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ミステリーリレー小説2021『カガミの呪い』  作者: ミステリーリレー小説2021「ホラー×ミステリー」参加者一同
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第29話 さようなら (みのり ナッシング)

 アパートへ戻る道すがら、ソラの頭を占めていたのはアルバイト先のコンビニでの客の態度だった。『お待たせしました、ホットコーヒーになります』という決まり文句がソラの口から出た時、客の親爺は分かりやすく激高していた。


『どあほ、儂が頼んだのはアイスコーヒーじゃぼけえぇ』


 深夜の、二人だけの店内に怒声が響き渡った。『ぼ』という破裂音と同時に親爺の皺だらけの手背が紙コップを打ち払い、ソラのおもてに黒い液体を浴びせた。常は先輩風を吹かせ、ソラに無遠慮な視線を纏わりつかせる店員は、バックヤードで素知らぬふりを決め込んでいる。親爺のあまりの剣幕に、ソラは怯んだ。だが、熱も、痛みもなかった。感情の揺らぎに比して、感覚の動きは全くなかった。ずっと前からソラはそうだった。彼女は着実に、世界との繋がりを手放していた。


 帰り道でも、ソラの怒りは全く収まりをみせなかった。


(あんな訛ってちゃ分かんないじゃん。痰が搦んで聞き取りにくいし。煙草止めろよ)

(だいたい真冬にアイスコーヒーなんて頼まないでよ。普通ホットだと思うじゃん)

(手がすぐ出るのは人間じゃないからだわ。まるで動物よ。野蛮極まりない。傍観していた彼奴も同罪)


 暗い路面に左右のパンプスを気忙しく打ち付けながら、ぶつくさと口の中で恨み言を転がす自分自身を、ソラは少し高い空中から見下ろしていた。離人症の典型的な症状だった。彼女はいつからか観察者と化していた。自らの生活を、どこか他人事のように離れたところから眺めている。喜びも痛みも感じない。幸せも不幸せもない。ソラは生ける屍だった。


 てろりん。


 スマホの着信音も、どこか薄い膜の向こう側から聞こえたようにくぐもっている。ソラは、歩みを止めてコートのポケットからヒビだらけの端末を取り出すのを、やはり記録映像を観るかのごとき無感情で見守っていた。「お兄様」からの着信だった。


『おはよう(^^)。ジャーナリストの朝は早いんだょ。ソラちゃんもバイト終わりかな? お疲れ様m(-_-)m』


 その後も長々と、身の毛もよだつ、吐き気を催す文面が液晶画面に映し出された。ソラは舌打ちをした。彼女は苛立っているようだった。前置きなど要らぬ。


『今日はちょっといやなことがあって。。。はやくお兄様に会いたいなー?』

『もちろんだよ! 「古城」で待ってるね』

『わーい、ありがとー! いつも通り「にこにこ」でお願いしますm(\_\)m』



 小学生の時、雑巾で、牛乳をこぼした床を掃除した。果てが近付くと、決まって思い出す記憶だ。えもいわれぬ悪臭が、ソラは大嫌いだった。彼女はその役目から逃れる術を持たなかった。ブス、これでも食らえ。記憶の中で生ぬるい牛乳を髪の毛の上から垂れ流された。過去と現在。記憶と感情。空想と現実。二つが混じり合い、溶けていく。シンデレラ城を思わせる何もかもが薄い建物の一室で、二人はラジオ体操を第6まで踊り終えた。日中には仕事が始まるというのに、とソラはその点に関してだけ男を評価している。とうに還暦を過ぎてなお「お兄様」と呼ばせるだけのことはある。

 ソラは城での時間が嫌いではなかった。郊外の狭い城内で彼女は、なんにだって成れた。ある日は婦人警官で、市議会議員を現行犯逮捕した。ある夜は巫女で、妖艶な舞を病院長に披露した。だが一定の割合でソラの正装を望む男が現れる時、彼女は不機嫌になるのだった。一つには、夢を見られないから。一つには、彼女は替えの制服を持っていなかった。


「君、学生か? こんなとこに来ちゃダメだろう」


 熊のような影が二つ。官帽の下から覗く双眸は、冷ややかに獲物を見据えていた。まずい。ばれた。着替えを用意しなかったのは迂闊だった。ソラが身に纏う藍色は、この辺りでは清廉の象徴として名が通っていた。気の弱いソラはお兄様の陰に隠れようとした。しかし既に彼はソラを楯としていた。ひょろ長い体躯を華奢な身柄で隠そうと必死だった。顔面は蒼白だった。マッシュルームカットの頭髪も元気なく垂れ下がり、額を覆っていた。


「あっれ~。その制服は」

「いや……違う! 刑事さん。この子は親戚の子で」

「とぼけるんじゃねえよ」

「信じてくれ! ちゃんと同意の上で」

「くそったれ!」


 警官の一人は膂力に任せて、振り上げた拳をお兄様の脳天に打ち付けた。尚もお兄様は情けない声で懇願を続けたが、やがて醜い音を立てるのを辞めた。魂が抜け、只の傀儡になるのも時間の問題だろう。ソラはやはり少し高い場所から蛮行の一部始終を見ていた。ふと、警邏の一人がソラを一瞥した。


「身分証、早く見せないか」

「すいません。ど、どうぞ」

「『神法(かみのり) そら』。ふーん。名前までお嬢様っぽいな」

「顔も名前も覚えたからね。もう悪さしちゃ駄目だよ」

「あ、あの」


 お兄様はこれからどうなるんですか? 口にしかけて、ソラはやめた。聞く迄もないことだった。数時間前には活力を漲らせていた男は、湿った路面に豚のように突っ伏している。「これから」なんてものが用意されているとは、とても思えなかった。




 唐突なことだが、ソラに創作の女神が微笑んだ。


 ●ギャクラシー・ぶう

「銀河豚ってなに? SWに出てきそう」

「どうしてそうなる。銀の河豚、『フグ』だよ。シロサバフグとも言って、毒がないんだ」

「フグなのに毒がないの!?」

 そう喜んで活きの良い個体を刺身で戴いた彼女は、途端にのたうちまわって亡くなりました。見た目がそっくりの猛毒魚、ドクサバフグと間違えたのです。余計な知識を教え込んだ彼奴は決して生かしてはおけぬ。草の根を分けてでも、銀河の辺縁を攫ってでも、探し出して必ず始末してやる。もはや同じ天の下では生きられぬのだ!」

「それは不倶戴天」


 ●名前を書きましょう

「もう準備はばっちりかしら」

「うん。筆箱にも『1ねん2くみ やまだ けいすけ』って書けたよ!」

「えらいわね。大事なものには名前を付けておかないといけないの」

「お母さんの一番大事なものってなに?」

「それはね」

 香奈子は息子のうなじを撫でた。髪の生え際に彫られた「山田 香奈子」の文字が見え隠れした……。


 ●日本むかち話

「むかーち、むかち、おまえは無価値」

 ~完~


 ●しおり

「あの子が読書中にはねえ、周りに貴重品を置いてはいけなかったの」

「どうして?」

「一度、学生証を出しっぱなしにしていて、栞に使っちゃったの。そのまましばらく行方不明」

「困るじゃん。校内に入れなくなる」

「まあ、問題なかったんだけどね」

「どうして」

「あの子、最後まで退院できなかったから」


 ●覚え方

『ねえ、良いこと思いついちゃった』

『なんだい?』

『あなたの誕生日が18日で、私が27日でしょ? で、付き合い始めたのが19日。9の倍数とか、9つながり!』

『いや、覚えにくいよ』

『ええー、そうかなあ』

 未だ鮮明な、不満げな彼女の表情に、俺は詫びる。ごめん、甘く見てた。忘れられないわ。

 今日は彼岸。9月の空は、やけに高い。




 ネット小説を書くのが数少ない趣味の一つだった。昔から読者が好きだった。何度も同じ物語を本がすり切れるほど読んだ。いつしか自分でも物語を紡いでいきたいと思うようになった。現実から離れていくほど、ソラの精神世界は広がっていった。


「お兄様」がいなくなってしまった今、ますます現実を生きる意味はなくなっていくのだった。日に日に思念は強くなっていった。あの日メッシージが届くまでは。


『★ミステリーリレー小説のお知らせ★


 どうも、主催者のKanです。お元気でしょうか。僕は元気です。(^^;;

 現在、みのり様の作品を読ませていただいております。絶賛、楽しませていただいております! (^^;;


 実はこのたびは、新企画のお誘いでやって参りました。リレー小説企画なのですが、本サイトでミステリを書かれいてるメンバーにお声がけして、集まった方々の中で一つの原稿をまわし、一つの物語をつくるというものになります。


 つまり、複数人で一つの物語をリレーして執筆してゆきます。お一人様一回分が千字から三千字、全体では三十回前後の完結を予定しており――』


 以前から投稿サイト内のサークルに入っていた。今まで一人で物語を紡いできたソラにとって、リレー小説は眩しいものに写った。Kanという人物の紳士的な言葉遣いにも好感を覚えていた。周りの大人は下心が隠し切れない露骨で卑猥なものばかりだったからだ。


『新企画、ぜひ参加させていただきたいです』


 少女は一つの世界を作る試みに参加することとなった。それが同時に、一つの世界を跡形もなく壊す計画に加担することになるとも知らずに。


(名は体を表す。私はカラっぽ。ナッシング)

(消えたいとずっと思っている。自分ほど価値のない人間はいない。私が一番わかっている。みんなどうして同意してくれないの?)

(去るべき、ということは知っている。でもそれを言語化しようとすると、途端に思考に靄がかかる。みんなは私を優秀な子だと言う。私は、そんなことはない、と論理的に私の無価値さを説明しようとするけれど、何も言えなくなる。友人たちの慰めに反論できなくなる)

(だから口にするのはやめた。でもそうしなければならないのは決まっている。私は自分を戒める。忘れないように、身体に刻みつける。勘違いしないように、心に囁きかける)

(しねよおまえ)


 ソラは指先の痛みも忘れてキーボードを叩き続ける。時折、割れた爪がキーの隙間に引っかかるのも気にしない。むしろ彼女の頬には朱が差す。皮膚が紅潮しているのか、窓の外で繰り広げられる終末の赤い光景のせいなのか。もはやソラにさえ判別が付かない。

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