2-6.害す者と守る者(2)
「さあ、娘よ! 己が身の潔白を証明するために、今その烙印を異端へ押せ! そうすれば我らの間に生まれた誤解は消えるだろう」
サラは集まった市民全員に聞こえるよう口上を垂れ、異端と関わりを持ったと疑われている少女に対してそれを渡した。
長い金属の延べ棒の先に、こぶし大の金属板。その板の裏側には、異端の証たる刻印が彫られている。
ラサ教会の異端管理部が管理する魔術烙印である。サラが少女へ提示したのは、『異端へ烙印を押せば異端に与する意思なしとみなす』というものであった。
少女はそれを受け取り、内蔵された魔術回路によって絶えず煙をあげて熱を発し続ける先端を見て、息を引きつらせて身を震わせ始める。
この烙印を押された者はその時より、神から罪人と認められた者となり、以降死ぬまで隔離された場所で贖罪の労働を架せられる。この烙印を押すということは、終身刑の判決を下すに等しい所業であった。
その烙印が、今、自分の手に握られている。しかも熱せられたそれを意識を失い倒れている、こんな痩せ細った子へ押さなければならない。少女はその手に握るものの重さに、挫けて取り落としてしまいそうになる。
何故自分がこのような目に遭っているのか。何故自分がそんな残酷なことをしなくてはいけないのか。少女は自身を襲う非現実の所業に、目を瞑ってしまう。
「―――押せなければ、お前は異端になる」
「っ……!」
途端、耳元でねっとりと囁く声が聞こえる。少女はびくりと一層身を震わせた。
自分が異端になる―――考えたこともない、その結末。異端になれば、元々歩んでいた人生など関係ない。閉ざされた贖罪の生があるだけ。
嫌だった。だけど、それでもこの印をこんな子に、意識を失って無抵抗な相手に、押さなければならないなんて―――
「それだけじゃない。お前が異端になればあそこの父親…お前を庇おうとするかもしれないな? おや、そうしたら親子揃って異端になってしまうな。こんな、異端なんかのせいで―――」
「……!」
その囁きは、彼女へ勇気を与えた。あるいはそれを業と呼ぶのかもしれない。
ぴたりと震えが止まった。少女は鉄の棒をしっかりと握り締め、先端を異端の子へと近づけていく。
狙う先は頬。一度押し付ければ二度と消えぬ烙印―――だが、そうだ。囁かれた通り、元々相手は異端なのだ。これを押すのと押さないのとで、彼の今後の人生に差は生まれない。きっと、少し、熱いだけ。
それに自分が押さなくても誰かが押す。そしてもし自分が押さなければ、自分も父も異端となってしまう。
「………」
彼女が異端の子を見下ろす目には、もはや躊躇いの色は映っていなかった。
さあ、彼女には理由も言い訳も用意してあげた。これで誰かが傷つくことはない―――サラは自身が描いたシナリオ通りに事が進んだことを、降ろされる烙印を見ながら確信した。
心優しい者が一時の憐憫の情で異端へ手を差し伸べてしまうこともある。それに対して厳正に皆処罰してしまえば、ひとは優しさを失ってしまい、憎しみが生まれる。それは神の望むところではない。
異端に手を貸すとろくな目に遭わない。
異端と距離さえ置けばそれで大丈夫。
そこさえしっかり線引きできれば、人々は優しさを失わずに異端にのみ冷酷になれる。そんな秩序を保ち続けるのが彼女達、異端審問官の役目である。
ただ一方で、その甘さを民に気取られてはならない。異端審問官は人々にとって冷たく巨大な『絶対の掟』でなくてはならない。その相反する使命を遂行することは難しい。難しいが、為さねばならない。その為であれば脅しだろうが甘言だろうが何でも使う。それこそ、異端審問官の業である。
そうして今宵もサラの目論見は無事に叶い、目の前で烙印が降ろされていく。
「………」
―――降ろされていく。
「………」
―――降ろされていく。
「………」
そうして異端の頬のすぐ真横―――地面に降ろされた烙印の先を見て、サラは怜悧に目を細め、少女を見た。
―――泣いていた……お前も、お前も優しさと愚を見誤るのか。サラの胸中を、苛立ちと怒りがひしめき合う。
サラは少女から視線を外し、隊長であるツォンギンを見る……彼は頭を振った。この瞬間、少女が異端となることが決定した。
「……」
己が手で、異端でなかった者を異端にしなければならなくなった。サラは唇を一度固く結び、息を吐く。
やらなくてはならない。これは自分達が絶対の掟であり続ける為には仕方のないことなのだ。
彼女がなすべきことは少女より烙印を奪うこと、そして少女と異端の子へ印を押すことである―――異端でない者を異端にすることは初めてではない。それでも胸の奥にズシリとのしかかってくる不快感は慣れない。
だが、やらねばならない。サラは結んだ唇の奥で歯を噛み締め、2人の異端の方へと向き直った。
……そうして彼女の注意が逸れていたのは、僅かに数秒のことであった。機と捉えるにはあまりに短い時間である。
だが確かにその数秒はあったのだ。その好機を見逃さず、動く者がいた。
「―――っ、きゃぁっ!」
「う、動くなぁっ!」
「……っ!」
突如、ずっと気を失っていたままと思われていた異端の子が飛び起きた。そして脇で泣いていた少女を素早く捕まえると羽交い絞めにする。
「う、動くなよっ!? 動くとこの姉ちゃんにこれを押し付けるからな!?」
更にあろうことか少女より烙印を奪って、それを彼女の顔へと突き付けた。
「っ……」
突然の出来事に、サラは身動き取れず剣も抜けなかった。ただ、異端の子を拘束していた縄が切られて地に落ちているのを見て、彼が予想以上に強かであったことを悟る。
彼は少女を盾にサラを脅す。サラは唇を噛み、動きを止めた。
―――が、それも一瞬のことである。異端への憎しみと異端審問官としての責務が彼女の手足を動かした。
大切なものを守る為に。
不幸なひとをこれ以上増やさない為に。
私よ。決して屈することなかれ。
「……神よ、痛みをもって償いを与えます」
今から自分が犯す咎を、古き言葉で神へと告げる……儀式は済んだ。
そうして手は剣の柄へ、足は異端の子に向けて動く―――異端の子の意識を奪うまでに残り数秒も必要ない。捕らわれた少女については思考の外に追いやる。どうせ、異端となる娘である。
「あぁっ、ターニャ!」
背中の向こう、検分の邪魔にならないよう外させていた少女の父が声を上げる。彼は既に娘が異端となる運命にあることを知らないのだ。憐れ。サラの覚悟が微かに鈍る。
しかし足は止めない。既に手は剣を抜いた。
それがサラの選んだ道。
この世で正義と認められている道である。
「っ!!」
地を蹴った。駆け、異端の胴に剣の腹を打ちつける。
その結果に至るまで1秒にも満たない。誰もが何をも覆せないはずの世界で―――
その1秒を、機に変える者がいた。
「っ―――!!」
その瞬間、初めに声を上げようとしたのはツォンギンであった。彼は隣に立つ赤毛の少女が無言のままに杖を振るうのを見て瞬時に察した。
そして叫ぼうとした。異端を捕らえよ! 迅速に!!と―――
ただ、その指示が飛ばされるよりも前に結果は訪れる。彼はその時、その場において全くの無力であった。
「…っ」
次に違和感を覚えたのはサラであった。
駆ける視界の中、何かが宙を舞う。それは松明の光を照り返し、キラリと光る金属片のように見えた。
何者かの攻撃、もしくは妨害工作か。咄嗟に警戒で目を細めた彼女は、しかしその金属片があさっての方向に飛んでいくものであると知る。
何であるのかは分からない。ただ、すぐに確認しなければならないことでもない。彼女は刹那の間にそう断じて、もう一歩を踏み出す。あと一歩を詰めれば、剣の間合いに届く。異端の子の意識を刈り取るまで、残り瞬き以下の時間である。
「……っ!?」
しかし、最後の一歩を踏み出せなかった。剣を振るいかけたサラへ更なる違和感が襲う。そしてその違和感はその場にいる誰をも襲っていた。
「―――ひっ」
誰かが喉を鳴らした。それは果たして、1人だけに留まらない。
鮮やかな赤が宙を舞う。
壁も、地面も、サラの顔や服も真っ赤に染まる。
血が噴き、溢れていた―――どこから?
沸いた疑問の答えを、サラの瞳は映していた。
異端の子が、首を無くしていた。
「ひっ…!」
やがて、ごとりと音を立て、異端に捕らわれていた少女の足元に何かが落ちてくる。混乱と恐怖に震える彼女の瞳が、それを捉えた。
「ひっ、い、いやぁぁああ!!」
異端の子の首と目が合う。少女は悲鳴を上げた。その後ろで、異端の子の胴が倒れる。
「っ、何が……っ、いや、誰が…?!」
そのまま腰を抜かし、倒れそうになった少女を咄嗟に抱き寄せ、サラは周囲を見渡す。
何も見えなかった。近づく者、首を刎ねる物、何の気配も音も認識できなかった。
無音の刃、無形の者、その魔の手は此度異端へと伸びたが―――次に、誰へ伸ばされないとも分からない。
意図を知らねば。犯人を突き止めなければ。彼女は少女を腕の中に庇いながら敵を探す。
「そんな警戒しないでいいわよ。こっちは異端さえ殺せれば満足なんだから」
「……!」
そうして松明の明かりに照らされた人だかり、その中から一際小柄な少女が歩み出てくる。
赤い髪と黒い三角帽子。幼い容姿に似合わぬ言葉遣いと、存在感。
「―――ミチ、さん?」
出てきた人物の名を、サラは問うように呟く。だが応える声はない。赤毛の少女は悠然と歩き、彼女達のもとへ向かってくるのみであった。
「……っ」
そうして、人だかりより遅れて出てきたツォンギンが周囲を見渡し、事態の全てを把握した後―――
「……この、【異端狩り】め―――」
憎々し気に赤毛の少女の背を睨みながら、その異名を曝したのだった。
【Tips】異端狩り
ユーテル神聖国内にて、最近噂されている『異端狩り』なる者がいる。
曰く、摩訶不思議な力を用いる者。彼の者は詠唱も魔法陣も儀式も必要とせず、魔術に似た力を行使する。彼の者の前に立ちはだかった敵は、刹那の後に殺されるのだという。
あるいは。
曰く、異端を嬉々として殺す者。彼の者に捕らえられた異端の亡骸は五体満足の形では見つからず、目はくりぬかれ耳は削がれ、皮膚は剥がされ手足は切り落とされ、バラバラに解体された状態で見つかるのだという。
ラサ教の教義によると、前世で贖いきれていない罪がある為、異端として生まれ落ちてきたとされている彼ら。この世では彼らに対して多くの権利が認められていない中、唯一『生きて贖う』権利だけは認められている。それを奪うことは市民はおろか、異端審問官すら許されない。
しかし、異端狩りと呼ばれる彼の者だけは許される。彼の者はラサ教の最高幹部、七大司教が1人、フォルス大司教より『異端を殺す権利』を唯一認められた者である。
その力の源や出自、何故異端を殺す権利を認められたかの経緯など、ほとんどが謎に包まれている。ただ情報通の間では『赤髪、眼帯、童女の形をした者。名をミチとだけ名乗る』という噂が流れている。




