第14話 レイニーサウンドの三人 (Kan)
物語も複雑になってきたので、ここで一旦、情報を整理するとしよう。
今回、殺された鷹野橋の正体は、各務家の当主、各務藤吉郎の死体であったとされている。この各務家の七人家族は、15年前の一家惨殺事件によって、一人残らず、殺されたことになっている。この事件は、影の集団が、離反しようとした各務藤吉郎とその家族を抹殺しようとしたものであるとされる。
霧音が喫茶店で鷹野橋と対面した時、彼は28歳の青年の姿であった。藤吉郎が殺された時の年齢も28歳。一致している。
しかし、まさか彼が傀儡人形と化した死体であり、15年前の一家惨殺事件の被害者だとは、霧音も気がつかなかった。
……いや、今も気がついていない。
さて、全焼した各務邸の地下にはカタコンベがあるとされている。
「洞窟からの奇跡的な生還者は、入っていく時と出てきた時で人格や容姿が変わっている」
カタコンベにはこんな都市伝説が伝わっている。この「人格や容姿が変わっている」というのは、どういうことだろうか。
また、そこに一人、入っていった霧音そっくりの女性とは何者なのだろうか……?
さて、M街のカタコンベである。
現在、霧音が、悠玄という名の若い僧侶と共に目指しているのは、一家惨殺事件が起こった各務邸の地下にある、このM街のカタコンベなのである。
各務邸は15年前に、全焼しているということなので、今はもう存在していないが、その地下のカタコンベが現存していることは、喫茶店のカップルの会話からもはっきりと分かっている。
影の集団が、各務藤吉郎の死体を、鷹野橋に洗脳したのは、このM街のカタコンベでのことらしいから、そこには当然、影の集団がひそんでいることが考えられる。
ここにふたりで向かうということがどれほど危険なことなのか、霧音自身、分かっているのだろうか……。
(やっぱり、喫茶店といえばモンブランだ……)
霧音は、フォークでモンブランケーキを一口サイズに切り取る。
興奮してくる。
「いただきます!」
霧音は、モンブランケーキを頬ばる。ねっとりとやわらかなクリームは、栗の濃厚な甘味と風味で、形容しがたいレベルの美味しさである。
「ぐはっ」
霧音は美味しいと、銃撃でもされたかのように「ぐはっ」と、うめき声を出してしまう癖がある。
「大丈夫ですか? 」
喫茶店『レイニーサウンド』の店主、雅楽川広重は心配したような表情を浮かべて尋ねた。
「大丈夫です。美味しいです。こいつはなかなか……」
と霧音はにやりと微笑むと、手の甲で唇を拭いながら、つい男みたいな声を出す。
それでも雅楽川広重は、霧音が男性とは気がつかないらしく、怪訝な表情を浮かべながら、じっと霧音の様子を見つめている。
「いや、こう、美味しいモンブランを出されては、ついつい本題を移るのを忘れてしまいますね。いえいえ、長引かせていて、ごめんなさい。美味しいモンブランですよ?」
霧音は不敵に笑いながら、モンブランケーキをあっという間に食べ終えると、白い皿を横によけ、口の前で両手を組んで、テーブルに両肘をどっかと乗せ、雅楽川広重の顔をじろりと睨みつけた。
「さあ、お話をしましょうか。ねえ、ここにわたしとそっくりな女の子が勤めていたのでしょう?」
「ええ……」
雅楽川広重は、霧音の凄みに圧倒されたらしく、冷や汗をかいている。
「その子は今、どこにいます?」
「さあ、わたしにも分かりません。ある日、突然、姿を消してしまったのです。あの子はうちの看板少女で……。あの子がいないと、わたしが代わりに看板店主にならなくちゃならんのですが、わたしはとてもこの通り、地味なもので……」
「そんな話は聞いていませんよ! じゃあ、あの子は現在、ここに勤めていないのですね」
霧音は腹立たしく思って、睨みつける。雅楽川広重は、真冬だというのに冷や汗を拭った。というのも、霧音の視線が燃えるように熱かったのである。
隣に座っている悠玄が見かねて、まあまあ、と微笑みながら、霧音の頭をぽんぽんと撫でる。
霧音は、へっと驚いて、悠玄の顔を見つめる。悠玄が爽やかに微笑みながら、阿弥陀仏を彷彿とするような包容力で、霧音に優しく語りかけてきた。
「霧音さん。あなたは今、不動明王のように忿怒の炎に燃えていらっしゃる。それは大変に立派なものですよ。ところが、その炎の荒々しさのために、雅楽川さんは怯え、心がまったく閉ざされてしまっているのです。南無観世音菩薩。心に寄り添うのです。今こそ、観音の慈悲心で接するのです……!」
そう言うと、悠玄は愉快そうに笑って、座禅でもするかのように、半分ほど目を閉じ、テーブルの上をぼんやりと見つめた。
「心が満遍なく、全身を満たしてゆくように……。無心です。どこかに心がとらわれれば、その場所を竹刀で打たれます……」
霧音と雅楽川広重は呆気にとられて、椅子の上で禅の世界に没入してゆく悠玄の姿を眺めた。
(変わった男だ……)
霧音はそう思うと、今までの自分の態度を恥ずかしく感じて、雅楽川広重の方を向き直った。
「失礼しました。わたしは真実を知ろうとするあまり、ちょっと焦っていたようです」
「お気になさらずに……」
雅楽川広重は曖昧に笑ったが、すぐにはっとした様子で椅子から立ち上がった。
「レコードが終わってしまいますね。次のレコードをかけてきますので、少々失礼します……」
最近では珍しくなったが、この店は、ジャズ喫茶、ロック喫茶、名曲喫茶のようなもので、高級なステレオで、レコードをかけているのである。先ほどまでかかっていたのは艶やかなサックスの響くジャズだった。
雅楽川広重は急ぎ足で、棚から古そうなレコードを一つ取り出すと、カウンターの中に引っ込んだ。すぐに店内に流れだしたのは、レイ・ブラウンというベーシストが、シダー・ウォルトンというピアニストとやっているアルバムの『オホスデロホ』という曲だった。
(しかし、この雅楽川広重という男は、ずっと店主をしていたわけじゃないらしい……)
霧音は思った。雅楽川広重は、どの棚に何が入っているのか、分からないらしく、カウンター横の棚のレコードだけは日常的に使用されているらしく、乱雑に崩れているが、店内の棚のレコードの多くには埃が積もっている。何ヶ月も触られていないのである。彼が店内のレコードに詳しいとは思えない。
「どう思いますか? この店……」
霧音が、禅に励んでいる悠玄に話しかけると、悠玄はちらりと片目で霧音を見て、
「なかなか訳ありのようですね」
と言って、妖しく微笑んだ。




