第24話 各務柚菜という女 (奥田光治)
突然の急展開に、敵方であるはずの珠菜や瑛菜は呆然とした顔をしている。が、そんな中、救急車の周囲を取り囲む生ける屍を見て、各務柚菜はハァとため息をつくと、先程どういうわけか自分の手元に飛び込んできた各務藤吉郎の首を無造作に胴体が置かれているストレッチャーの上に下ろし、おもむろに車のドアを開けて外に降り立った。その行動に、銃口を突き付けていた珠菜がハッとしたように叫ぶ。
「う、動かないで! どこへ行くつもり!」
「はぁ、まったく、何のつもりか知らないけど、敵さんもやり方が強引よねぇ」
そう言いながら、車内に未だ漂っている天使姿の雅楽川の方を見やる。
「何のつもりか知らないけど、そこまでしておとーさんの死体を守りたいなんて、やっぱりその死体には何かあるみたいね。まぁ、死体なのに自分の意思がまだここまで残っていて、あまつさえ多少なりとも動ける時点でまともじゃないんだけど」
アハハと柚菜は笑い声をあげる。その様子を見て、雅楽川が諭すように言った。
『いけません。ここは敵対せず、三人で協力して彼らを倒すべきです。封印が解かれようとしている今、仲違いをしている場合ではないのです!』
「……」
『それに……』
天使姿の雅楽川がさらに何かを言おうとする。が、その前に、柚菜は彼に背を向けたまま彼の方へ何かを投げつけた。
『ガッ!』
その瞬間、今まで穏やかな笑みを浮かべていた雅楽川の表情が引きつり、直後鬼のような形相で絶叫した。
『ガァァァァァァァァァァッ!』
そして次の瞬間、天使は車内ではじけ飛び、後には一体の藁人形と、それにくっついている煙を上げた札だけが残されていた。先程柚菜が投げつけたのはこの札らしい。
「な、何よ、これ……」
助手席の瑛菜が絶句するが、柚菜は肩をすくめながら答えた。
「何って、ただの『形代』だよ」
「『形代』……」
「簡単に言えば『身代わり』。それをあたしの札で滅した。要するに、さっきの天使もどきは幻ってわけ。進退窮まって誰かが仕掛けてきたってところかな。ま、そんなもの、あたしには効果ないんだけど」
気楽な口調でそんな事を言う柚菜に、何か凄みのようなものを感じつつ、珠菜は震える手で銃口を突き付けながら言葉を振り絞った。
「柚菜、あんた……」
「……各務の家が崩壊した時、そのままかーさんに付き従ったねーさんたちと違って、あたしはかーさんから離れて姿をくらませた。その辺りがねーさんたちにとっては裏切りって事だったんだろうけど、正直、あたしはもうあの家についていけなかった。多分、読者モデルをしていてねーさんたちよりも世間に触れる機会が多かったから、あの家がまともじゃないって事に気付く事ができたんだろうけど。それでもねーさんたちや音菜の事は大切に思っていたんだよ。一緒に暮らし続けられたらって本気で思ってた。でも、あの事件で完全に愛想が尽きた。だから逃げたの。あの状況だとあたし一人で逃げるのが精一杯だったけどね」
そう言いながら、柚菜はせせら笑う。
「ま、その後色々あってさ。今は金剛石寺の巫女みたいなことをしながら、厚労省の麻薬取締官をしているわけなんだけど、その仕事の中で特別公安課の刑事と一緒に捜査した事があってね。その時に、その前橋って刑事が含蓄のある言葉を言ってたんだ」
一呼吸おいて、柚菜は当たり前ながら、この状況では虚を突かれるような事を言った。
「『どれだけ怪異が絡んでいたとしても、人は絶対に生き返らない。もし生き返るように見える事があったとすれば、それはただのゾンビか、呪術的・科学的問わず生前の意思が何らかの事情で残っているだけの死体もどきか、そもそも死んだと思われていたのが死んでいなかったか、あるいは第三者が勝手に人の死を利用しているかのどれかだ』ってね」
「……」
「このゾンビもどきはまだ理解できる。多分これ、ウィルスか何かの薬の作用によるものだから。というか、こういう事態が起こっても対処できるためにわざわざマトリになったわけだし、そのくらいはわかるつもりだよ。でも、さっきの天使もどきはやり過ぎだったかな。あそこまであからさまだと、正直、巫女としてイラッとくる。あぁ言えばあたしがねーさんたちの味方になるとでも思ったのかな? 今さらねーさんたちと共闘なんてありえないんだけどね。ま、もっとも当のねーさんたちは何も知らされていなかったみたいだから、かーさんにとって所詮ねーさんたちはその程度の扱いって事だと思うけど」
あの人らしいよねぇ、と柚菜はくすくす笑った。
「何を言って……」
「あぁ、いいよ、いいよ。どうせ、かーさんの操り人形のねーさんたちにはわかんないだろうし。昔の事は懐かしいし、音菜と一緒に笑い合っていたあの頃に戻りたいって気持ちがないわけじゃないけど……残念だけど、今は敵同士なわけだしね。その辺は割り切らなきゃ。もうあの頃とは違って自己判断できる大人なわけだし、自分の事は自分で決めなきゃね」
動く死体共と対峙しながら、柚菜は気楽に言った。
「それよりねーさんたち。そろそろ行ったら?」
「え?」
「おとーさんの死体は預けるから、さっさとどこにでも行ったらって言ってるの。その死体がほしかったんでしょ。正直、あたしはそっちに興味はないし、ここまで付き合ったのはねーさんたちの生死を確認したかっただけだから。それが確認できた今、もうこの死体に用はないわ。ま、薬かウィルスかは知らないけど、さっきも言ったみたいにここまで意思が残っている死体っていうのはイレギュラーだし、敵がわざわざ雅楽川の幻まで使って死体が傷つくのを阻止しようとしたところから見ても何かあるんだろうけど、あたしにとってはどうでもいいかな」
この期に及んでも、彼女は先程自身を守ろうとした藤吉郎を『死体』呼ばわりした。確かにかすかながら意思は残っているようだが、どれだけ生前の意思が残っていようと『死体』は『死体』……。おちゃらけた外見と言動に反し、あの前橋とも交流があるという柚菜の価値観はおそらく四姉妹の中で一番シビアなものだった。
「それよりこのゾンビもどきを何とかするのがあたしの仕事。あたし、こう見えてもマトリだからね。怪異的だろうなんだろうが、薬物だのウィルスだのが絡んだ事件はあたしの管轄だよ」
「減らず口を!」
珠菜は指を引き金にかけるが、腕が震えて照準が定まらない。彼女はすでに、このおちゃらけた「元妹」に気持ちの面で敗北していた。
「言っとくけど、人質とか何とか言ってたけど、あたし、そんなものになるつもりは全くないから。そもそも、何であたしがおとなしくこの救急車に乗ったと思う?」
「何でって……」
「単純な話。このくらいなら、あたし一人でも充分に対処できるからだよ」
そう言うと、柚菜はいつの間に取り出したのか、両手に扇状に広げた札を周囲目がけて投げつけた。その札は周囲を囲む生ける屍たちにくっつくと同時に激しく火花のようなものを散らし、屍たちはその場で倒れては煙を上げて元の人間の屍へと戻っていく。
「な……」
「こう見えても一応巫女だからねぇ。いやぁ、ここまでできるようになるまでかなり苦労したよ。天海和尚もその辺の修行は容赦ないからなぁ……。ある意味、各務家の地獄の方がまだましだったかもしれないかな」
そうこうしている間に、パーキングエリアの生ける屍たちは全滅し、そこには住人たちの屍だけが何十人も転がっていた。もう彼らが動き回る事はない。とはいえ、これはこれで異常な状況である。
「これは言い訳するのが大変だなぁ。ま、何とかするけど」
そして、彼女は振り返ると改めて二人の「元姉」を正面から見据える。
「で、やるの? やらないの? 時間もないし、さっさと決めてほしいんだけど」
「……」
珠菜と瑛菜はそれでも柚菜を睨みつけていたが、やがて珠菜は力なく銃口を下ろし、恨めし気な視線を向けた。
「……正しいのは母さんよ。裏切り者のあんたが邪魔する資格はない」
「それを決めるのはあたしの勝手。それに、あたしが邪魔をするまでもない」
「え?」
「あの様子だと、あの人もこの事件に関わってるみたいだし、もしそうなら、かーさんにとってはかなりの誤算になるはず。このままかーさんの思惑通りになるって事は間違いなくないはずだから」
柚菜の頭には、かつての相棒でもある刑事……前橋篤郎の顔が浮かんでいた。かつて一緒に捜査をした相棒として、そして柚菜に様々な事を教えてくれた人生の師として、彼が柚菜を信じていたのと同じく、彼女も前橋の事を信頼していた。
「……うらやましいわ。私もそんな仲間がほしかった」
「ね、姉さん?」
珠菜の呟きに、助手席の映奈が戸惑った声を上げる。
「……何でもないわ。行きましょう」
「柚菜はどうするの?」
「もう、放っておいたらいいわ。どの道、あの子は母さんに何もできないだろうし」
その言葉を最後に、救急車は柚菜を残してその場を去っていった。柚菜は去っていく救急車をしばらく見送っていたが、やがておもむろに携帯電話を取り出すと、どこぞへと連絡した。すぐに相手が出て、しゃがれた声が響く。
『はい』
「あたしよ。須藤ユズル」
『あぁ、君か。さらわれたと聞いたが、どうやら無事だったようだね』
相手はそう言いながらも、まったく心配した様子がない。彼女の無事を疑っていない様子だった。
「時間がないから単刀直入に聞くね。今のM市の状況はどうなっているの?」
『はっきり言って最悪だ。街の至る所で生きる屍が発生していて、無事な市民たちに襲い掛かっている。閣議決定で自衛隊が災害出動し、M市全域の封鎖を行っているからそれ以上の広がりはないはずだが』
「災害出動、ね」
自衛隊が出動できるケースは、防衛出動、治安出動、災害出動の三種に限定される。このうち戦後発令されたのは災害出動だけで、他国との戦争状態を意味する防衛出動はもちろん、警察で対処できない事件が発生した場合に出される治安出動も発令されたケースが存在しない。
『まぁ、やむを得んだろう。何せ安保闘争や地下鉄サリン事件でも発令されなかった政府の奥の手中の奥の手だ。出せば内閣の汚点になるし、言い方は悪いが『この程度』では出せんだろうよ』
「この事態を『この程度』扱いねぇ」
『君や前橋君が関わっているなら『この程度』になるだろう。私はそう信じているわけだがね』
「……ほめ言葉と受け取っておくわ」
柚菜の言葉に電話の相手は悠然と応じる。
『現状では、M市近くの山中から火山性の毒ガスが発生して市内に蔓延し、死傷者が多数出ている、という事になっている。所轄署で起こった事案やM市の喫茶店での殺しもその延長線上という扱いだ』
「よくある言い訳ね」
『それが一番わかりやすいからな。さすがに『生きた屍が動き出しています』では世間が納得しない。だが、この言い訳が通じるのもM市で事が収まっている限りだ。黒幕を何とかしない限りこちらができる事にも限界がある』
「そっちは前橋警部が対応しているはずじゃないかな」
柚菜の言葉に相手は苦笑する。
『前橋か。あいつとは奴が特別公安課を去ってからまったくコンタクトしていないが』
「そう言うあなたも出世したからね。あの人はそういう権力とかが嫌いな人だから」
『違いない。が、今はそんな事を言っている場合じゃないだろう』
「そうだねぇ」
こんな状況にもかかわらず柚菜は楽しそうに応じる。
「そっちの方はうまくやってる?」
『あぁ。各務家が崩壊した時に遺体の偽造及び事件の隠蔽に協力した当時のM警察署関係者、それに各務藤吉郎の生ける屍に『鷹野橋智也』名義の運転免許証を発行して身元の偽造をした霞ヶ関の関係者を絞り込んでいるところだ。調べた結果、『鷹野橋智也』という男は戸籍上間違いなく実在している。そこから考える限り、十五年前に本物の鷹野橋智也の戸籍がその霞ヶ関関係者の協力で乗っ取ったという線が有力だろう。本物の鷹野橋が十五年前にどうなったのかは想像したくないがな。いずれにせよ、詳細が判明し次第、特別公安課が検挙に動く事になるだろう』
「へぇ、さすがにまだこの国の警察上層部は腐っていないみたいね。かーさんの圧力に屈したM警察署の連中やその霞ヶ関関係者とやらに聞かせてやりたいわ」
『まぁ、そう言うな。それより、そっちの要件はそれだけかね?』
「あ、もう一つだけ。もし、そっちから前橋警部に連絡がつくようだったら、伝言してほしい事があるんだけど」
『ほう、何だね?』
「えーっとね……」
柚菜は何事かを電話口に告げる。それを聞いて、相手は少し戸惑った風だったが、すぐにこう返答した。
『わかった。その件については何とかしてこちらから前橋君に伝える事としよう』
「助かった。じゃあ、頼むわよ、パパ……じゃなくて、朧月大臣閣下」
『あぁ。任せておきなさい、柚菜……いや、須藤ユズル君』
電話の相手……現厚生労働大臣にしてかつての警察庁特別公安課課長……すなわち、前橋の元上司であり、かつ現在の柚菜直属の上司にして、各務家を出た後の彼女を引き取って育て上げた政界有数の実力者・朧月玄明は、穏やかながら厳正かつ愛情のこもった口調でそう応じると電話を切った。それを確認すると、柚菜は懐に携帯をしまい。おもむろに周囲に呼びかける。
「これでよし。さて、と……そろそろ出てきたらどう? どうせさっきの天使もどきをけしかけた誰かかがここにいるんでしょ? 探すのも面倒だから、さっさと出てきてくれないかなぁ。あたしも暇じゃないし、手っ取り早く片付けたいんだけど」
返事はない。が、しばらくするとパーキング周辺の木々から、黒い人影がのっそりと姿を見せた。その正体を見て、柚菜の顔に好戦的な表情が浮かぶ。
「へぇ……予想はしていたけど、あんただったんだ」
「……」
「ま、どうでもいっか。とりあえず……いい加減うんざりしていたし、こっちはこっちで決着つけようか。……遠慮しないで、かかっておいで」
両手に大量の札を構えながら獰猛な笑みで挑発する柚菜に、相手の「黒い影」は無言のまま攻撃を開始したのだった……。
そして同じ頃、霧音たち五人はS市のカタコンベ近くに到着していた。後部座席から霧音、創一郎、倉敷が降り、運転席の小田切も続く。最後に車内に残った前橋は、車外の四人をじっと見つめながら、意味深な独り言を呟いた。
「さて、いよいよここまで来たわけだが……鬼が出るか蛇が出るか、全ては神様の采配次第ってところだな。もっとも、下手したらその神とやらに相対する事になるかもしれねぇが……ま、なるようになるか」
と、不意に前橋のポケットが震える。外の人間に気付かれないようにゆっくりと携帯を取り出すとメールが届いた旨のの知らせで、画面には『朧月元明』の文字が躍っていた。
「ほぉ……随分久しぶりだが、ここへきて閣下が俺に何の用ですかね」
そう言いながらメール中身を確認する。そしてすぐに携帯をポケットにしまうと、鋭い視線を霧音たちに向けた。
「なるほどね……これで繋がった。あとは出たとこ勝負だな」
前橋が真剣な表情を浮かべる中、いよいよ目の前にぱっくりと口を開いたカタコンベを舞台に、この事件のクライマックスが幕を上げようとしていたのだった……。




