5.お肉を食べたら堕ちていた
「熱いから気ぃつけてな」
湯気がのびる串焼き肉を受け取りながら、お姉さんもお兄さんも、それを不思議そうに見ていた。
「……すごいわ。あたしが焼いたのとは別物ね」
「やはりロクに文献を読まずにやるものではなかったんだ。しかし……」
二人は呆然と、肉を見続ける。
「何かしらこの……抑えられないような、抗えないような……本能を刺激されるような感覚……」
「ああ。わかる。この香り、温度、見た目……その全てが、俺の中の何かを刺激し続けている……」
「見てるだけでお腹が減ってくるんだけど……確かに最初からお腹は空いてたわ……でも……」
「もしかしたら今、俺たちは……本物の空腹というものを感じているか……?」
自分の内側から沸き上がる得体の知れない衝動。
それに怖がるように、二人はただ手に持った肉を見下ろしていた。
表面が綺麗に焼き上げられ、肉汁がにじみ出す串肉は、妖艶に身体をくねらせる踊り子のように官能的でさえある。
食べ物に誘惑される。
あまり経験のない感覚だからこそ二人は戸惑い、抗うような動きを見せている。
しかしその誘惑はあまりにも強烈なのだ。
自分たちの抗おうという意志や感情を、食欲で塗りつぶしていくような錯覚さえ覚えるほどに。
二人が戦慄している横で、肉を焼いたイーティア自身は別にそんなことになっていないので、なんてこともないように自分の分の串肉を手に取った。
「ほれほれ。二人とも早く食べてな。
冷めたら硬くなって味も落ちてまうんや。熱々のうちにガブっといくのが花やで」
見本を見せるように、イーティアは手にした肉にがぶりと噛みつく。
赤身ながら筋っぽさはなく、柔らかな弾力を感じる良い肉だ。
噛みしめるほどに美味しい肉汁が溢れ出し、振りかけた塩と混ざり合うと、それだけで極上のスープのようになっていく。
「ん~~……!!」
この世界にきて、初めて肉らしい肉を食べた気がする。
それも、前世の記憶と照らし合わせて考えても、かなり上等な部類お肉だ。
今食べているお肉が、何という生き物の、どの部位かは分からない。
けれど、食べた感じでは、前世でいうところの極上レベルの牛肉――それもサガリのような良い赤味の味わいがある。
口の端から汁が垂れるのも気にせずに大口をあけてかぶりつくイーティアを見ていた二人は、生唾をゴクリと飲んだ。
ためらいなくかぶりつくイーティアの姿がたまらなく魅力的に見えたのだ。
口の端から垂れる肉の脂を拭う姿も、囓られて凹んだ肉の断面も。
その全てが、二人の意志を削り取り、精神を、意識を、肉欲でがんじがらめにしていくかのようで――
「……デリスト。あたし、もう我慢できない……」
「奇遇だなシャルナ。俺もだ。一緒に行くぞ」
「うん」
突然現れて、肉の焼き方をレクチャーしてきた怪しい少女。
さらには途中であった、近くの木が串を打ち出してくるような出来事。
奇妙なこと続きで、警戒心が強まっていた二人も、肉欲もとい食欲を刺激する、官能的な赤身肉の誘惑には抗えなかった。
厳密には違う。
抗ってはいたのだが、この場を支配するあらゆる要素が、二人の中から抵抗感を削いでいったのだ。
理性が薄れ、肉欲の誘惑に堕ちた二人は、本能のままに肉にかぶりつく。
瞬間――二人の脳髄に、本物の肉の旨味が打ち込まれた。
「なにこれ……」
「こんな、モノが……」
これまでの肉に対する価値観が、脳髄に打ち込まれた旨味によって破壊されていく。
あまりの衝撃に、頭の中が真っ白になっていくのに、本能が肉に喰らえと、そのチカラをもっと取り込めと激しく訴えてくる。
その感覚に抗うことができず、二人はさらにかぶりつく。
かぶりつき、味わえば味わうほどに、二人は肉の持つ旨味の奈落へと堕ちていった。
口にすればするほど、身体の内側に何かが満ちていき、今までの食事では全く有り得なかった充足感と多幸感に包まれていく。
「これが禁忌の味……」
「そういう、意味だったのか……」
開いてはいけない扉が開け放たれたかのような感覚だ。
だが、一度開いてしまえば、閉まっていたことがむしろもったいなかったとさえ思えてくる。
真なる料理とは世界の禁忌。
この世に許された料理以外を禁ず。
世界各地のあらゆる国で、大なり小なりそういう法律が定められている。
その意味を、今二人は本能で味わってしまっている。
こんなものを一度でも食べようものなら――
「こんなの食べちゃったら、あたし……もう……」
「言うな……禁忌に堕ちゆくのは、俺も同じだ……」
――もう普通の食事には戻れない。
禁忌たる食を口にすれば、それ以外の料理を受け付けなくなる……先人によるその警句は、嘘ではなかったようだ。
だがもう遅い。
二人の心は、ジューシーな肉汁と、旨味の暴力のような脂に包まれ、美味なる肉を求めずにはいられないように変質し、禁忌の奥へと引きずり込まれるように堕ちていく。
……とまぁ美味しそうに食べながらも内心はシリアス全開の二人のやりとりを、イーティアは「なんや大袈裟やなぁ……」と思いながら見ていた。
とはいえ、今世の記憶からしても、実はそこまでこの世界に詳しくはないのだ。
魔の森の近く。辺境の村オークチック。
そこから出たことのない十歳程度の子供が、都会の常識や、国の外の情報など得る方法がない。
それどころか、オークチック村にもたらされる情報というのは、大人でさえたかが知れている。
イーティアは村の子供としての記憶をベースに、前世の感覚と照らし合わせた推察こそしていたが、現実を分かっていない。
二人のリアクションこそが、この世界における料理の事実であると、今はまだ気づけない。
「禁忌の領域に堕ちちゃうのは分かってる……だけど、もう……あたし止まれないかも」
「ああ、俺もだ。こんなものを食べたら、もっと欲しくなるに決まっている」
「なんやおかわりか? ほれあるよ」
二人のおかわりの意志を見て、イーティアはすかさず二本目の串を手渡す。
「君はアレか? 人間を堕落させるために遣わされた、今代の喰魔王の使者か何かか?」
「ふふ。案外、今代の喰魔王ご本人かもしれないわよ?」
串を受け取りながらそう口にする二人に、イーティアは首を傾げた。
「喰魔王?」
「あれ? お嬢ちゃん知らない?」
「先史文明が亡ぶキッカケになった存在なんだが」
イーティアの答えに、二人は不思議そうな訝しそうな顔をする。
「あー……わたし、村から出たコトあらへんし、村には歴史書とか昔話の絵本とかもロクにあらへんかったんよ。
それに――その村からも口減らしで追放されてもうたから、もう知る由もないっちゅうかなんちゅうか……」
あははははは……と頭を掻きながら軽い調子で口にすると、二人は顔を見合わせた。
「村から追放って……どうやって生き延びてきたのよ?
こういっちゃ何だけど、動物や餓獣を狩ったり、木登りできたりするような身体には見えないけど」
「そこは否定できへんな」
「だが、そうなるとますます解せんぞ? 禁忌料理が作れるとはいえ、そもそも材料がなければその技術も意味がないだろう?」
まったくもってお兄さんの言う通りである。
「実際、串焼き肉とはいえ、料理らしい料理をしたんは追放されてから初やよ?」
「ならば――どうやって生きてきた?」
こちらを気に掛けるような、訝しむような顔だ。
どうしようか悩んだが、そもそも二人のお肉を勝手に焼いて勝手に食べてしまった後ろめたさがある。
何より、二人が悪人に見えなかったので、イーティアは素直に話すことにした。
「ハラペコで死にかけた時な? 急に、目に映るもんが食べれるか食べられへんかが分かるようになったんよ。それで生でも食べれそうなんを見つけて、必死に食いつないだ感じやね」
「死にたくないって意志によって我専餓術に目覚めた感じかしら?」
「だろうな。元々、保有する喰気が人より多かったのかもしれん。覚醒しやすかった体質という可能性もある」
何やら知らない単語が出てきているが、話を雑に要約すると、瀕死時パワーアップというやつのようである。
「さて、お嬢ちゃんの素性が分かったところで――真面目な話なんだけど」
「な、なんや……?」
今までのおちゃらけた面白お姉さんという雰囲気が一変、冷静で冷徹な空気をまといだす。
「あたしたちは貴女の手によって咎食に堕とされちゃったワケなんだけど、この責任ってどうとってくれる?
お姉さんたち、もう人里に戻るのが難しくなっちゃった可能性あるんだけど?」
咎食――言葉の意味はまったく分からないものの、どうやらイーティアの料理によって、二人は人から逸脱した存在になりかけているらしい。
「…………」
イーティアは、前世のマイの影響によって大人びているものの、そのメンタルの根幹は十歳児のものだ。
もうしばらくしたら、イーティアとマイの精神がもっと綺麗に融合することだろう。
だが、現状はマイの影響を強く受けたイーティアという在り方が一番近いものといえる。
だからこその、ただの親切。
だからこその、ただの勢い。
ただただ自分が美味しいものが欲しくてとった行動が、二人を人間の枠から外しかけてしまっているという事実を重く重く受け止めた。
なまじ自分が、口減らしで捨てられている状態だからこそ、二人も自分と同じような状況になってしまうんだという想像が働いてしまった。
その瞬間――ポタポタと涙が溢れ出してくる。
精神性がもっとマイに寄っていたり、もっとしっかり融合していれば、歯を食いしばって冷静になれたかもしれない。
だが、今のメンタルの中核を担っているのは、自我が薄めだった十歳のイーティアだ。
自分の受けた苦しみを、知らず他人に与えてしまうという状況にショックを受けて、それに耐えきれなかった。
「う、あ……」
「え?」
「む……」
さすがに、急に泣き出すとは思わなかったのだろう。
二人は驚いたように、固まった。
「ごべ、ん、ごべんだざい……わだじ、ぞんな、ぞんなづもりなんでだぐで……」
二人が固まった隙に――前世の知識と、十歳児にしては幼い感性と行動力が混ざり合った結果――イーティアは、号泣しながら大人に土下座する少女という、大変見目がよろしくないシチュエーションを作り出してしまう。
「がんにんや……がんにんや……わだじにでぎるゴド、なんでもずるざがい……がんにんしてなぁ……うあああああ~~ん……!!」
さすがにこの状況は、周囲に人なんていないと分かっていても、とてつもなく外聞が悪く心臓にも悪い光景であった。
準備が出来次第、次話も投稿します٩( 'ω' )و




