第12話 怪異と現実 (奥田光治)
「……で、警察庁の公安さんが、所轄の一刑事に何の用ですか? こっちも忙しいんですがね」
都内の一角に停車したパトカーの助手席で、前橋篤郎は眠そうに大欠伸しながら言った。運転席には警察庁特別公安課の倉敷がいて、厳しい視線を隣の前橋に注いでいる。
「とぼけないで結構。薄々要件はわかっているのでしょう」
「……例のオカルト雑誌記者殺しの件ですかね?」
前橋はそう言うと鋭い目を倉敷に向ける。
「そうです」
「……ま、確かに不思議なヤマですわな。遺体発見現場の家主の志乃河霧音らしき人物が路上で何者かと争っているという風な目撃情報がいくつか寄せられている上に、さっき押収した被害者の勤務先のパソコンにあったメールにも変な事が書いてあったようですし」
「読まれましたか?」
「もちろん」
「で、感想は?」
「捜査攪乱を狙った真犯人の偽装工作、もしくは被害者の妄想」
前橋ははっきり断言し、その上でこう付け加えた。
「少なくとも捜査本部はそう判断しています。ま、現実的に考えればその辺りが妥当でしょうな。あくまで『現実的』に考えれば、ですが」
「……」
「まぁ、もっとも、このメールの内容はあなたもよくご存知のはずだ。捜査本部に何人かエス(警察関係者のスパイの事)を潜入させているようですし、公安は随分この一件にご執着のようだ」
そう言って前橋は愉快そうに笑った。一方、倉敷からしてみれば笑えるような話ではない。
「ご存じだったんですか?」
「職業柄、おかしな動きをする奴はわかるんですよ。それが犯人だろうが身内だろうがね。まぁ、大方公安絡みだとは思っていましたし、放っておいた方が動きがわかると思って詮索しませんでしたが、そしたら案の定、あなたが接触して来た」
「……やはりあなたは優秀な刑事のようですね」
「それは皮肉ですかな。優秀な刑事がこんな所轄でくすぶっているわけがないでしょう」
「いえ、ここで接触しておいてよかった」
前橋が真相に肉薄する前に接触する……倉敷としては苦肉の策であった。
「で、俺にその怪異とやらの存在を信じろ、と?」
「そうです。ご協力を……」
「面倒ですなぁ」
前橋は再びそうやって大欠伸しながら言った。
「面倒って……」
「正直、俺としては鷹野橋殺しの件さえ解決できればそれでいいんですよ。ただ、真相がどうであれ、その解決はあくまで『現実的』でなければならない。まさかあなたも『被害者は数年前の事件の被害者の死体が操られた存在で、今回は呪いの触媒にされて殺された』などというあのメールそのままの発表を警察ができるとは思っていないでしょう。仮にそれが真実だったとしても、です」
「それは……」
「別に俺は怪異を否定しているわけじゃありません。あなたが出てきたという事は、そういう事象は存在するのも事実なんでしょう。ただ、真相が本当に怪異によるものだろうが、警察が捜査をしている以上、どこかで『現実的な落し所』が必要になる。それを思うと面倒でなりませんよ」
「……」
「それに、あのメールを信じるとしても、いくつか不自然な点があります。というのも、鷹野橋智也という人物は戸籍上確かに存在しているからです。存在しなければ運転免許の発行など不可能ですからこれは確実です。いくら怪異でも戸籍の偽造はできないはずではないですかな?」
返す言葉がなかった。そう言えば彼の身元確認は運転免許で行われていたはずである。
「現実的に考えるならば、可能性は二つ。一つは上層部にこの一件の関係者がいて戸籍の偽造が行われた。まぁ、この場合俺らは次にそいつを公文書偽造罪で追及せにゃならんわけですがな。二つ目は、戸籍の乗っ取りが行われたというケース。要するに鷹野橋という男が何らかの原因で死んだ後に第三者が戸籍を乗っ取って鷹野橋に成りすましたというケースですな」
「警部はどう思われますか?」
「俺ですか? それは捜査してみんとわかりませんが、多分、二つ目ではないかと睨んでいます。一つ目はいくらなんでも小説じみていますからな」
「……」
「いずれにせよ少なくともこの一件、怪異以外に明らかに人間の手が加わっています。それに、呪いだろうが何だろうが、鷹野橋を殺したのは間違いなく人間です。私はそれが誰なのかを知りたいだけですよ。ただ……そのためなら何でも利用しますがね」
そう言いながら、前橋はいくつかの封筒を倉敷に差し出した。
「これは?」
「今回の事件に関係ありそうな事を俺なりに調べたものです。メールに書いてあった資産家殺しについても。怪異だろうが何だろうが、事が殺人事件ならば記録が残っているはずですからな」
その資料には、十五年前にM市の館で起こった資産家殺しのデータが載っていた。
「問題の屋敷に住んでいたのは各務家という旧華族の一族でしてなぁ。当時の当主は各務藤吉郎、事件当時二十八歳。妻は各務秋菜で、その二人の間に各務霧人という息子と、各務珠菜、各務瑛菜、各務柚菜、各務音菜という四つ子の姉妹がいたそうです。もっとも、十五年前に屋敷は全焼。焼け跡からは焼け焦げた七人分の遺体が発見され、身元確認に手間取ったものの、他に該当者がいない事から最終的に各務家の七人だと認定されています」
「……」
「あのメールの内容が正しいなら、鷹野橋に成り代わったのは当時の当主・各務藤吉郎という事になるんでしょうな。それがあのメールの内容通り何者かに死体を操られていたものによるものなのか、あるいはそんな怪異的な話ではなく鷹野橋智也という人物の戸籍を乗っ取った事によるものなのかはわかりませんがな。もっとも……もし鷹野橋智也イコール各務藤吉郎だとするなら、個人的には他の各務家の面々も同じような状況になっていないとは否定ができないとは思いますがね」
前橋はそう言って小さく笑う。
「それと……念のためにS市の失踪事件についても詳細を調べておきました。失踪したのは雨音晶という人物で、失踪後、この雨音晶の妹・八辻栄子が志乃河創一郎の店で店員をしていましたが、後に失踪しています。この雨音晶という人物、どうもつかみどころがない人物でしてな。確かなのはM市在住である事。そして……同じM市内にある『レイニーサウンド』という喫茶店の元店主だったという事」
「『レイニーサウンド』……」
「そもそも、この店の名前からして雨音晶の名字からきているようですからな。『レイニーサウンド』で『雨音』、というわけですよ。調べたところ、数ヶ月前にS市山中で雨音が失踪した後、この店の店主は雅楽川広重という男に代わっています。どこぞの浮世絵画家みたいな名前ですが本名です。どういう経緯で店を継いだのかまではわかりませんがな」
考え込む倉敷に、前橋はこう続けた。
「……俺が言うのもなんですが、刑事として一つ忠告を。今回の一件、確かにすべてが常識で説明がつかない事も事実です。だから怪異がある程度絡んでいるというのも確かなのでしょう。ですが、怪異絡みの事件がすべて怪異で成立しているとは限らない。怪異的な事件の中にはある程度現実の事象が混ざっている可能性もある。それを取り違える事がないように。一見現実的に見える事件を怪異的に見ると説明がつく事があるように、怪異的な事件を現実的に見る事で説明がつく事もあるはずですからな」
「あなたは……」
おかしい。一般の刑事にしては妙に怪異に対して詳しすぎるし順応が早すぎる。倉敷がそう思った瞬間、前橋はこう言った。
「接触するにあたって、当然俺の経歴を調べたんでしょう? もっとも、大した経歴しか出てこなかったはずですが」
「っ!」
「知ってますかな? 警察庁特別公安課の捜査員が何らかの事情で課を離れる際、在籍時の記録は全て抹消されて一般の司法警察職員としての偽りの経歴が用意される。まぁ、普通は所轄の閑職に回される事が多いのですがな。そして、以前にどのような捜査員が在籍していたのかは、後任の捜査員に知らされる事もない」
「まさか……あなたは……」
倉敷が何か言う前に、前橋はこう告げた。
「今の俺はあくまで所轄の一介の刑事。だから立場上、あくまで現実的側面から事件を追いますが、それで対応できない事があったらお知らせしますよ。ただし、志乃河霧音の追跡については手を出さんでもらいましょうか。これは怪異ではなく我々の領分ですから」
そう言うと前橋はパトカーを降りた。話はここまでのようだ。色々言いたい事はあるが、ひとまず協力関係を築けただけもよしとしよう。そう自分を納得させて、倉敷はパトカーのエンジンキーをひねった。
「そうそう、最後に一つ。あなた、志乃河創一郎氏と面識は?」
倉敷はドキリとして前橋に顔を向ける。
「……なぜそう思うんですか?」
「いえ、別に。ただ仮にもし面識があるなら、彼はあなたに自身が雇っていた八辻栄子という女性の失踪事案について言及していたのかと思いましてね。もし語っていなかったとすれば……」
「……」
「それ以上は言わんでおきましょう。ただ、現実的側面から見てもこの男に怪しい部分があるのは事実です。それが何なのかまでは公安に言う義務はありませんがね。ただ、『敵は身内にいる』……実際の犯罪捜査でもこれは常識ですよ。現実の殺人事件の大半は、身内が犯人だったというケースが多いのですからな。怪異が絡んでいたとしても、人間が絡んでいる以上、それは変化しないのではないかと俺は思う次第です」
何もかも見透かしたような言葉に、倉敷は頭を下げてパトカーを発進させた。それを見送りながら、前橋はコートのポケットに手を突っ込んで意味深に呟く。
「さて……怪異が絡んでいるとなると面倒な事にはなるが……俺は俺なりのやり方で地道にやらせてもらうとしようか。ひとまずは……志乃河霧音の行方の捜索か。ったく、あちこちで暴れてくれやがって。こっちの身にもなってほしいね」
この前橋というイレギュラー分子が事件にどう影響するか……それはまだわからない。




