第30話 イレギュラー (奥田光治)
同じ頃、各務柚菜はカタコンベの前に到着していた。目の前のカタコンベは崩壊こそしていないが、内部から轟音が響き渡っており、尋常でない何かが起こっているのは明白である。
「さてさて……盛り上がっているみたいだけど、どうしたものかなぁ」
こんな状況にもかかわらず、柚菜は面白そうにそう言いながら、カタコンベのすぐ傍に停車してある前橋の車のボンネットに座ってカタコンベを見据えていた。詳しい事情まではさすがにわかりかねるが、少なくともこのままでは大変な事になりそうなのは柚菜にも理解できていた。
「とりあえず、何が起こっているかわからないのは困るし、ここは直接聞いてみますか」
そう言うと、柚菜は携帯電話を取り出し、どこぞに電話をかけた。十秒ほどして、電話の相手がでる。
『……よう。随分なタイミングでかけてくるんだな、柚菜の嬢ちゃんよ』
電話口の向こうから、前橋の落ち着いた返答があった。それを聞いて、柚菜はひとまず胸をなでおろす。
「やっほー、前橋警部、まだ生きてる?」
『何とかな。正直、電話が通じたのは奇跡に近い。だが、事態はかなり深刻だ』
そう前置きして、前橋は今までカタコンベの中で起こった事を素早く説明する。
「へぇ、随分大変な事になってるみたいねぇ」
『あぁ。だが、敵さんの最大の誤算は、俺とお前がこういう形でつながっている事に気付かなかったという事だろう。実際こうなる前から、お前は各務家の人間でありながら「第三勢力」という形で自由に動く事ができた』
「そーね。だからこうして、この期に及んでもあたしはカタコンベの外にいて、生贄の七人とやらの数合わせには含まれていないわけだけど」
柚菜はそう言って肩をすくめる。そう、実際この時点において、柚菜は事件を外から見つめる事ができる『第三者』……黒幕からすれば『イレギュラー』の地位を確立する事に成功しているのである。
『おそらく本来なら、ここにいるのは俺じゃなくて、一応各務家の人間であるお前だったはずだがな』
「まぁ、役目を押し付けちゃった前橋警部殿には申し訳なく思ってるわよ」
『余計なお世話だ。だが、その分好都合ではある。怪異が絡もうが現実の事件だろうが、こういう八方塞がりな事態が起こった時にそれを打開する常套手段がある。それがなにかわかるか?』
「何? また格言か何か?」
楽しそうに言う柚菜に、前橋は意味ありげに答えた。
『簡単な事だ。「相手の予想外になる事を起す事」だ。戦だろうがビジネスだろうが犯罪捜査だろうが怪異退治だろうが、その本質は変わらない。例えば関ヶ原の戦いでは予期せぬ裏切りで数に勝る石田三成は破れ、歴代推理小説の探偵たちは犯人にとって想定外の証拠を突き付ける事で彼らの犯行を暴き続けた。予想外を起こし続ければ相手は対処できなくなり、いずれ相手のプランは破壊されるという事だな。そして、この場でイレギュラーな存在になっているお前は、この「予想外」を起こせる立場にいる』
「……ふーん」
柚菜の顔に不敵な笑みが浮かんだ。
「面白そうじゃん。それなら、こっちはあたしなりにやれる事をやってみるよ」
『頼む。こっちはこっちで何とかするつもりだ。やり方は任せる』
「了解。ところで……パパからのメッセージ、ちゃんと届いた?」
『パパ……あぁ、朧月大臣のメールか。心配せずとも、ちゃんと届いている』
「そっか。で、感想は?」
『とても役に立った。しかし、あの情報はどこから?』
「企業秘密」
『……ふん』
前橋がせせら笑う。
『まぁいい。このメッセージもある意味相手にとっての「イレギュラー」になりうるものだ。ありがたく、こちら側の「切り札」にさせてもらう』
「使い時は間違えないようにねぇ」
『もちろんだ。少なくとも、俺はこんな所で死ぬ気はまったくないからな。他の連中も色々思惑があるようだが、俺は俺なりのやり方でこの場を乗り切ってみせる』
「期待してるね。それと、さっきの話だと近くに珠菜ねーさんもいるみたいだけど」
『あぁ。何か話すか?』
「別に。話ならさっきもう済ませたから、もうこれ以上話す事はないよ。無事かどうかが気になっただけだし」
『そうか』
前橋はそれだけ言う。詮索するつもりはないようだ。
「それじゃ」
『あぁ。健闘を祈る』
それで通話は切れる。柚菜はフゥと息を吐いて、改めて正面のカタコンベを見やった。
「さてと……請け負ったはいいけど、これどうしたらいいかなぁ。それに……敵さんも、『イレギュラー』が盤面を狂わす事くらいわかってるだろうし、絶対妨害はくるだろうしねぇ」
そう言って、柚菜は歌うように唐突に後ろに声をかけた。
「ねぇ、そう思わない? どっかの誰かさん」
その声に、後ろの方から一人の男が姿を見せた。
それは老人だった。パッと見た限り八十歳前後と言ったところだろうか。だが、着ている服は上物で、黒っぽいスーツに杖をつき山高帽をかぶった、どこかイギリス紳士のような風貌の「老紳士」であった。
「……気付いていたのか」
「まーねー。こんな所にいる時点でまともな人間じゃなさそうだし、少なくとも偶然ここを通りかかったただの一般人ってわけじゃないよね」
「……そうだな」
老紳士はせせら笑う。
「とりあえず、名前を聞いてもいいかな? あたし、名無しの権兵衛とやり合うつもりはないから」
「……黒須三平」
その名前を柚菜はどこかで聞いた覚えがあった。確か……
「最初の鷹野橋殺しの捜査記録で見た名前だなぁ。確か、事件の時に霧音を目撃した犬を散歩中の老人の名前、だったかな」
「御名答」
黒須は苦虫を潰したような顔で応じる。
「そっか、そっか。つまり、あの時からもう霧音の事を見張ってたってわけね。まぁ、他の関係者も全員何かしらの背後があったから、あの老人だけ何もないって事はそれこそないと思っていたけど、ここで出てくるなんてねぇ」
「……」
「で、あんたも多分『ユーザー』とやらの一人なんでしょ。そっちの名前は?」
「……『奥田光治』と名乗っていた。言うまでもなく、これも偽名だがね」
「ちなみに、名前の由来は?」
そう聞かれて黒須はせせら笑った。
「期待されて悪いが、特にない。どこかで読んだネット上の三文推理小説にそんな名前の登場人物がいてな。特に主役というわけでもなく、名前も作中で一回しか出てこない脇役中の脇役だったわけだが、何となくその名前が気に入って、名前の読み方だけ変えて私のユーザー名として使わせてもらったというわけだ。もっとも、その小説はしばらくして作者が退会したらしく、今ではもう読めなくなってしまっているがね」
ただし、と黒須は言い添えた。
「聞かれる前に言っておくが、『黒須三平』の方も偽名だ。本名は勘弁してほしい……というより、今となっては意味のないものだ。まぁ、呼び方が定まらないのも困るから、ひとまず『黒須三平』と呼んでもらえるとありがたい。何気に一番気に入っているのでね」
「そ」
そんな軽口を叩きながらも、二人の眼は油断なく互いを見つめている。
「それで、あんたはあたしを邪魔しに来たわけだ」
「そうなるな。まぁ、こっちにも色々事情があるんだ。悪く思わんでくれよ」
そう言うと同時に、黒須の足元で何かが動いた。それはあの時散歩をしていた彼が飼っている犬で、不安そうにあたりをきょろきょろと見まわしている。
「さて……今、M市で蔓延しているウィルスは感染者をゾンビ化するのが関の山なわけだが、レトロウィルスさえ手に入れば、その可能性は無限に広がる。私があのリレー小説に参加し、『主催者』に協力したのも全てはこのウィルスを手に入れるためでね。まぁ、『主催者』にとって私がただの『手駒』に過ぎない事はわかっているが、私はそれでも満足だよ」
「……あんた、医学者か何か?」
「好きに想像すればいい」
黒須はせせら笑う。
「ま、何でもいいけどね。ただ、あたしとしてはちょっと見過ごせないかなぁ。巫女としても、『マトリ』としてもね」
その言葉を発した時だけ、柚菜の眼が真剣になった。
「そうだろうね。だが、私としては君にいてもらっては困るわけだ。だからここで消えてもらう」
「こう言っちゃなんだけど……あたしに勝てるつもり?」
柚菜の挑戦的なセリフに、黒須は意外にも首を振った。
「無理だろうね。何だかんだ言って、私は何の力もないただの老人だからね。だから、少しズルをさせてもらうよ」
そう言うと、黒須は唐突にポケットから黒光りするもの……拳銃を取り出した。そして、それを柚菜ではなく足元にいる犬に向け、おもむろにその引き金を引いた。
銃声はなかった。だが、どういうわけか急に犬が苦しみ始める。
「レトロウィルスさえあれば無限の可能性が広がるが……現状、これが私の最高傑作だ」
「何をしたの?」
「なぁに、とびっきりのウィルスが内蔵された弾丸を打ち込んだだけだ。このウィルスに感染した生物はゾンビを通り越して『異形』や『怪異』と化す。名付けて『怪異ウィルス』とでも言おうか」
そして、その言葉を裏付けるように、苦しんでいた犬は劇的な変貌を遂げようとしていた。その顔つきが狂暴になり、体も二メートルほどまで大きくなっていく。さらにあろう事か四足歩行から二足歩行へと変化し、手となった前足に凶悪な爪が伸びる。
そこには『人狼』とでもいうべき、涎をたらした『怪異』が出現していた。
「まるで、何かのゲームみたいな設定ね」
そう言いつつ、柚菜は座っていた車のボンネットの上で立ち上がり、臨戦態勢をとる。直後、『人狼』は遠吠えをすると二本の足で跳躍し、柚菜目がけて空中から襲い掛かった。
「っ!」
柚菜は反射的に飛びのく。直後、『人狼』はその鋭い爪を車のボンネットに深々と突き刺し、直後、車は大爆発を起こした。爆発直前に『人狼』は再び跳躍し、柚菜に再度襲い掛かる。
「ちっ!」
柚菜は札を投げてそれに対抗する。刹那、バチッという音と共に『人狼』は札に跳ね返され、そのまま吹っ飛んで地面に落ちたが、すぐに起き上がって柚菜を睨みつける。
「随分タフなのねぇ」
軽口を叩くが、柚菜の顔に冷や汗が流れる。油断ならない相手なのは確かだった。だが、黒須はそんな柚菜にさらにこんな事を告げる。
「お見事。ならば、ちょうどいい。もう少しサービスしようか」
黒須はそう呟いて、おもむろに自身の背後を見やった。そこには、すでにゾンビ化している若い女性二人が呻き声を上げながらこちらへ近づいてくるところだった。
「どうやら偶然ここに迷い込んでしまったようだな。せっかくだから、加勢してもらおうか」
そう言うと、黒須は拳銃をその女性ゾンビへ向けて立て続けに発砲した。直後、女性ゾンビのうち一人は急激に背が伸び、白いワンピースに白い帽子という姿に変貌する。さらにもう一人の女性ゾンビも体が大きくなると同時に下半身が蛇のようになり、上半身も六本の腕が生えるという明らかに異形の姿に変化した。そしてその『怪異』の姿に、柚菜は見覚えがあるようだった。
「『八尺様』に……『姦姦蛇螺』ってところかしらね!」
柚菜は都市伝説上の怪異の名を口に出す。それと同時に、変貌した二人の怪異は奇声を上げ、『人狼』と共に柚菜目がけて襲い掛かってきた。
「大盤振る舞いにも限度ってものがあるでしょ!」
柚菜は必死に札を投げながら三体の怪異に対処する。その間に、黒須は落ち着いた表情で一礼した。
「この銃には六発しかない。その貴重な弾のうち三発を君に使ったのだから、感謝をしてもらいたいものだね。さて、私はここで失礼させてもらうよ。他の『ユーザー』も色々動いているようだし、私にもまだやるべきことが残っているのでね」
そして、黒須は杖を突きながらその場を去っていく。後には必死になって三体の怪異と格闘する柚菜だけが残されたのだった。
それと同時刻、そんな二人の森の中から様子を見下ろす人影があった。その人物はジッとその場を立ち去ろうとする黒須を見つめながら、ぼそりとこんな事を呟いていた。
「時は今、雨が下しる、さつきかな……。すべては天のなすべきままにして……」
そんな言葉を残し、その人物は森の闇の中へと姿を消す。この事件の決着がどうなるのか、それはもはや誰にもわからない。ただ、『最悪』しかないはずだった結末が、何かによって大きく変わろうとしているのは間違いなさそうだった……。




