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4話 再び内偵調査(デート)の誘い

「隊長! マーク様がこちらに来ますよ!」

ミリアに声をかけられ、私はハッと我に返った。


「やあ、アリシア。お勤めご苦労さま」


「あ……マーク様」


一瞬、誰に話しかけられたのか分からなかった。大広間の喧騒にかき消されて、彼の声がよく聞こえなかったのだ。いや、正確に言うならば――今の私にとって、マークの声は、その他大勢の『周囲の喧騒』と何ら変わらない退屈な音として脳が処理してしまっていたからだ。


「アリシア、よく似合っているよ、その軍服。どうだい、このあと僕と一曲ダンスでも」

どこか品定めするような目つきでマークが言う。


「マーク様、私たちは任務中です。ダンスなどできるはずがありません」


「はは、そうだったね。相変わらずお堅い」

マークは悪びれる様子もなく笑うと、フロアの中心で優雅にステップを踏んでいるレオンハルト様とローズマリー様へと視線を移した。


「しかし、ローズマリー様は本当にお美しいな。こう言ってはなんだが、僕たちのような平凡な貴族にとっては、絶対に手が届かない高嶺の花だよ」


普段の私なら、聞き流していたはずの言葉だった。

貴族の現実的な婚姻関係なんてそんなものだと、自分を納得させていたはずだった。

なのに、今の私の胸の奥に燻る感情は、その言葉にどうしても噛みついてしまった。


「――では、私は簡単に手に入る、その辺の草花ということでしょうか?」


「え? アリシア?」


自分の口から飛び出したあまりに心の狭い八つ当たりに、私自身が一番驚いた。

「……見回りがありますので、失礼します」


凄まじい自己嫌悪が押し寄せたが、もうこれ以上、マークの前にいることは耐えられなかった。私は半ば逃げるようにその場から足早に離れる。


「たいちょー!?」

背後でミリアの唖然とした声が聞こえる。マークが困惑した様子で彼女に尋ねていた。


「ミリア、アリシアはいったいどうしたんだい?」


「あー、さっきスパイスが効いた辛いもの食べて、お腹が苦しいみたいです。はい」



大広間を抜け出し、私は一人、静かなバルコニーで夜風に当たっていた。

冷たい空気が、火照った顔と自己嫌悪でぐちゃぐちゃになった頭を少しだけ冷ましてくれる。


そんな私の背後から、突如として厳しい叱責の声が飛んできた。

「聖騎士隊隊長アリシア・ウィンザー! 警備任務はどうした!」


「は、はいっ! これは、その、不審な人影を目撃いたしまして――!」


心臓が飛び出るかと思うほど驚き、慌てて直立不動の姿勢で振り返る。

しかし、そこに立っていたのは激怒した上司ではなく――フロアの中心で優雅に踊っていたはずの、レオンハルト様だった。彼は私のみっともない慌てぶりに、けらけらと楽しそうに笑っている。


「なるほど。不審な人影か。で、その人影はどこへ行ったんだ?」


「うっ……」


からかわれているのは明白だった。

見れば、レオンハルト様の手にはなぜか、みずみずしいフルーツが盛られた小さなバスケットが握られている。

彼はそこから真っ赤なリンゴを一つ取り出すと、「ほら」と私の目の前に差し出してきた。


「……恐れながら、任務中ですので」


「任務? 確かに王宮に不審者とは捨て置けないな、では、警護にきている聖騎士隊を集めて、周囲を捜索させないとだな」


警備任務を放棄して黄昏れていたのはバレバレだ。私はこれ以上の言い訳を諦めた。


「――不審者は嘘です。ご想像の通り、少し休憩してました」


差し出されたリンゴをひったくるように受け取って、ガブッと豪快にかじる。

口いっぱいに広がる甘酸っぱい果汁が、さっきまでの胸のモヤモヤを少しだけ洗い流してくれるようだった。


「ふふ、やっぱり君は最高だ。本当は、お腹が苦しいのかと心配したんだけどね」


(あ、ミリアのあの適当な言い訳、レオンハルト様にまで聞こえてたのね……!)


恥ずかしさでまた顔が熱くなるのを誤魔化すように、私は話題を変えた。

「そんなことより、レオンハルト様。会場から離れてしまって大丈夫なのですか? 今回の舞踏会の主役は貴方のはずですが」


「ああ。挨拶回りはもう済ませたし、いまはローズマリーが主役になって貴族子弟たちは順番待ちさ。……それよりもアリシア、君には行きつけの『街の酒場』があるそうじゃないか」


「ぶっ――!? あ、あれはその、あれです! 情報収集です! 市民の声の中にこそ『隠された真実』があるものなのです!」


「それ、私がこの前プランツのスラム街に入るときに君に言ったセリフじゃないか」


「あ! そうです。あの時のレオンハルト様の言葉に深く感銘を受けた次第です!はい」


「それで『行きつけ』ね。まあいい。私にも、その『情報収集』とやらに付き合わせてくれ」


「は……はあ!? レオンハルト様ご自身がですか? さすがにお父上のミラージュ公爵様がお許しにならないのでは?」


「大丈夫さ。プランツで見つけた違法麻薬の流通ルートが、王都の下町にも流れている可能性がある……という名目で、私が軍務大臣に『内偵調査』の協力を直談判するからね。地元の酒場に詳しい優秀な案内役として、君の身柄を正式に借り受けるよ」


「帰国してのんびり生活でもしてると思ったかい? これでも軍務省所属になったんだよ。君は軍人だが、私は役人としてね」


「っ……!?」


完璧な大義名分だった。国を揺るがしかねない麻薬の調査と言われれば、上層部も首を縦に振るしかない。

建前は国のための極秘任務。けれど、彼が浮かべた楽しげな笑みは、どう見ても私を連れ出す口実ができて喜んでいるようにしか見えなかった。


どこか遠くから、主役を探す声が聞こえてくる。

「レオンハルト様ー? どちらにいらっしゃいますかー?」


「じゃあ、そういうことで。今度は公務だから、断れないね?」


彼はひらひらと手を振ると、バルコニーから流れるように建物の中へと消えていった。


まさか同じ軍務省所属だったなんて。しかし、同じ年齢くらいのマークなんて、毎日友人たちと遊興に耽っているばかりなのに、随分と違うものね。

――まあ、マークもたまにお父上の手伝いはしているみたいだけれど。

心の中で一応マークをフォローしてみるものの、その差は歴然だった。


「というか、二人きりで街の酒場ですってぇーー!?」


とんでもないことになってしまったと頭を抱えながら、私もこれ以上のサボりはまずいと会場へと戻る。


壁際に戻ると、ミリアがニヤニヤしながら声をかけてきた。

「隊長! すっきりしたみたいでよかったです。やはり、つまみ食いするなら小物をお勧めしますよ」


「……そういうわけではないのだけれどね」


ため息交じりに応じながら、ふとフロアに目を向けると、そこにはどこかの令嬢と楽しそうにダンスを踊っているマークの姿があった。


「隊長が離席してるあいだに、許嫁さん取られちゃいましたよ。しししっ」

ミリアが意地の悪い笑い声をあげてからかってくる。


けれど、そんなマークの姿を見ても、今の私の胸には驚くほど何の感情も湧き上がってこなかった。ただ、頭の中は、去り際に向けられたレオンハルト様のあの悪戯っぽい笑顔のことでいっぱいだった。


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