第一話:初夏の林檎摘みと、父が遺した甘味の秘密
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POV:琴葉 江戸(11歳)
五月の終わり、木曽の空は抜けるような青さに染まり、おばあちゃんの林檎園は小さな青い実をたくさん実らせていた。
今日は、余分な実を摘み取って一つの実に栄養を集中させる「実すぐり」の手伝いをする日だ。
「江戸、そんなに急がなくていいんだよ。林檎の木はね、人間の足音を聴いて育つんだから」
おばあちゃんは麦わら帽子の下から、優しく目を細めて僕に微笑みかけた。
高枝切狭を持つ僕の小さな手の上に、おばあちゃんの温かい手が重なる。カチン、と心地よい音がして、小さな青い実が一つ、僕の手のひらに落ちてきた。
「ねえ、おばあちゃん。お父さんが昔、諏訪の農園で言っていたんだ。林檎が甘くなるのは、お日様の光をたくさん浴びるからだけじゃないって。でも、その本当の秘密を聞く前に、あの日になっちゃったから……」
僕が下を向くと、おばあちゃんは僕の頭を愛おしそうに撫でてくれた。おばあちゃんの手からは、いつも土と林檎の甘酸っぱい匂いがする。
「ヒロさんはね、本当に心の綺麗な人だった。江戸、お父さんが言いたかった秘密を、おばあちゃんが教えてあげるよ」
おばあちゃんは僕を縁側に座らせ、冷たい麦茶を淹れてくれた。
「林檎の木はね、冬の間に冷たい雪の下で、じっと寒さに耐えるの。凍えそうな寒さを経験した木ほど、春に目覚めたとき、自分の命を全力で守ろうとして、実の中にたくさんの『蜜』を蓄えるんだよ。
人間の心も同じ。悲しみや孤独という冷たい冬を経験した心だけが、本当の『人の痛みの味』を知ることができる。お父さんはね、江戸に、痛みのわかる優しい子になってほしかったんだよ。だから、あの人が育てる林檎は、誰よりも優しくて甘かったの」
おばあちゃんの言葉を聴きながら、あの日、ディズニーランドのハイウェイで失われてしまった父と母の笑顔が、胸の奥で温かい涙となって溢れ出してきた。
僕はもう一人じゃない。父の遺した言葉の種は、おばあちゃんの温もりを通じて、僕の心の中で確かに芽吹いている。
「おばあちゃん、僕、もっと頑張って美味しい林檎を育てるよ。お父さんとお母さんが、空から見てくれているから」
僕が涙を拭って笑顔を見せると、おばあちゃんは僕をそっと抱きしめてくれた。
木曽の夕暮れ、空に輝き始めた夕星が、僕たち二人だけの小さな林檎園を、どこまでも優しく照らし出していた。
「愛とは、輝かしい太陽の下だけでなく、冷たい暗闇の中でこそ、その本当の温もりを証明するもの」
言葉の壁や最愛の家族との別れという、幼くして過酷な「冬」を迎えた江戸の心には、おばあちゃんの言葉という温かい春の光が差し込んでいます。彼がこれから紡ぎ出す未来が、どうか実りあるものになりますように。皆様の温かい評価やご感想、涙の足跡を、なろうの感想欄にて心よりお待ちしております。




