交差する人生
俺は生まれながらにして勝ち組だった。欲しいものはなんでも手に入ったし、他人よりも裕福で快適な生活を送ってきた。学校への行き来には、車での送迎が当然のようにあり、食うものから着るものまでどれ一つをとっても庶民とは一線を画していた。なんの不自由もなく、そしてそれが当たり前だとも思って生きてきた。俺は選ばれた特別な人間で、他の奴らはただの有象無象。とるに足らないモブでしかないとそう思っている。
だから俺は貧乏人が嫌いだった。
道端に捨てられているゴミのように汚い身なりで、地を這い生活する奴ら。
臭く醜く、落ちるところまで落ちた奴らは、時にどんなに蔑まれようともプライドもなく施しを求めにやってくる。その姿が哀れすぎて、俺は同時に虫酸が走った。
身の程を弁えない行動は、万死に値する。
それだけならまだいい。
往々にして平民は、自分らの身分を棚上げし、我々に対し逆上してくる――
だから俺は貧困層を嫌悪していた。
本来なら、嫌悪などというのは違うのかもしれない。俺とあいつらの間には天と地との差が――比べることがおこがましいと思えるほどに開いている。喩えるならそう、人様と虫ケラに近い。人間が地を這う虫に気を遣って歩かないのと同様、俺もあいつらのことなんかどうとも思わない。俺が何か行動を起こした結果、例えあいつらが死んだとしても、俺は気が咎めるなどということはなかった。だが時に、あいつらは俺の視界に入り込む。煩わしいことこの上ない。人間が蚊を叩き潰すのと同様に、むしろ根絶さえ願うように、俺は俺に近づく虫ケラを払い除けた。
邪魔だ退け。消え失せろ。嫌なら殺す。容赦しない。
ただそこにいるだけで殺されるゴキブリがいるように、俺にとってのそれが奴らだった。
そんな奴らの中に一人だけ、異質な人間が混ざっていた。
他の誰とも違う。
俺のことを見続けた男。
その眼は他の奴らのように恨んでいるようでもなく、羨んでいるようでもなく、あれは、――憐んでいるような――そんな眼をしていた。
そいつはよく俺の家の前で見かけた。
遠くの方から何をするでもなく、ただ呆然と立って、出てくる俺を見続けていた。
見つめるだけで害などない。放っておけばいい存在。
だが俺は、使いの者に冷徹に命じた。
「目障りだ。殺せ」
◇◆◇
次の日から奴が俺の視界に入ることはなくなった。全ては俺の望むまま。人の生き死にでさえも簡単に操作することができる。
俺は思っていた。この世にやってやれないことなど一つもないと。だが――
「どうしてだよ……」
ある時、俺でさえどうすることもできないことがあると知った。
俺の娘が突然、余命宣告を受けた。
余命は半年。永くもっても一年だと医師は言う。
残された道はできるだけ永く延命させるか、あるいは苦しまずに逝かせてやること。
それだけだった。
俺はそれが受け入れられなかった。どうしても理解したくなかった。だから俺はありとあらゆる手段を探し、手当たり次第に娘を救う方法を模索した。大金を注ぎ込み、持てる力の限りを尽くして助かる道を必死に探し続けた。
だがそんなものは何一つとしてなかった。
俺は絶望に打ちひしがれた。全てを自由に操ってきた俺に、不可能はないと豪語していた俺にも、できなかったことがあった。
そんな絶望する俺とは対照的に、彼女は全てを受け入れていた。
「顔を上げてよ。私のことは気にしないで。神様がきっと助けてくれるはずよ」
俺は報いだと思った。人の価値に優劣をつけ、劣っている者には一切の容赦をしなかった自分に罰が喰らったのだと。
何もしてやれない自分に腹が立った。
「あぁ、俺は今まで神なんて信じちゃいなかったさ。神なんていうのは、何かに縋らないと生きていけない弱い人間が作り出した妄想だと一蹴して来た。俺は選ばれた強い人間で、他は選ばれなかった弱い人間だと思って来た。でもそうじゃなかったんだ。俺は……俺は……。
なあ、もし仮に神がいるっていうなら、なんとかしてくれよ! なんであいつが苦しまなくちゃいけないんだよ。助けてやってくれ! 俺はどうなったっていい。頼むお願いだッ!!」
夢なら覚めてくれ、と心の底から願った。膝を折って、頭を地面に擦り付けてなりふり構わず、懇願した。
「本当にお願いだよ……助けてくれ……」
その時、どこかで声が聞こえた気がした。
『その夢、叶えよう』
◇◆◇
「おい。起きろ」
「ん……?」
揺り動かされて、僕はふっと顔を上げた。横ではホームレス仲間が驚いた顔で僕を見ていた。
「どうした、うなされてたぞ」
「ん、ああ……僕は……」
何か夢を見ていた。詳しくは思い出せない。おぼろげに覚えているその夢は、どこかここではない違う世界での話のようだった。
「おい、どこ行くんだ」
ふらふらと立ち上がった僕に、先程の奴が声をかけた。
「行かなきゃいけない場所があるんだ」
それがどこだか、自分自身にもわからなかった。だが行かないといけない気がした。
「気を付けろよ」
「ああ」
僕は一歩踏み出した。
僕の人生は初めから詰んでいた。物心ついた頃には父親はなく、母親が家に帰ってくることは滅多になかった。
食べるものは少なく、そして不味い。
服はいつも同じものを着ていた。学校に通ったことは一度たりとてなかった。
ある日から母親が帰ってこなくなった。
理由なんてわからない。どこかで死んだのか、それともただ単に僕を捨てたのか……。それから僕に、ゴミ箱を漁る生活が始まった。
同学年の子供たちが外で元気よく遊ぶ中、僕はみすぼらしい身なりでゴミの中からなんとか食べられるものを探していた。
そんな彼らを見て羨ましいと思ったことはなかった。
それは単にその喜びを知らなかっただけかもしれない。確かに僕は貧しかった。だけど心まで貧しくなったつもりはなかった。
だからこそ僕は生きてこれた。
僕は歩いた。
何かが自分の足を動かしていた。
進めと何かが自身に告げる。
そして、そこにたどり着いた。
大きな家だった。
人の何倍もの高さがある門。その奥にそびえ立つ豪邸と呼ぶにふさわしい建築物。噴水。芝生。彫刻。
一個人が持つものとは到底思えないほどの代物。それが目の前にあった。
立ち尽くしていると車が一台出てきた。
僕はそれをずっと見続けていた。




