第3話 舞踏会
煌びやかなシャンデリアの光が降り注ぐ王宮の大広間では、今まさにレオンハルト様の帰国を祝う盛大な舞踏会が開かれていた。
聖騎士隊の中で、爵位を持っている者や上級騎士だけが、この手の高貴な催しの警備を担当することになっている。
私も仕立ての良い儀礼用の軍服に身を包み、会場の壁際に立って目を光らせていた。普段の頑丈な甲冑とは違い、体のラインが少し強調されるこの服は、どうにも落ち着かない。
まあ、今までに聖騎士隊の出番が必要になるような緊急事態など、ただの一度も発生したことはないのだけれど。
強いて言えば、緊張しすぎて体調を崩されたご婦人を、医務室まで担架でそっと運んだことがあるくらいだ。
隣に立つ副官のミリアに視線をやると、彼女は直立不動の姿勢のまま、じっと会場の奥を見つめていた。
……いや、見つめているのは主賓の席ではない。来賓たちが退出した後に残るであろう、豪華な料理の数々だ。彼女の目的は完全に「つまみ食い」になっていた。
「隊長、早く終わらないですかねー。あそこのローストビーフ、絶対美味しいですよ」
「弛んでるぞ、ミリア。声が漏れている。普段何もなくても、万が一に備えていつでも動けるようにしておくのだ。そういう細かい心配りの積み重ねが、聖騎士隊の信用を上げるのだからね」
「へいへい、さすが『白銀の聖乙女』様はお堅いことで」
しかもミリアは隙を見ては目の前のぶどうの実をプチっともぎ取って口に放り込んでいる
「ミリア!」
「らいじょうふ。ばれてないばれてない」
私が怒鳴りつけようとしたとき、大広間の扉の前に立つ儀礼官が、高らかに声を張り上げた。
「ミラージュ公爵家ご子息――レオンハルト・フォン・ミラージュ様、ご入場です!」
その瞬間、会場全体が地鳴りのようなざわめきに包まれた。
特に、着飾った貴族のご令嬢や若きご婦人方からは、一斉に熱い吐息が漏れる。
「まあ……なんて素敵な方かしら」
「まるで、美の男神の生まれ変わりのよう……」
特注の金糸が施された最高級の礼服を纏ったレオンハルト様は、国境の街で会ったときよりも一層、圧倒的な気品と王者の風格を放っていた。
あまりの神々しさに、私も完全に言葉を失い、ただ一点を見つめて棒立ちになってしまう。
(な、なんて現実離れした美しさなのかしら……)
隣でミリアがブツブツと何か話しかけてきているようだったが、私の耳にはもう、彼女の声など一言も入ってこなかった。
「たいちょー、聞いてます?」
「あ、あ、ああ! もちろんだ、ちゃんと聞いている!」
慌てて取り繕う私に、ミリアは呆れたような視線を向けながらも、レオンハルト様の容姿を褒めちぎり始めた。だが、最後にこう付け加える。
「でも、ありえないですけど、私はあんなに完璧な方とお付き合いしたら、緊張しすぎて肩が凝っちゃいそうですね。一生気が休まらなそうというか」
それを聞いた私は、「今はあんなに凛々しく見えるけれど、少年みたいに無邪気な一面もあるのよ」と、喉まで出かかった言葉を必死に飲み込んだ。それは、私だけの秘密にしておきたかったから。
――その時だった。
押し寄せる令嬢たちの挨拶を優雅にいなしていたレオンハルト様が、ふっとこちらに視線を向けた。
気のせいではない。遮るもののない大広間で、彼と私の視線がまっすぐに、完全に交わった。
彼は大勢の視線に隠れるようにして、私に向かって、あの時のように悪戯っぽく唇の端を上げたのだ。
「っ……!」
ドキン、と心臓が跳ね上がる。
あまりの恥ずかしさに、私は慌てて視線を逸らし、火が吹きそうなほど熱くなった顔を隠すようにうつむくことしかできなかった。
「隊長、顔が真っ赤ですよ! さては私に黙って、あのスパイスが効いたお肉をつまみ食いしましたね!? あれ、結構辛いから気をつけたほうがいいですよ」
「――ゴホッ、ゴホッ! ……え、ええ、本当ね。油断したわ……」
ミリアのあまりに見当違いな推理に、私は咳き込みながら話を合わせた。どういうわけか、つまみ食いの共犯者に仕立て上げられてしまったけれど、おかげでレオンハルト様を見つめて赤面していたことは誤魔化せたようだ。
胸をなでおろした、その時。
再び、儀礼官が声を張り上げた。
「アッシュフォード公爵家ご息女――ローズマリー・フォン・アッシュフォード様、ご入場です!」
先ほどのレオンハルト様の時とはまた異なる、今度は感嘆と羨望が入り混じった歓声が大広間に湧き上がる。
――『宮廷の薔薇』。
そう称される、我が国最高峰の美貌と気品を兼ね備えた公爵令嬢の登場だった。
ローズマリー様は優雅に周囲へ微笑みを振りまきながら、まっすぐにレオンハルト様のもとへと歩み寄った。
「お帰りなさいませ、レオンハルト様。――私と、一曲踊っていただけませんか?」
鈴を転がすような美しい声での申し込みに、レオンハルト様は極上の笑みを浮かべ、優しく彼女の手を取った。
「喜んで、ローズマリー様」
オーケストラの演奏が始まり、二人の華麗なダンスが大広間の中心で繰り広げられる。
レオンハルト様に憧れの視線を送っていた令嬢たちも、宮廷の薔薇の圧倒的な美しさの前には誰もが敗北を認め、口々にあきらめと称賛の溜め息を漏らし始めた。
「やっぱり、あのお二人は本当にお似合いね……」
「まるで絵画から飛び出してきたみたい……」
隣に立つミリアも、うっとりとした顔で「いやー、最高に絵になりますね。お似合いすぎて、もうぐうの音も出ないですよ」と呟いている。
「……ええ、本当ね」
私は小さく相槌を打った。けれど――。
なぜだろう。二人の完璧なダンスを見つめていると、私の胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように苦しくなっていく。
国境の街プランツで二人きりで市場の串焼きを食べたこと。
さっき、大勢の目を盗んで私にだけ悪戯っぽく笑いかけてくれたこと。
そんな特別な思い出のすべてが、あのきらびやかな輪の中心からは遠く離れた、壁際に立つ軍人の私には、まるで分不相応な夢だったのではないかと思えて仕方がなかった。




