3-2.白髪の青年の物語 起(2)
獲物を求めて再び森の中を歩いていると唐突に地面が揺れ始めた。
「うぉっ!」
「いっ…!」
ワンクスも僕も腰をかがめて近場の木の根を掴んで収まるのを待つ。
2秒、3秒、4秒……次第と揺れが落ち着いてくる。しばらくそのまま屈んで待って、ようやく揺れが収まったあたりで立ち上がり額の汗を拭いた。
「…長かったね」
「そうだな。もう一回“あれ”が来たのかと思ったぜ」
ワンクスも同じ想像をしていたらしい。頬を伝う珠の汗を拭っていた。
揺れは既に収まっているはず。なのに足元が覚束ない。拭い切れない過去の恐怖が、未だに足を震わせてくる。
……“暮れの災厄”。僕たちが暮らすキルヒ王国、そこに住む人間種の数を半分以下に減らした史上最悪の災害はまだ記憶に新しい。半年前の夕暮れ時に突如として襲ってきた恐怖は、未だ僕たちの背にじっとりと張り付いている。
「……行こう。多分、今の地震で魔物も浮足立っているはずだから」
「……そうだな」
背中を這い上がってくる恐怖に、理屈で無理やり蓋をする。震えてしまいそうな時であっても、役割さえあればヒトは意外としぶとく生きられるんだから。
『魔物を狩り、それを喫緊の食糧とする』―――国と冒険者ギルドが共同で打ち立てたその方針は、それまでの常識を覆すものだった。
魔物の肉を食べるなんてとんでもない。百害あって一利なしの代物だ。それは僕たち冒険者だけでなく、一般人含めての常識だった。
だけど、そう。今や背に腹は代えられない。“暮れの災厄”によって多く死んだ。と同時に長く続いた雨や地割れ、土砂崩れなんかで家畜も田畑も全滅に近い。キルヒ王国は未曽有の大飢饉に陥った。
運よくどこぞの市町村に備蓄があっても、地割れで街道のあちこちは行き止まり。そもそも荷運びする牛も馬も足りない。“暮れの災厄”を生き残ったヒトの多くが、そのまま餓死する運命にあった。
それを、僕たち冒険者が解決する。狼や猪なんかの獣が狩れれば御の字。魔物であっても腹に入る分、飢えるよりマシ。
国がギルドへ仕事を依頼。ギルドは冒険者を斡旋して各町村へ派遣。そうして僕たちのパーティに割り当てられた村がオグスト―――なんの縁もゆかりもないこの土地で、僕たちが狩人みたいな真似をしているのはそんな理由でしかない。
『あんまり無茶はしないこと。怪我だけはしないように』
獲物の姿を探しながら、イオから言われた小言を思い出す。
その言葉は決して僕の身だけを案じて言ったものじゃない。今、僕が―――いや、ワンクスやイオ、僕たち3人のうち誰かが倒れれば、それだけでオグストの村は終わってしまう。
食糧調達には最低限2人、獲物を持ち帰る役とその間周囲を警戒する役の2人が必要で。
狩りをしている間、ろくな防衛機能の無い村に魔物が入ってきたときの自衛手段として最低限1人は残る必要があって。
“暮れの災厄”後、3人に減ってしまった僕たちのパーティは常にかつかつの状態で役割を回している。
他の町村も似たような状況だから、応援が駆けつけてくれる未来は望めない。むしろ冒険者に見捨てられた村から難民が来るくらいだ。近隣の中でもわりとオグストはまともに生活できるレベルなんだろうと思う。
大きな町にいたっては、元々住んでいた人以外の受け入れを拒否しているらしい。命からがら逃げてきた難民から聞いた話だけど、近場の狩場だけでは食糧が足りないらしく多くのひとが飢餓状態になっているとのこと。交易がなくなってしまった今、オグストみたいに森と平野に囲まれた土地の方が生きやすいということだ。
それでも、僕たち3人のうち誰かの何かが欠けただけで終わってしまう、そんな崖っぷち。
……ふと、思い出す誰かの顔。それが銀色の影と重なって、胸の奥が疼く。
「………」
げんなりする。頭をこつんと叩いた。
「どうした、ジャック?」
「…いや、ごめん。ちょっと立ち眩み」
「気をつけろよ?」
「うん」
短く言葉を交わした後、すっと突然ワンクスが右手を上げる。獲物を見つけた時の合図だ。
気配と息を殺し、剣の柄に手をかける。草木の中に身を潜め、ワンクスの視線を追って獲物の影を探す。
―――見つけた。醜悪な小人、草色の肌をしたゴブリンの頭が2つ見える。
彼らは鼻を鳴らす。きっと、僕の身体についた血の臭いを嗅ぎ取ったんだろう。
「ジャック、俺は右から」
「時間は?」
「20秒貰う」
「分かった」
短くやり取りしている間に、ゴブリンの方でも動きがあった。何かしら意思疎通をし、1体だけ離れてこっちへ警戒した足取りでやってくる。後ろの奴は矢をつがえている。
ワンクスは、気配を消して森の暗がりの中に消えていった。
「……ふぅ」
思考を切り替える為に息を吐く。と同時に、目を閉じる。
瞼の裏、暗闇の世界にぼんやりと浮かぶのは等身大の鏡のイメージ。
近づき、鏡を覗き込む。そこに浮かぶのは、強い自分の理想像。
僕は、今から理想を体現する。
「<強化>」
【能力】発動。じんわりと右目が熱を帯び、淡い光を放ち始める。同時に万能感と高揚感が胸の底から湧いてくる。
と、先行していたゴブリンの足が止まる。どうやら僕の存在に完全に気付いたらしい。期待してはいなかったけど、不意の一撃は与えられないようだ。
「………」
足場が悪い草の中から姿を現す。剣を正眼に構えて、ゴブリンと相対する。
2体とも仕留められれば、20食分くらいの糧になる。正直、コボルト以上に生理的に受け付けないけど、背に腹は代えられない。
「っ!」
風を切って矢が飛んでくる。躱し、地を蹴り間合いを詰める。
生き残る為、剣を振るう。白刃が赤い軌跡を描いた分だけ、誰かを失わずに済むと信じて。
昨晩は魔物の肉炒め。今朝は魔物の肉煮。今晩はきっと肉炒め、その繰り返し。
毎朝毎晩、変わり映え無く出される料理に飽きてくる。とはいえ、本当にそれしか食べられるものがないんだからしょうがない。
“暮れの災厄”以降、普通の野生動物はほとんど狩れない。元々数を減らしているのもあるんだろうけど、食い散らかされた跡をたまに見かける。ヒトがやっていることではない。そもそも“暮れの災厄”以降、生態系の異常か魔物の出没数が出鱈目に増加していて僕たちみたいな冒険者以外はまともに外を出歩けない。つまりは、そういうことだ。
そうしてたまに運良く取れた動物の肉や食べられる木の実なんかは、魔素中毒を避けなくてはいけない病人や子供、老人に率先して割り当てる。若くて健康で、そもそも魔素に対して抵抗力がある僕たち冒険者は、反対に率先して魔物肉を食べている。
一応は固形物で満してやっているんだ、腹に文句は言わせない。だけど、味付けしてもほんとに味が薄くてつらい。ついつい愚痴をこぼしてしまうのは許されるべきだと思う。
「さてと」
夜。見回りの時間がやってきた。村の門から外に出て、作りかけの塀に沿ってぐるりと廻る。
時々篝火を焚いて立っている村のひととすれ違う。彼らも夜番で警戒の任を与えられているひと達だ。
暮れの災厄が起こる前まではこんなに警戒しなくても魔物が村を襲うことなんて滅多になかった。だけど村に持ち帰った魔物の血肉、その臭いにつられて普段は人里を襲わない魔物がやってきてしまうことがある。本当に、百害あって一利なしの代物だ。
オグストの村で戦える力を持っているのは僕たち冒険者たる3人しかいない。それぞれ昼も仕事があり、夜は夜で交代しながらの見回り―――ほんと、人手の足りなさが深刻だ。
村のひと達には感謝されている。労いの言葉も多い。色々協力もしてくれる。
けど、それだけだ。
彼らの感謝は力にはならない。なるのは、もっと別の感情だけ。それも、あまり褒められたものではない。
「………」
胸元にしまった首飾り、その感触を服の上から確かめる。
―――奥ゆかしく笑う、1人の女の子の顔を思い出す。もう、名前を呟くのすら躊躇われる。
“暮れの災厄”を乗り越えられなかったひとは多い。僕たちも、仲間を3人も失ってしまった。
1人は行方不明。たぶん、地割れに巻き込まれて死んでしまった。
1人は建物の崩落に巻き込まれて死んだ。必死に瓦礫をどかした後、もう、何もかもが遅かった。
そして、もう1人は―――
「………」
肺が狭まるのを感じる……もう、目の前の誰かを失うのは嫌だった。イオも、ワンクスも、もう誰も死なせたくないと強く思った。
生き残って、生き足掻いて、足跡を残していくことこそが、僕たちみんなの生きてきた証になると信じて。
生き残っていくしかない。役割をこなして、一歩一歩を踏みしめていくしかない。その想いだけが、僕の原動だ。
今晩も門の外をぐるりと回る。僕が守りたいのは身内の仲間と、死んだ仲間に恥じない生き方、それだけだ。
4時間の見回りを終えて、夜闇を縫ってやってきたイオと交代する。
今晩の仕事に暇を告げ、村の中に入ってからの帰り道―――ふと、そのひとの姿を見つけて足を止めてしまう。
「………」
月明かりに照らされる白銀の輝き。天を仰ぎ見る真紅の双眸―――決意と覚悟の間に、動揺が走る。
彼女と僕を隔たるものは十メートルの距離と家の柵。そのまま通り過ぎれば良いものを、足はその場から動いてくれない。
「……?」
静かに、彼女は地上に視線を降ろした。そして、僕のことを見つけて微笑む。
ずきりと、胸が痛む。
「こんばんは、ジャックさん」
「―――こんばんは」
声につられて、近寄ってしまう。だけど、顔を直視できない。見たくないものがそこにあった。
「今晩も遅くまでお疲れ様です、イオさんとは会われましたか?」
「うん、さっき。見回りを交代したよ」
「そうですか。いつも本当にお疲れさまです」
彼女の声は、麻薬だ。軽やかで耳障りが良く、親しみの情も含まれているからこそ受け入れてはならない。
いっそ何も考えずに受け入れてしまえればどんなに楽かと思う気持ちは、劇薬だ。堕ちたらもう、僕は僕を許せない。
「あの、もし宜しければ少しお湯を飲んでいかれませんか? さっきまでイオさんと飲んでいたものがまだ余っているんです」
「いや、いいよ。もう寝るだけだから」
言ってから、なんと下手糞な断り方だろうと腹が立つ。
ああ、でも、他意はないんだ。誘う彼女にも断る僕にも、他意なんてあってたまるか。
僕は彼女にとって命の恩人で、彼女は僕にとって仲間の同居人。それ以上でもそれ以下でもない。
「そう、ですか」
彼女は少しだけ、気落ちしたような声を上げる―――胸が苦しい。気づけば、僕は呼吸を忘れていた。
「―――それじゃ、もう行くから」
「はい。おやすみなさい、ジャックさん」
「うん、おやすみ」
何とか、体裁を保てるだけの言葉を吐き出して、急いで背を向ける。
胸の奥が重い。肺が酸素を求めて暴れ出そうとしている。
それでも、吐き出したい。何を? 答えなんて、考えたくもない。
とにかく泥のように眠りたい。ただ、それだけ。
【Tips】能力
生物は皆、“力ある言葉”を魂に刻まれている。その言葉は生き方や宿命を象るものであり、表層化されることはない。
しかし魔素を大量に取り入れた魂は在り方を変え、言葉に応じた力を1つ、能力として魂の主に与える。その際魂から溢れた魔素が血流を辿って右の瞳より漏れ、薄く発光する。
魂の主はスキルを発動させたとしても自身に宿る“力ある言葉”が何であるかまでは分からない。ただ古来より記録・体系づけされているスキルの効果と照らし合わせ、自身に宿ったスキルが何と呼ばれているものなのか把握することは出来る。
中でも<強化>のスキルは発現するスキルのうちで単純に肉体増強してくれるという、最も分かりやすくポピュラーなものである。その他、未だ効果の全容が掴めず名も定着していないスキルは多くあり、日夜研究が進められている。




