表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

第1章:完璧すぎた準備

#R15 #サイコスリラー #ヤンデレ #執着 #共依存 #マウンテン・スリラー #因果応報

2024年10月。新宿はまだ夏の残り香で息苦しかったが、今朝の天気予報は長野県の山々に初雪が降ったことを告げていた。


僕は朱里の服の畳み方がいつも好きだ。小さく、かすかに震える手。それなのに、彼女は驚くほど几帳面だった。その朝、僕たちのマンションには、淹れたてのコーヒーの香りと、磨き上げられた登山靴の匂いが混じり合っていた。


「江戸さん、本当に行かなきゃだめ? 長野の天気、不安定みたいだけど……」


彼女は僕の方を見ずに言った。その目は、中部地方を通過するかもしれない秋の嵐のニュースに向けられている。


僕は後ろから彼女のうなじを見つめた。白く、細く、そしてあまりにも脆い。もし僕が理性を失えば、その首を折るなんて造作もないことだろう。だが、まだだ。今はまだその時じゃない。僕は「良い夫」でいなければならない。


「結婚五周年の記念日だよ、朱里ちゃん。覚えてるだろう? 父さんと母さんも、あの……『事故』の前、僕たちを槍ヶ岳に連れて行くって約束してくれていただろう」


僕はわざと『事故』という言葉を口にした。彼女の肩が強張るのがわかった。それは彼女のトラウマのスイッチ。この世界で、彼女には僕以外に誰もいないのだと思い知らせるためのリマインダーだ。


「でも……急すぎるわ」彼女は蚊の鳴くような声で抗議した。


「急だって?」


僕は小さく笑った。彼女がいつも「安らぐ」と言ってくれるその声は、実際には彼女を震えさせていることを僕は知っている。僕は歩み寄り、後ろから彼女の腰を抱きしめた。「六ヶ月も前から準備していたんだよ、朱里。登山ルートも、それから……君の生命保険もね」


僕は彼女の耳元で囁いた。彼女のシャンプーの香りがする。中学生の頃からずっと同じ、僕が買い与え続けている薔薇の香りだ。他の香りに変えることは許さない。朱里は、昔のままの『僕の朱里』でいなければならないから。


「生命保険……?」朱里の声が上ずった。


「登山の形式的な手続きだよ、お前。十月の大キレットは氷で滑りやすくなるからね」僕は平然と答えた。


僕は腕を解き、準備しておいた大きなザックに手をかけた。中に入っているのはテントだけじゃない。超高強度のプルジックコード、サプリメントのボトルに隠した液体の睡眠薬、そして、彼女が知らないうちに登山靴のインソールに埋め込んだGPSロッカー。


「さあ、行こう。松本行きの特急『あずさ』は一時間後に出発だ」


電車の中で、朱里はずっとスマートフォンを眺めていた。親指が激しく動いている。おそらく『あの男』――彼女の同僚にメッセージを送っているのだろう。僕はすべてを知っている。一年前から彼女のスマホにはスパイウェアを仕込んであるのだから。


『これから江戸さんと山に行ってくる。無事を祈っていて』


僕のタブレットのモニターパネルに、彼女の送信したメッセージが表示される。


窓の外の景色が、コンクリートのビル群から赤く色づき始めた長野の山々へと変わっていく。僕は微笑みながら朱里の手を握った。彼女が顔をしかめるほど、少し強く。


「痛いよ、江戸さん……」


「ああ、ごめん。楽しみすぎてつい力が入っちゃった」僕は彼女の手の甲にキスをした。「上高地の登山口を越えたら、外の世界のことは忘れなさい、朱里。あそこは電波も届かない。聞こえるのは僕の声と、君の鼓動だけだ」


うつむいた顔の裏で、朱里が登山口の案内所で逃げる算段を立てているのは分かっている。彼女はまだ、自分にチャンスがあると思い込んでいる。


滑稽だ。僕がすでに、人で賑わう山小屋の予約をすべてキャンセルし、代わりに一般人の立ち入りが長く禁じられている「未整備ルート」での野営許可にすり替えたことなど、彼女は露ほども知らない。


本当のサプライズは、日が沈んでから始まるんだ。

「最後までお読みいただきありがとうございます。次回の更新は明日、22:00を予定しております。また明日お会いしましょう!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ