」
「……そう、よね。ははっ、私も―――そう、信じたかった。けど……っルイナは―――ルイナは―――っ」
イオが何か言いかけた瞬間、大きく地面が震えた。どこからか爆発音が鳴り響く。
「っ―――!?」
振り返る。爆発音は、後ろから聞こえてきた。
僕が今しがた駆けてきた道の向こう、天まで届くほどの土煙が立ち込めている。
パラパラと、建物の残骸が降り注ぐ。あぁ、嘘だ、煙を上げている場所は、紛れもなく僕たちの家があった場所で。
そこには、まだ、ルイナがいるはずだった。
「っ、ルイナ!!!」
叫ぶ。手を伸ばす。走り出そうとしたけどイオが手を掴んだまま邪魔をする。
「っ!」
「ジャック…!」
乱暴に手を振りほどく。
走る。
叫ぶ。
行かなければ、ただその一心で走る。
「っ!」
やがて土煙は薄れゆく。もうもうと立ち込めていた白煙の向こうから、浮かび上がってきたのは巨躯の影。
そこにいたのは銀狼―――僕は悟った、ルイナの平穏は今終わったのだと。




