精神と文字と矛と盾
矛盾という言葉の由来は今更語るべくもなく周知のところだろう。全ての盾を突き通す矛と、どんな矛をも通さない盾。これらをつきあわせた時、果たしてどうなるのか? それこそがまさしく矛盾なのだが。
さて、その二つが今、目の前で売られている。
散歩中にふと気になって入った骨董品店で、出くわしたその品に。
うずうずとわたしの中の好奇心が動き出した。
よし、ここは故事に倣い、店主に問うてみよう。
「店主、一つ聞きたい」
私は、店の奥にいた店主に声をかけた。
「なんです?」
「ここで売っているその、全ての盾を突き通す矛と、どんな矛も通さない盾。この矛でその盾を突いたらどうなるんだい」
故事ではここで、店主は返答できずに沈黙する。果たして店主はどうするのか。
すると店主はニヤリと笑った。
「お客さん。それを知りたかったら買ってくださいよ」
なるほど。面白い。この店主には商才があるようだ。
買えばわかる、と。
「いくらだ?」
「はい。しめて××円ですね」
店主が口にした値段は決して安くはなかったが、さりとて買えないほどでもなかった。私は好奇心を満たすために買うことにした。
「この売り文句に偽りはないね?」
私は店主に尋ねる。店主は深く頷き、
「そりゃあ、当然ですよ」
と目を伏せた。
ならばその言葉、信じよう。
なに、文字通り矛盾するようなら返品すれば良いだけのこと。
そうして出先で衝動買いした物を持って、私は帰宅した。
帰ってきて私は安楽椅子に着いた。
早速ためしてみたいところだが、そう急ぐものでもない。どうなるか予想するのも一興だろう。
はたして、どんな結末が考えられるか?
売り文句に偽りありて、矛が盾を壊して貫くか。あるいは盾が矛を壊して跳ね返すのか。
問題はそうではなく、もしも本当にこの矛と盾が売り文句通りの性能を持っているのなら。
矛は盾を貫き、盾は矛を跳ね返す。
その相反する現象が同時に、同じ空間上で重なりあう。そこはまさに未知の領域。想像だにしないことが起こるだろう。
想像できないことを想像してみる。そのとき、ふと店主の言葉がよみがえった。
店主は、私がこの矛と盾を購入するときにひとつ気になることを口にしていた。
「もしもその矛と盾を使って“矛盾”を検証しようとするなら、決して、誰にも見られていないところで、一人でやってください。それだけは絶対に守ってください」
もとより一人でやるつもりだったが、あれはどういう意味だったのだろう。
そうして安楽椅子に揺られて思索にふけって楽しんだ。しばらくして私は、おもむろに立ち上がり準備をはじめた。
では、試してみよう。
買ってきた盾をフローリングに寝かせる。この上から全体重をかけ、思い切り突き刺す。
私は一呼吸整えた。そして――
「それっ――!」
次の瞬間、私は矛を持っていなかった。矛はどこへ行った? 下に目を向けると、目の前にあったはずの盾も消えている。二つとも消滅したのか……
――いや、違う。
違うのだ。明らかに違うと理解できる。
たしかに目の前から盾と矛は消えた。だがそれらは消滅したわけではない。
私は顔を上げた。
(どうなっている……?)
なぜなら消滅したのは矛と盾ではなく、私自身の方だった。
◇◆◇
あたりを見渡す。先ほどまでいた部屋とは全く違う場所に私はいた。周囲には何もないようで全てがあった。光に溢れている暗闇のような、闇に包まれている光のような。右目と左目で異なるものを見させられているような、そんな場所。
(ここはいったい……)
不思議に思っていると、不意にどこからか声をかけられた。
「君も“矛盾”を検証したんだね」
「あなたは……」
人が立っていた。
「僕は君と同じ、矛盾を検証した人間さ」
「ここはいったい……」
「ここは僕や君のような人間が集められる掃き溜めさ。言うなればそう、矛盾空間」
「矛盾空間」
「この世界では全ての矛盾が成り立つ。ここは地球であり、地球ではない。不可能は可能となり、可能は不可能となる。僕は死んでいて生きている。しかし君だけは例外だが、例外ではないこともまた事実だ」
「何を言っているのかさっぱりなんですが」
「僕も何を言っているのかわからないが、理解はしている。君は混乱しているね。大丈夫。じきに慣れるさ。それまでお話でもしよう。君も気になっているだろう。矛盾の結末とこれからのこと。
まずは僕たちがやったことの結末なんだけど、君がさっきまでいた場所には君だけがいなくなっている。矛も盾もそのまま残っている。突き合わせた矛と盾がどうなったのかは、君が消えたことでわからなくなった。それは誰にもわからない。観測者がいなくなったことで、矛盾は矛盾として成立しているというわけだ。実際にふたつは衝突した。その後どうなったのか、それだけがわからない。これが真相。真実さ。はは、面白いねえ。不合理だって? ……そうだね。だからこそ矛盾なんだよ。
さて! 気を取り直してさ。これからのことを考えようよ。いったい元の世界に戻るにはどうしたらいいのかって話だけど、うん残念。この世界から出ることはできないんだ。決して何人たりともそれは同じで、脱出は不可能。ごめんよ力になれなくて。え? そんなことも知ってるんですかって? いやいや、僕はなんでも知ってるけど、実はなんにも知らないんだよ。だから何かあったら聞いてくれ。どんなことでも力になるよ。
――あ、そうそう。実はもともとあの矛と盾はこの世界のものだったんだ。誰かが矛と盾を持ち去ったそうだよ。え? さっき誰もこの空間から出られないって言ってたじゃないかって。そうだね。でもここは矛盾空間。だから――全ての矛盾が成立する。」
そんな場所、一体どこにあるのか。答えは簡単。すなわちそれは、ここ、だ。




