永遠の命の対価
それはある日の昼下がりのことだった。友人が唐突に話題をふってきた。
「ここに永遠の命を得られる薬があるのだが」
彼は俺の目を見据えて問いかけた。
「お前は飲むか?」
彼にしては真剣に、真面目にそう問いかけた。だがその時向かいに座っていた俺はそれをキッパリと否定した。
「飲まん。絶対に飲まん。断固拒否する」
俺たちはその時、カフェテラスにいた。友人からの久しぶりの連絡が来たのはつい数時間前のことで、久しぶりに会おうよと誘われての、この状況だった。
その友人は大学生時代に知り合った仲で、当時はよく遊びに行ったり、意味もなくつるんでいたりもしていた。だか卒業を機に会うことはなくなり、それきりで終わっていた。久しぶり会おうと言われて、理由も特に考えずに暇だから別に良いだろうと誘われるがままに行ってみれば、それはまるでマルチ商法の勧誘にでもあっているかのような状況で。でも内容的には宗教の勧誘のような話題を振られて、俺が戸惑うのも無理はなかった。
それに加えて『永遠の命』なんていう胡散臭さのかたまりのようなワードが含まれていればいよいよだった。
「馬鹿馬鹿しい」
俺は吐き捨てる。
真実であればたしかにそれは魅力的ではあるのだが、真実ではないと分かっているからこそアホらしかった。宝くじの一等が当選したらどうしたいかという妄想の方がまだ健全だっただろう。
「どうして飲まないんだよ。永遠の命なんだぞ!」
拒否する俺に、友人は語気を荒げて訴えた。正直に言えばこの話はこれきりにして欲しかった。しかし、久しぶりにあった友人が昔となんら変わっていない様子だったので、俺は仕方なく返事をする羽目になった。彼は自分の気が済むまで何度でも同じ問いを繰り返す。今ここで答えなければまた質問されるだけなのだ。そういうやつなのだ。
だから俺はまたキッパリと理由をつけて言ってやった。
「飲まない理由はいくつもあるぞ。一つはそれが嘘だからだ。そんな都合のいい話があるわけないじゃないか」
考えるだけで虚しくなる。宝くじで一等当たったら何をしたいか考えて、妄想の予定を立てたところで当たらなければそれは虚しさに変わるだけ。考えなければ虚しい思いをしなくて済む。ならば考えるだけ損だ。そんな皮算用は当たってからすれば良い。それと同じことだ。
「もしも嘘じゃないとしたら?」
友人はまたしてもそんな仮定の話をする。仮定の話などいくらしたところで虚しくなるだけだが、俺は仕方なく答えた。
「だとしてもだ。都合が良すぎるだろ。対価を払わなければならないはずだ」
物を得るには金がいる。金を得るには働く必要がある。働けば体力と時間が失われる。何かを得るには常に何かを失わなければならないのだ。それが世の常であり、真理なのだ。
それこそ永遠の命を得ようとするのなら一体何を失わなければならないのか、想像すらできない大切な何かを奪われるに違いない。
そんなの本末転倒だ!
俺が友人を見返せば、友人はまだ満足していなかったように顔を引きつらせている。そして懲りずにまた問いを重ねてきた。もっとも、問いというより説得のように聞こえたが。
「対価を支払う必要もなかったとしたら?」
何も失うことなく嘘でも仮定の話でもなく、本当の本当に永遠の命を手に入れられるとしたらお前はそれを手にするか?
そう言いたいそうだ。
「だとしてもだ」
期待を裏切るようで悪いが、俺は何度も言ってきた答えを繰り返した。
命は限りがあるから美しい、などとは言わない。そんなのは永遠の命を得ていない人間が言ったところでただの妄想だ。
それでも俺が断るのは、今の生活にそれなりに満足しているからだろう。ものすごく貧しいわけでもなければ、それこそ持病や怪我などの体の不自由もない。見つかってないだけかもしれないけど、それは見つかってから考えれば良いだけの話。
友人は肩を落とし、深くため息をついていた。その顔はとても暗かった。失望、いや絶望だろうか。それとも諦めだろうか。あるいは落胆かもしれないそのよくわからない顔をして、友人は少し俯き陰っている。その顔を見て、俺は改めて一連の問いについて考えてみた。質問があまりにも唐突だったので考えていなかったが、どんな意図――目的があったのか。友人の真意を俺なりに探る。
単純かつ純粋に考えれば答えはそう、
『永遠の命を得られる薬があるから飲んでくれ』となる。
しかし何のために?
俺を永遠に生きさせたいのか?
ならばなぜ『飲め』と言わない?
もしかしたら友人は薬をすでに飲んでいて永遠の命が保障されているかもしれない。そうなった時に考えられる不満があるとすれば(これは想像に過ぎないが)孤独だからではないだろうか。
永遠だからこそ、限りある命の者との別れが永遠に続く。その孤独は計り知れない。
だから俺は慎重に友人に問いかけた。
「お前は……その薬を飲んだのか?」
友人はすぐに答えなかった。何かを言いかけて口を開いたかと思えば、言うべきか逡巡し、言葉にならない声を漏らしていた。そしてようやく一言だけ呟いた。
「飲んだ」
何故飲んだのか、飲んだあとどうなったのか、何故俺に飲ませようとしたのか。説明したかったであろうそれらを飲み込んで捻り出したその一言を俺は察するしかなかった。
友人の顔はより暗くなった。今ではそれが何だったのか理解できる。あれは絶望だった。
会話はそこで終わった。
友人は最後にピルケースをひとつくれた。中には二つの錠剤が入っていた。
「お前にこれを渡しておく。もしかしたら気が変わるかもしれないからな。その時に思い出したら、まあ……飲んでくれよ」
そう言うが否や、友人は立ち上がり去っていった。俺は友人の背中に「また会おうな」と声をかけた。友人は手をゆらゆらと振るだけで返事はしなかった。
次の日からその友人と連絡が取れなくなった。永遠の命があるから死んでいるわけではない。もっともそれは友人の言葉を信じればだが。
彼の所在がわからないまま時は過ぎた。何度か本格的に探してみたことがあったが、手がかりすら掴めなかった。そして彼と最後に会ってから約二十年ほど経った今、俺はとある病に犯されていた。今はまだ日常生活に支障のないレベルだが、その病気により刻一刻と俺の体は蝕まれていた。不治の病だそうだ。余命宣告も受けた。もって一年だそうだ。俺はその時になってようやく死にたくないと思い始めた。あれから今の妻と出会い、子供まで授かった。まだ子供は未成年だ。せめて大人になるまで見届けたい。そんな気持ちが心を締めつける。だからこそ俺があの薬を思い出したのも不思議ではなかった。
俺はその薬を取り出した。引き出しの奥に放り込んでおいたケースの中には、あの時と何一つ変わらないままの錠剤が入っていた。その変化のなさはまさに永遠のようだった。
俺は初めの方こそ疑っていた。でもそれは常識に照らし合わせてあり得ないと思っただけで、友人の言葉を完全に疑っていたわけではなかった。
あの時の友人の顔を思い出す。嘘をついているようには見えなかった。
気になるのはあの時見せた絶望感。
これを飲んだあとどうなるかは想像すらつかない。でも俺に残された時間はけっして多くはない。
俺は覚悟を決めてその薬を飲んだ。
飲んだ直後の変化は特に見られなかった。精神的にも肉体的にも変わりがない。決めた覚悟の重さに反比例した変化のなさに、俺はかなり肩を落とした。今更ながら、都合のいい話だと重々分かっているが、このまま死にたくはない。しかし……所詮あれは嘘だったのだろう。
卒業してから再び会うまでに彼は何かに影響されたか騙されてあんな訳のわからないことをしていたのだ。そう俺は結論付けた。
俺はその日、残りの時間をいつも通りに過ごし、いつも通りにベッドで横になり、いつもと同じようにその日を終わらせた。
◇◆◇
変化に気づいたのは翌朝体を起こして、リビングに向かっていた時だった。いや、変化ではない。これは違和感だ。なぜなら変化など何もしていなかったからだ。
「おはよう、お父さん」
廊下ですれ違った娘が俺に向かっておはようと言った。それはいつも通りのことで、毎朝言われていたことだった。だから言われたこと自体に驚いたとか、変だと思ったわけではなかった。むしろ同じだったからおかしいと思った。
俺はいつもと同じように顔を洗った後、寝巻きのままリビングに向かった。中に入れば、リビングの隣にあるキッチンで妻が料理していたのが見えた。
俺はテーブルにつき、朝飯ができるまで新聞を広げて待つことにした。
「あれ? これ昨日のやつだ」
その時、妻がエプロンで手を拭きながらやってきた。
「あなた、おはよう。もうすぐ出来上がるわ」
「おはよう。ねぇ、今日の新聞ある?」
新聞を持ち上げて、妻に訊く。
いつもなら妻が新聞を郵便受けから取ってきて所定の位置に置いておいてくれるはずが、今日に限り昨日のものが置かれていたからだ。
なのに、妻は衝撃的な言葉を発した。
「何言ってるの?」
何言ってるのとは何なのか、意味が理解できずに首を傾げると、妻の方も首を傾げていた。
「寝ぼけてるんじゃないの?」
そう言い残すと、妻が呆れて食器棚のある方へと向かっていった。
訳がわからないまま、しばし呆然としていた。そして俺は、運ばれてくる朝食を見て悟った。
「同じだ……」
昨日食べた朝食と全く同じメニューが運ばれてきた。俺は急いでテレビをつけた。朝のニュース番組をひとつ選ぶ。そこに表示されていた日付を確認する。
――それは昨日の日付だった。
『永遠の命』
その意味することは、つまりそう言うことだった。
同じ一日を永遠に繰り返す。
たとえ何かを失ったとしても次の日には元に戻っている。もっともそれは次の日ではなく、同じ一日を繰り返しているだけなのだけれど。
友人は対価を失うことはないと言った。確かにこの状況は今あるものは何も失っていない。今あるものは。
俺は、自らの未来を対価に永遠の命を得たようだ。
その時俺は友人がなぜ絶望していたのかを理解した。これは想像でしかないが、友人は孤独だったに違いない。その中で自殺を試みたりしたこともあったのだろう。だが死んだところでまた目が覚めて同じ一日を繰り返す。積み上げたものを残すことのできない世界で彼は何を思っていたのか。
真の意味でそれらを理解するのはこれから先のことだろう。それはいつのことか。俺も友人同様に絶望するのだろうか。わからない。だがまあ、時間は永遠にあるのだ。今から絶望する必要はない。
俺は残されたもう一つの錠剤のことを考えながら、とりあえず朝食をいただくことにした。




