第2話 国境の街プランツでの調査(デート)
お互いに市井の服――目立たない私服に着替えた私たちは、プランツの市場へと繰り出した。
シンプルな仕立ての服を着ていても、レオンハルト様の隠しきれない高貴なオーラにはため息が出るばかりだ。
そんなレオンハルト様は、8年ぶりの母国ということもあってか、少しはしゃいでいるようだった。
市場の屋台で、小さい頃に好きだったという肉の串焼きを二つ買い、そのうちの一つを私に手渡してくれる。
(ミラージュ公爵家の嫡男だし、フォークとナイフしか使ったことがないと思ってたけれど……)
先ほどまでの近寄りがたい完璧な雰囲気はなくなり、今の彼はまるで無邪気な少年のようでもある。
「あ、すまない。男爵令嬢に市場の串焼きをかじらせるなんて、失礼だったね」
「いえ! 実は私、こういうものの方が好きなのです」
私はいつもの癖で、お嬢様らしからぬ様子でガジガジと豪快に肉をかじった。
レオンハルト様は一瞬目を見開いて驚いたようだったが、すぐに楽しそうに破顔した。
「はは、君は本当に面白い人だ」
そう言うと、彼も私に合わせるように、お上品な顔で串焼きをパクリとかじる。
そんな風に楽しく市場を回っていた時のことだ。
レオンハルト様はふと表情を引き締めると、街の外れにあるスラム街の方へと歩を進め始めた。
「お待ちください。そちらはレオンハルト様のような高貴な御方が足を踏み入れるべき場所ではありません。治安も悪いですし、危険です」
私は慌てて引き留めようとしたが、彼は足を止めなかった。
「まさに、だからこそだよ、アリシア。我々貴族が、上に立つ者が見ようとしない場所にこそ、隠された真実があるものさ」
すたすたと躊躇なく裏路地に入っていくレオンハルト様。
慌てて背後を追いかける。
思った通り、そこには薄汚れた物乞いたちが溢れていた。
だが、様子がおかしい。
物乞いというよりは、皆が一様に、重い病人のように地面にうずくまったり横たわったりしているのだ。
「飢えでしょうか……。かわいそうに……」
聖騎士として胸を痛め、私がぽつりと呟くと、隣のレオンハルト様が静かな声で言った。
「アリシア、彼らの着ている服をよく見てごらん。ボロボロになってはいるけれど、材質的にはそこそこ裕福な平民が着るような衣服だ。ただの飢えじゃない」
「……? それが、どうかしたのですか」
今思えば、ミラージュ公爵家の嫡男に対してかなり失礼で無知な物言いだったと思う。
けれどレオンハルト様はそれを咎めることもなく、鋭い眼差しを路地裏の奥へと向けた。
「これは、病気でも飢えでもない。薬によるものだ」
「え……?」
「ここにいる者たちのほとんどは――違法な麻薬の中毒患者だよ」
「っ……!?」
レオンハルト様の口から告げられた衝撃の事実に、私は息を呑むことしかできなかった。
「アリシア、聖騎士隊の中で鼻の利く者に、この街の管理官を調べさせろ。とくに、裏での金の流れだ」
先ほどまで無邪気に串焼きを食べていたときとは、まるで別人のような、冷徹で鋭い眼光。
その圧倒的な覇気に、私は思わず背筋を正した。
「それから、重症の患者を優先して、この街の教会が運営する診療所に連れていってやってほしい。人手と金が必要になるだろうが、費用についてはすべてミラージュ公爵家に請求してもらって構わないからね」
「は。……しかし、違法麻薬の首謀者を調査されるのは理解できますが、恐れながら、貴族が平民の患者にそこまでするなど、私は今まで聞いたことがありません」
私が戸惑いながらそう告げると、レオンハルト様は当然のことのように、優しく微笑んだ。
「基本的なことだよ、アリシア。貴族も平民も、この国を支える大切な財産だろう?」
「っ……」
その言葉に、私は深く胸を打たれた。
民を慈しみ、上に立つ者としての責任を全うしようとする、本物の高貴さ。
(ああ、このお方は、なんて優しい心の持ち主なのだろう……)
私たちはプランツでの任務を終え、急ぎ王都への帰路についた。
護衛任務の最中である今、この場所ですぐに動くことはできない。王都に戻り次第、すぐに違法麻薬の調査本部を立ち上げ、支援部隊を編成しなくては。
馬車に揺られる道中、私の脳裏には不意にマークの顔が浮かんでいた。
浮かんだのは、私に優しい笑顔で「おかえり」と言ってくれる彼ではない。
あの時、怯える侍女に対して冷酷に放った言葉だ。
『お前のような平民が何年働いても追いつかない金額だぞ!』
レオンハルト様と同じ貴族の、しかも子爵家の次男にすぎない男が、平民を虫ケラのように見下して怒り狂っていた姿。
対して、国最高峰の公爵家の嫡男でありながら、平民のために迷わず私財を投げ打つレオンハルト様。
貴族というのは度合いの差こそあれ、みんな一様にマークのように平民を見下しているものだと思っていたけれど……。
(なんだか、よくわからなくなってきたわ……)
「現実の婚約関係なんてこんなもの」と自分に言い聞かせ、納得させていたはずの私の心に、小さな、けれど確かな違和感のヒビが入っていくのを、私はもう止められなかった。
◇
王都に到着し、レオンハルト様を乗せた馬車を無事にミラージュ公爵家まで送り届ける。
馬車から降りたレオンハルト様は、私に向かって深く感謝の言葉を述べてくれた。
そして、ふと思いついたように言う。
「そういえば、私はやらなくていいと言っていたのだが……私が戻ったことを歓迎する舞踏会が、近々王宮で行われるらしいんだ。アリシアも出席してくれると嬉しいのだが」
「えっ!?」
突然の招待に、私は完全に右往左往してあたふたと言葉を返した。
「き、基本的に聖騎士隊の隊員は、舞踏会などでは会場の警備任務につきますので! 来賓として参加することはありません!」
「そうか……それは残念だな。でも、警備としてでも会場に君がいてくれるなら、私は嬉しいかな」
「っ……!?」
さらりと、とんでもない破壊力の言葉が飛んできた。
あまりの恥ずかしさに顔が火を噴きそうだ。戦場で魔獣の群れに囲まれた時よりも心臓が激しく脈打っている。
「と、とにかく、これにて護衛任務は一件落着です! 失礼します!」
私は言葉遣いすらボロボロになりながら、文字通り逃げるようにその場を走り去った。
恥ずかしさで耳まで真っ赤に染まった私を、レオンハルト様がどこまでも愛おしそうな、優しい笑顔で見送ってくれていることにも気づかずに。




