第11話 鷹野橋智也の日常 (みのり ナッシング)
『ジャーナリストの朝は早い。職業柄、不規則な生活を送っていると思われがちだが、僕は早寝早起きなのさ。布団とシーツをきちんと畳み、カーテンを開け放つ。朝日が眩しく差し込み……とはいかず、灰色のアパートの壁が見えただけだった。お日様とともに目覚めたあの屋敷での日々が恋しいよ。ん?
だがラジオ体操を第6まで踊り終える頃には、輝かしい光が僕を照らす。そう、霧音さんという太陽さ。喫茶店へ出勤するために起床し、窓を開けるのがちょうどこのくらいの時間だ。
鷹野橋アイは千里眼。両目をカタツムリのようにみょーんと伸ばしながら、天照大神・霧音さんのご尊顔を拝するのが朝の日課。よし、今日も頑張れるぜ!
僕がこのごろ抱えているヤマは、霧音さんの見張りだった。実は客としてストレンジテイルに居る時以外も、君のことを見ていたんだよ。いや、正しくは聞いていた、かな。鷹野橋イヤーは地獄耳なのさ。
「コノ女、見張レ……」
依頼人は、黒装束の忍者みたいな奴だった。しかもカタコトでしゃべるんだぜ。怪しいことこの上ない。鷹野橋アームはロケットパンチ。ぶん殴ってやろうとしたけど、
「銭ハ幾ラデモ出ス」
「にこにこ現金払いでイイナラ……」
背に腹は代えられない。僕は依頼を受けることにした。
仕事自体は楽なもんだった。君を観察するだけ。忍者は電子機器が苦手らしく、報告はもっぱら対面だった。金はしっかり渡してくれたが、奴さんどうも内容には興味がない様子だったな。ジャーナリストの直感が告げていた。依頼の目的は別にあるのではないかと。
そんなある日、僕は友人から聞いた怪談話を君に披露したね。加えてカタコンベの写真。今までで一番良い反応が得られて気をよくした僕は、店を出た後、再びその友人に連絡を取ろうとしたんだ。しかし、おかしなことが起きた。スマホの画面をスクロールさせても、連絡先がなかなか見つからない。
変だな――いや。僕は背筋が寒くなるのを感じた。そもそも、そいつの名前を思い出せなかったのだ。大学時代、ともに過ごした青春の日々が、急に遠のいていく気がした。嫌な予感がした。僕は盗聴器の音声に意識を集中させた。喫茶店で環稀という女が話していたM街のカタコンベ。やたらと気にかかる内容だった。
ひとたび洞窟に入ると、二度と出ることはできない。よしんば出てこられたとしても、それはもはや別人で。
「……鷹野橋智也。28歳。独身。ジャーナリストで、オカルト雑誌の編集者」
僕は軽い耳鳴りを感じながら、必死にこれまでの経歴を遡っていった。はは、僕は何を不安がっているんだ。しかし、ある光景が脳裏をよぎった途端、僕は完全に固まった。光の当たる、明るい邸宅。私がかつて暮らしていた場所……私?
「僕は、いったい何者だ?」
忍者の影に気付いた時には、僕は拘束されていた。謀叛者の末路は碌なものではないと、大昔から決まっているのだ。
そう、これは昨日の出来事。恐怖。妬み。嫉み。怨み。M街のカタコンベでの一晩にわたる拷問の末、負の感情に塗り潰された僕は呪いの触媒として完成した。頬は痩け落ち、頭髪は皮ごと引き抜かれた。髑髏さながらの容貌で身ぐるみ剥がされ、霧音さんの家の浴槽に放り込まれた。
僕は、奴らの恐ろしい計画の駒に過ぎなかった。般若心経の形をとった呪詛を聞かせることで、強制的に眼耳鼻舌身意の六情根から解放し、空の境地へと至らしめる。つまり常人にとっての自死へ君を導くこと、それが奴らの狙いだった。さらに僕の千里眼は霧音さんの内的存在に睨みを効かせ、助けに入るのを阻止する。
そんなこと、許せるはずがない。必死の想いが、僕を動かした。唱え終わった直後に目を抉ったのはせめてもの抵抗だったのさ。案の定、呪いの不発を感知した奴らは君を襲いに来た。だけど大丈夫だったね。僕は信じていたよ。きっと君なら、内なる救済者ISHと同調し、強大な力を使いこなすことが可能なはずだと。
君と忍者が戦闘場所を移した後、僕はもはや浴槽から抜け出すことすら出来なかった。しかし大丈夫。鷹野橋アームはロケットパンチ。改造人間にとっては、腕を5メートルほど伸ばすことなんて簡単さ。光は失ったが、廊下に捨てられた僕の上着の位置は覚えている。肩を外し、肘から上の筋肉を少しずつ自切しながら、目標めがけ引き伸ばしていく。指を動かすのに使用する深・浅指屈筋群は温存する。筋肉を支配する神経は体内から引き摺り出し、継ぎ足しながら延長していく。目指すは上着の中のスマホ。
僕は今、最後の力を振り絞ってこの文章を書いているんだ。これが本当のブラインド・タッチ!(いやタップ!) どうも僕は傀儡人形らしい。今までの生活は全て捏造された記憶だった。鷹野橋智也としての人生は嘘っぱちだった。ジャーナリストとしてのキャリアも、考古学者の友人も、喫茶店のウエイトレスへの好意も、全て虚構だった。
思い出したよ! 本当の僕はずっと前に死んでいたのだ。僕の家系は代々奴らに協力してきたんだが、15年前の当主が離反した。そう、私が裏切った。他ならぬ私が! その代償に、愛する妻や子供たちを順番に殺された。私自身の亡骸も傀儡と成り果てた。
とある豪邸での一家惨殺事件。その際の死体が今回の工作に使われていたのだ! ははは、笑うしかないね!
まさに悪魔のような所業は、忍者の背後にいる組織によって行われた。奴らは、私のような死者の遺体を利用したり、生きている人間に寄生虫を宿して遠隔操作したりする。カタツムリに寄生するロイコクロリディウム。セミの死骸を自在に操るマッソスポラ。目的は、怪異に君を狙わせること。その予兆は君もすでに感じていたはずだ。
しかし! やったぞ! 私は復讐を成し遂げた! 一矢報いることができる! ははは、ざまあみろ!
……すまない。脳も少し弄ったから、ハイになっているんだ。もう時間がない。無駄なことを書くのはよそう。
この文章を信頼できる人間に送る。あの湿気た喫茶店の雅楽川氏がいいだろう。霧音さんも遠からず訪れる場所のはずだ。もしもの時のことは伝えてあったから、彼はこの文章を君に見せてくれるだろう。
最後に組織のことを書く。奴らは第六天魔王の現世受肉を目論む結社。M街のカタコンベはその根城の一つだ。いいかい、霧音さん。君は洞窟に行かなければならない。そこに真実は眠っている。
ああ、今思い出した。私の最愛の人は、どことなく君に似ていたようだよ……。もう会いに行ってやろうと思う。随分と待たせてしまったからね。
さらばだ、親愛なる霧音さん。君の未来に大いなる幸のあらんことを。
鷹野橋智也』
メールを送信した傀儡人形は、部屋に戻ってきた影によって解体された。
黒い影は頭部を切断した。人形の血は皮膚の表面を流れているだけなので、血が噴き出したりはしない。身体操作の影響でズタボロになった体部は回収し、不自然な改造はされなかった両腕は浴室の中へ放り込んでおく。
鷹野橋の想像通り、侵入者はスマホを破壊しただけで、その中身にまで興味は持たなかった。しかし彼の決死の行動は思わぬ副産物をもたらした。彼は、送信メールが常に社用のパソコンにも送られるように設定していたのだ。この偶然は、血塗られた争いにどう影響を与えるのか。
オカルト雑誌編集部のオフィスには、所轄警察が足を踏み入れていた。




