第12話 斜面を支えている木
春の官報に、三つの名前が載った。
外務評議会、次期欠員の候補。ヴァレンヌ公爵の甥。ラ・トゥール伯爵。モンフォール侯爵。
「三人だ」
朝食の席で、ロドルフは官報を私のほうへ滑らせた。新聞ではなく、私のほうへ。結婚して七か月で、初めてのことだった。
「シャルヴィル夫人の晩餐は、来週だ。三人とも招かれている。あの食卓で、内務卿は決める。決めたことを、国王に言う」
「はい」
「君が隣に座ってくれ。名前を教えてくれ。誰が誰で、何を嫌うか。私は、覚えるのが遅い」
覚えるのが遅い、と彼が自分について言うのを、私は初めて聞いた。
この人は、仕事の話をしているときだけ、正直の種類が変わる。自分の欠点を、値札のように淡々と読み上げる。それは、私に対する評価が変わったからではない。私が、仕事の道具として、彼の帳簿の中で正しい棚に置かれたからだ。
私はその棚を、悪くない、と思っていた。少なくとも、そこには名前がある。
晩餐まで六日。
私は十二枚の紙を作った。ルネに渡した一覧を元に、シャルヴィル家の晩餐に招かれる十二の家について、当主、奥方、席順の予想、話していい話題、話してはいけない話題、この半年で起きた出来事。
夜、ロドルフはそれを書斎で読んだ。私は向かいに座って、質問に答えた。
「ラ・トゥール伯爵は、なぜ私を嫌う」
「嫌ってはいません。貴方の父上に、二十年前、決闘で負けています。それだけです。決闘の話をしなければ、問題ありません」
「ヴァレンヌ公爵の甥。何を話せばいい」
「音楽です。公爵の甥は、去年、王立楽団に金を出しました。誰も褒めていないので、褒めれば喜びます」
「シャルヴィル夫人は」
「褒めないでください。夫人は、褒められると相手を値踏みします。夫人には、鉄材の寝台が何台になったか、数字で訊いてください。夫人は数字を、花より好みます」
彼は紙から目を上げて、私を見た。
「君は、私が知る誰より、この街を知っている」
と、彼は言った。
褒め言葉だった。彼の口から出た、私に向けた、たぶん初めての。私はそれを受け取って、帳簿のどこに置くべきか、少し迷った。夫人費の隣か。有能だな、の隣か。
結局、置き場所を決めないまま、「ありがとうございます」と答えた。
晩餐の夜。
シャルヴィル邸の食堂は、蝋燭が四十本あった。私は数えた。数えると、落ち着く。
招かれた十二の家に、一人だけ、家ではない客がいた。北の子爵。「寝台の枠の子爵殿」と、シャルヴィル夫人は彼を呼んだ。夫人は、鉄材を原価で出した男を、金を出した男たちより、はっきり好んでいた。
「あの子爵は、あなたの従弟殿でしょう、侯爵夫人」
席に着く前、夫人は私に言った。
「劇場でいつも、あなたの隣にいる」
「はい。夫が忙しいので、代わりに」
「代わりに、ね」
夫人は、それ以上言わなかった。ブリュイエール夫人とは違う種類の聞き手だ。あちらは聞いたことを時計に覚えさせる。こちらは聞いたことを、自分の中の秤に載せる。
席順は、私の予想と二つ違った。それは大きな違いではなかった。
私はロドルフの左に座った。彼の右には、ラ・トゥール伯爵夫人。向かいに、ヴァレンヌ公爵の甥。少し離れて、子爵。
スープのあいだ、私は三度、夫の袖に扇を触れさせた。
一度目。ロドルフが、ヴァレンヌ公爵の甥に、東の森の材木相場の話を始めようとした。私は扇で袖に触れ、「楽団」と唇だけで言った。彼は「――ところで、王立楽団の秋の演目は」と続けた。公爵の甥の顔が、明るくなった。
二度目。ラ・トゥール伯爵夫人が、彼女の娘の名を口にし、ロドルフがその名を忘れた。私は扇の陰で「アデル。十六。竪琴」と言った。彼は「アデル嬢の竪琴は、王都でも評判だそうですね」と言った。伯爵夫人は、二十年前の決闘を、その夜は思い出さなかった。
三度目。魚が出たとき、ヴァレンヌ公爵の甥が「侯爵は、カステラン家とご親密だと聞くが」と言った。ロドルフの顔に、妹の前の顔が、一瞬、出かけた。私は扇で袖に触れ、「鉄材」と言った。彼は「義父の家とは、もちろん。それより、北の製鉄所の話をしましょうか。従弟が――」と話を折った。子爵が、少し離れた席から、その話を受け取った。炉の話。ハンノキの話。寝台の枠の話。夫人が、初めて笑った。
三度。
誰も、扇が袖に触れたことに気づかなかった。ロドルフ自身も、たぶん、三度目には気づいていなかった。彼の中では、自分が正しい話題を選んだことになっていた。それでいい。埋めた穴は、穴に見えないから、穴ではない。
肉の皿が下げられた頃、シャルヴィル夫人が、食卓の向こうから言った。
「モンフォール侯爵。あなたの一番の財産は、奥様ね」
食卓が、少し静かになった。
ロドルフは、礼儀正しく微笑んだ。
「恐れ入ります。妻は、有能です」
そう言って、彼は、扉のほうを見た。
一瞬だった。たぶん、誰も気づかない一瞬。食堂の扉。給仕が出入りする扉。その向こうには、誰もいない。少なくとも、彼が見たい人は。
妹は、今夜、ここにいない。カステラン家は、シャルヴィル夫人の十二の家に入っていない。
彼は「一番の財産」と言われて、その財産が座っている左側ではなく、扉を見た。財産が、財産でしかないことを、その一瞬が、たぶん誰よりも正確に言っていた。
私は、それを見た。
見て、扇を膝に戻し、デザートの皿を待った。
少し離れた席で、子爵が、私を見ていた。
私が扉を見る夫を見たのを、彼は見ていた。それが分かった。分かって、私は彼のほうを見なかった。見れば、何かが、この食卓で起きる。それは筋書きの外だ。
食後、男たちは葉巻の部屋へ移った。内務卿が、ロドルフの肩に手を置いて、何か言った。良い兆しだ。ロドルフは残る。
「侯爵夫人を、お送りしましょう」
子爵が、シャルヴィル夫人に言った。夫人は「そうしてくださいな、寝台の枠の子爵殿」と言い、それから私を見た。秤に、何かを載せる目だった。
馬車の中は、暗かった。
春の夜は、冬より長く暗い。街灯の間隔が、遠く感じる。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
街灯が、七つ過ぎた。
「北では」
と、彼が言った。
「斜面を支えている木が、どれか、分かる」
「……どうやって」
「雪が滑らない場所で。冬が終わって、どこの斜面が崩れて、どこが崩れなかったか、見る。崩れなかった斜面の下に、必ず、根の深い木がある。その木を植えた者しか、それを知らない。あとの人間は、崩れなかった斜面を、ただの斜面だと思っている」
私は、窓の外を見ていた。
「褒めていますか」
「観察だ」
街灯が、三つ過ぎた。
「今夜、扇が三度、袖に触れた」
「見えましたか」
「見えた。彼は、たぶん見ていない」
「見ていなくて、いいのです。それが、仕事です」
「仕事、か」
「はい」
彼は、何か言おうとした。
言わなかった。北の男は、言わないことについて、王都の男より正確だ。
門が、見えてきた。
「子爵」
「なんだ」
「……いえ。何でもありません」
私は、何を訊こうとしたのか、自分で分からなかった。分からないものは、口に出せない。帳簿に書けないものと、同じだ。
彼は「そうか」と言った。それだけだった。
馬車が止まり、彼は例外規定に従って手を貸し、私は降りた。彼は乗ったまま、宿へ帰った。
寝室で、帳面を開いた。
今日の日付。シャルヴィル邸。蝋燭四十本。扇、三度。一番の財産。扉。
そこまで書いて、ペンを止めた。
逸脱の欄に、何を書くべきか、分からなかった。子爵は、接触していない。上着も、皿も、手袋もない。彼が私に渡したのは、馬車の中の、木の話だけだ。それは、逸脱だろうか。観察だ、と彼は言った。観察は、筋書きに禁じられていない。
では、私が門の前で言いかけて、やめたことは、何だったのか。
それも、書けなかった。
私は、逸脱の欄を、一行、空けた。
空けたまま、帳面を閉じた。
この帳面で、一行空けたのは、初めてだった。
帳簿の人間にとって、空白は、ゼロとは違う。ゼロは、数字だ。空白は、まだ数えていない、という印だ。
数えていないものが、私の帳面に、一行ある。
私はそれを、次の回で修正するつもりだった。たぶん。




