第31話 最後の晩餐 (乾レナ)
ソラは夢中で走っていた。今日もコンビニのバイトは入っている。
だが向かう先はそこじゃない。
会いたい。あの人に。
キーボードを叩いていた時、振動で書棚から何かが落ちた。レトルトカレーの箱だった。ソラはミステリー小説で本棚を埋め尽くしており、一冊だけ空いた隙間に、レトルトカレーを箱のまま差し込んでいたのだ。縦横、幅のサイズも書籍とぴったりな、エチオピ屋の激辛カリー。
そうだ、あの人は何よりカレーが好きだった。
一心不乱に家を飛び出した。夕暮れ時、バイト先のコンビニを通り越して住宅街を抜けると、次第に人気のない道に入っていく。鬱蒼とした雑木林が待ち構え、ソラは身震いしたが、眦を決して森の中へ分け入っていった。
離人したもう一人のソラは、空から彼女を見つめている。
あった! 『スパイシーシェフ・エチオピ屋』――
黄色い煉瓦造りが目印の。森の奥にひっそりと佇むネパールレストラン。本場インド人が切り盛りしているようだが、扉に掛かっているプレートは常時『ナマステ But準備中』で、いつ開店しているのか解らない。こんな立地条件では客足は遠退くに決まっている。シェフは儲け度外視で営んでいるらしい。
扉に手を伸ばそうとしたソラは、ゾワッとして跳ね上がった。
ドアノブに掛かったプレートには、『本日限定8食♡凄惨カリー仕込み中』
後退りしたソラは、踵を返して走り出した。
インドカリー店が次第に遠ざかり、ポツポツと雨が落ちてくる。
森の中を闇雲に彷徨っていると、切り株に蹴っ躓いて枯れ葉の絨毯に倒れ込んだ。土と雨と森の匂いが混ざって、カルダモンの香りがする。雨と哀しみで少女の視界は霞み、切り株の年輪が歪んで見えた。
ふいに背後から、バームクーヘンの甘い匂いが流れてきて、ソラの嗅覚をくすぐった。地面にへばり付いていた身体を起こし、半身で振り返ると。
「急にカレーが食べたくなってね。……いや、そうじゃない」
黄金の袴に身を包んだ美少年がソラを見下ろしている。
「会いたかったんだ。会えると思ったよ、〝みのり〟」
ソラは抱き起こされた。
「Kan様――」
*
同時刻。怪しい人影が森の中で蠢き、何某かがエチオピ屋を通り抜けた。ドレスに身を包んでいるが、彼はれっきとした男だ。
「時は今、雨が下しる、さつきかな。すべては天のなすべきままにして」
彼は口ずさみながら、ある化学者の老紳士を追っていた。邪魔な麻薬取締官の手前、一旦は身を隠し、老紳士が一人になるのを見計らい、行く手を先回りしていたのだ。距離を縮め、背後から肩を鷲掴みにする。
「森で会ったが千年目。雑木林よりハヤシを凌ぐ、大盛り森もりココ壱番、カリーは遠くなりにけり。黒須三平殿。いや、ここは奥田光治殿と呼ぶべきか」
黒須三平こと奥田光治は身構え、オカマの変態野郎と対峙した。
「君は、戌亥冷愛助」
戌亥冷愛助と呼ばれた男は、老いた医学博士の前に液体の入った三角フラスコを振ってみせ、浸けてあった注射器を抜いた。
「流殿という奇特な巫女からだ。冥土の土産には荷が重すぎると、不肖に託してくれた」
戌亥は見た目は十代だが、その齢は百歳を超えている。主催者Kan手下の一人であり、七人のユーザー最年長の男だった。
「不肖が干物とガマガエルで出汁を取り、天海住職からせしめた蛇の生き血&河豚油の特製エキスを垂らし、鰻醤油で味を調え、柚子を搾ってビタミンBの破壊と放出を防いでいる。レトロウィルスは黄昏に科学反応するから、夕焼けの成分を吸って液体化しているが、日が暮れたら間もなく気体化する。使うなら今しかない」
*
「なあ、おかしいと思わないか。各務の資産家事件」
崩壊寸前、S市のカタコンベ。邪神カガミノオロチに支配された洞窟の中で、前橋篤郎は低い声で切り出した。
「何がですか」
小田切は、愛する瑛菜を抱きしめながらビクリと反応した。
霧音は懐から取りだした円雨を、拾った木の枝で掬って食べている。悠玄と共に雅楽川を訪ねた時、モンブランに感動した霧音が土産として貰ったものだ。『レイニーサウンド』自慢の名物、マロングラッセのまるごと入ったゼリー。
「ぐはっ」
あまりの美味さに、またしても呻き声を漏らした。
最後の晩餐とばかりに円雨を貪る霧音を一瞥し、前橋は続ける。
「各務家惨殺事件で死んだはずの人間のほとんどが、別人の魂を吸収して甦り、十五年の時を経て再会した。秋菜だと思わされていた人物は、実は音菜だった。豈はからはんや、この事件の真の目的は秋菜を殺害することにあり、尚且つ秋菜以外の全員が生還し、各務家は無理心中で破滅したと世間に思わせることにあったとしたら」
「何が言いたいのですか」
前橋を除くメンバーは、核心が掴めなくて苛立ちが募る。
「朧月玄明閣下からの極秘メッセージで、サプライズ情報が入った。藤吉郎は婿養子で、秋菜に散々な扱いを受け、常に怯えていたそうだ。恐れはいつしか憎しみに変わり、秋菜を殺害する計画を思いつく。ある人物と手を組んでね」
前橋の独白にも動じない、創一郎だけは、
≪南無三ナムナム ハンジャカマラシー・シッター仏陀ールッターずんだ餅! 南無妙ほうれん草よ ギャーテーギャーテーハラソーギャーテー ほうれんソテー腹八分≫
御経の如き呪文を唱え続け、陰陽師の役目を貫いている。宗派が混ざりあっている上に、所々オリジナルを加えているようだが、罰当たりにならないのか。
「今や鷹野橋の身体を乗っ取っていた藤吉郎は、柚菜によって完全に消滅したので、死人に口無しだが。その人物は言葉巧みに藤吉郎を誘惑し、カガ一族の末裔を崩壊に追い込む。かくやあらん、用済みになったら藤吉郎をも始末し、遺産を一人占めする腹案があった。恐らく秋菜は監禁され、死に際に思議を巡らせたんだろう。夫の謀と共犯者の正体に気づいた秋菜は、死に際、ダイイングメッセージを遺していたんだ。藤吉郎にも、もう一人の犯人にも悟られぬよう、あるモノに見せかけてね」
「ぐぇほ! バカな! ダイイングメッセージなど洞窟内の何処にも残されていないはすだ」
霧音は咳き込みながら、辺りを見回して叫んだ。円雨を一気に呑みこみ、喉に詰まらせている。
「思い出さないか。M街のカタコンベ。人骨の壁に刻まれていたモノがあっただろう」
悠玄に導かれて入った墓所。霧音の脳裏に蘇る識別番号。文字と文字の間に、染みのような点が所々入っていた気がするが。
「毒ガスを表す【五一六】、細菌兵器を表す【七三一】。各漢数字の画数を分解すると、五=一一一一。一はそのまま。六=一一一一。七=一一、三=一一一。何か気づかないか?」
「まさか、モールス信号!」
倉敷が困惑の表情で語を継いだ。
珠菜≒環稀、瑛菜≒八重子、小田切、霧人≒霧音、創一郎。彼らは息を呑んで絶句した。
洞窟の外では柚菜が瞠目し、耳を研ぎ澄ましている。
「御名答」
我が意を得たりと頷いた前橋は、全員を鋭い眼孔で射抜いた。
「モールス信号を解読すれば、ある人物の名が浮かび上がるだろう。藤吉郎の共犯者であり影の黒幕、〝もう一人のカガミノオロチ〟は俺たち八人の中にいる!」




