『どんな願いでも叶えます』
知らない街に行くのは楽しい。
僕はよく休日になると、特に目的地も決めずに電車に揺られて、知らない街に行く遊びをしていた。
そしてそれは、ある街でのできごと。
その街をぶらぶらと歩きながら色々と探索していると、僕はいつのまにか暗がりに迷い込んでいた。路地裏と呼べばいいのだろうか? そこには陰鬱とした空気と、どこか異様な雰囲気が漂っていた。良くないものの吹き溜りになっていそうなそこで、僕は一つの奇妙な看板を見つけた。
『どんな願いでも叶えます』
古びて錆びついたその看板には、だがはっきりと赤字でそう書かれていた。
「どんな願いでも……か」
興味をそそられた僕は、その看板を置いている店の扉を開けた。
「すいませーん」
中に足を一本踏み入れ、奥の方に声をかける。
店中は仄暗く、木でできた床が僅かに軋んだ。壁には怪しげな置物が並べられ、部屋の隅にはバーのカウンターらしきものもあった。店と言われれば店っぽい。
だが人の気配は感じられなかった。
「誰かいますかー?」
「……」
反応がなかった。静かだ。
(どうしよう。帰ろっかな……)
そう思って振り返ったその時。
「うわあっ!!」
背後に人が立っていた。
腰を曲げた女性の老人だった。
「いらっしゃいませ」
かるく腰を抜かした僕に、彼女はそう言った。
細い声だったが、周囲が静かなせいではっきりと聞き取れた。
いらっしゃいませと言っていることから、この人はこの店の関係者なのだろう。
「あのーすみません。表の看板見たんですけど」
「ああ。はい。では願いは何ですか」
驚くほどあっさりとした対応をした老人。彼女がカウンターの奥に入っていったので、僕もついていって席についた。
「いえあの、その前に聞きたいんですけど。本当になんでも叶えてくれるんですか?」
「はい。そう書いてありましたでしょう」
「じゃあ、一億円欲しいとかでも……」
「もちろん、そうあなたが願うなら叶いますよ」
さもそれが当たり前だというように、老人は言い切ってみせた。だが僕にはそれが信じられなかった。
「でもなんか後であるんでしょう。例えば願いは叶えるけど法外な金を請求するとか。臓器提供しなければならないとか」
「いえいえ。何もありませんよ」
なおも彼女は首を横に振る。それでも僕には納得できなかった。
「じゃあ聞かせてください。今までどんな人の願いを叶えてきたんですか」
その言葉に、彼女は少し目を伏せて語り出した。
「そうですねぇ。あれは、生暖かい風が吹いていたある日の夜のことです。酔っぱらった二人組の男性がやって来ました。酔っていたので気が大きくなっていたんでしょうね。大きな声で、表の看板を見た、と私に言ってきましたよ。それで一人の男性は『浴びるほどの酒が飲みたい』と言ってきました。もう一人は『大金持ちになりたい』って言ってきました。私はそれを聞き入れて、願いを叶えてあげました」
「それで……その人たちは今どうしてるんですか?」
「さあどうなんでしょうねえ。ただ、次の日、大きな酒樽の中で溺死している男性が発見されました。またその一週間後には、とある資産家のもつ金庫の中で餓死していた男性が発見されたことが話題になっていましたけどねぇ……」
「それってもしや……」
「さぁ、それはご想像にお任せします」
「……」
想像に任せるも何も、そうなったと言っているようなものではないか。
だがこれで納得がいった。願いは叶うが、それは本人たちが意図しない不幸な形で叶うのだろう。『浴びるほど酒が飲みたい』と願えば、酒樽の中に放り込まれ、『大金持ちになりたい』と願えば金庫の中に閉じ込められる。すなわちなんらかの均衡は保たれているわけだ。
「それで、あなたの願いは何ですかな?」
「えっとそれは……」
問われて僕は戸惑った。
もちろん願いがないわけではない。だが今の話を聞く限り、結果的にはよくない結末になりそうだ。
「あの、今は思いつかないので、また今度に――」
「それはいけません。ここを訪れたからには、必ず一つは願いを叶えさせていただきます」
願いの強要――これまた奇妙な場所に来てしまったものだ。
「うーんでもなぁ……」
老人は僕を睨み続けていた。その有無を言わさぬ眼力が、この場を離れた瞬間に何かをするのでは、と僕に恐怖を植え付けた。
いや、でもこれは願い方を工夫すれば確実に得できるのではないか?
そうだ、例えば『大金持ちになりたい』というアバウトな願いじゃなくて、より具体的に『宝くじで一等を当てたい』とか。これならば……いや、どうなんだろう。僕が宝くじを当てたことを誰かが知り、僕を殺して奪うかもしれない。もしかしたら叶いにくい願いをするから反動で大きな代償を払わされるのかもしれない。それなら――
「わかりました。じゃあ一円ください」
一円ならそんなにリスクはないだろう。「それは心の底からの願いですか?」
「え?」
「その願いは本心ですか?」
「あ、いや……」
正直に言えば、一円なんて別に欲しくない。くれるというならありがたく貰うけれど、何か代償があるならむしろいらない。
どうやら心の底からの願いしか受け付けていないらしい。となると困ったものだ。
心の底からである以上、それなりに叶いにくい願いで、しかしあまりリスクのない願いでないと大きな代償を支払う可能性がある。『今すぐこの場を穏便に去りたい』という願いが本心だが、どうなることやら……。
「わかりました。じゃあ願いを変えます。僕の願いは――」
僕は心の底からの願いを一つ言った。老人はそれで納得したようで、
「そうですか。それではその願いは明日には叶っていますよ」
と告げた。
そうして僕は二度と来るか、と思いながら帰路についたのだった。
◇◆◇
その翌日。
僕は目が覚めて、鏡を見て驚いた。
「本当に叶ってるよ……」
僕の願い、それは『髪の毛を十代の頃のようにして欲しい』だった。
僕はまだ三十代であるにもかかわらず、頭頂部がドーナツのように薄くなっていた。それだけが自身の身体に関わる最大のコンプレックスだった。
頭に手を当て、久しぶりのふさふさとした手触りに僕は嬉しくなった。
「でも、この後どうなるんだろう」
この後、僕は出社する。間違いなく皆の視線は僕の頭頂部に向かうが……それだけが代償であって欲しい。
そうして僕は内心ドキドキしながら会社に向かった。
「おはようございます」
会社のドアを開けると、男性陣が何やら輪を作って話し合っていた。
「おう、おはよ……どうしたよそれ」
返事をした部長の目線は、僕の頭頂部に向かっていた。まあ、無理もない。
「まあ、これは色々ありまして……」
昨日のことを説明してもからかわれるだけだ。呆けた顔をした部長に、僕は適当にお茶を濁して対応した。
「ところで何かあったんですか?」
それよりも、僕は皆が輪を作っていたことが気になった。
「ああ、そうだ。お前にも聞きたかったんだ」
部長が僕を見つめる。
つづいて、男性陣の視線が僕に集まった。
確実に何かがあったらしい。
僕が固唾を飲むと、部長が口を開いた。
「お前って今、すね毛生えてるか?」
【解説】
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同僚たちのすね毛が突如無くなり、一方の語り手の髪の毛は増えた。ということは……。
【後書き】
季節は春。もう四月になりました。皆さんいかがお過ごしでしょう。新生活が始まりバタバタする時期です。
ところでこの意味怖短編集ですが「週一更新で頑張る」を目標にやってきましたが、今年から諸事情により忙しくなることが見込まれるので、二週間ごとの更新にすることにしました。
連載を終わらせるわけではないので、そこのところだけよろしくお願いします。




