81.もう一人いた?②
ヴァレンタイン邸に帰宅し、自室でアイスローズは一人呟いた。
「……シライシですって?」
ご存じエレーナのフルネームは、エレーナ・シライシだ。
これはどういうことか。
かつて、モルガナイト王国を挟んだ先にベリル帝国という国があった。しかし、今から一世紀半前、ベリル帝国は革命により崩壊、現在三国に分かれている。
革命の直前、ベリル帝国の皇子とエレミア王国の王女フロールには縁談があった。しかし、フロール王女が「平民」に当てて書いたラブレターが「醜聞」となり破談、彼女はエレミア王国辺境の修道院へ送られたと聞く。
この修道院送りが、結果的にフロールの命を救ったことになるが、逆を言えば、もしフロール王女との縁談が「成立していれば」、エレミア王国がベリル帝国に介入し革命は起こらなかったのでは? ともされている。
「まさに『歴史を変えた禁断の恋』、ね。でも、さっきのサラちゃんの話を信じるならば、そんな『恋』は事実でないということに……」
アイスローズはゴクリと喉を鳴らす。
しかも、それにエレーナの先祖が関係している? シライシという姓は、この国で片手に入るほどの珍しい名前だ。昔々に、東方にある島国から伝わったと聞いている。
(エレーナなら何か知っている? あるいはエドガーなら。実際に公表されていない国史があるとか。だとしたらエドガーとはいえ、そう簡単に口外できないことだけど)
アイスローズの降霊術(仮)を信じてくれたエドガーなら、少なくとも話を聞いてはくれるだろう。それにこの件は、「王太子探偵という戯れ」のストーリーと関係ない話だから、エドガーに心置きなく相談できるはず。
(……とはいえ、秘密にと言われている。まずは、出来る範囲でフロール王女について調べてみる? サラちゃんが話してくれたのは、エドガーじゃなくて「私」だし。歴史と言えばーー)
✳︎✳︎✳︎
「ふーむ、フロール王女に関することか。知っての通り、あの時代はベリル帝国の崩壊もあるからね。研究テーマとしては人気があって、様々な論文が書かれているよ」
翌日昼、生徒会室を訪ねたアイスローズにレイン・ルーキャッスルは言った。明らかに、以前会った時よりも肌がツヤツヤしている。若干ふくよかにもなったような。
近々、【王城学園謎解き事件】で再会したジェーン・ハウディと結婚式を挙げるそうで、纏う空気が幸せそうだ。既に入籍済みで、あのジェーンの家で同居していると教えてくれた。
アイスローズは自分が知っている歴史知識以外に、ベリル帝国の歴史とフロール王女に関する情報がないか、歴史教師である彼をあたったのだ。
生徒会室には今誰もいない。
「ベリル帝国との縁組が破談になった醜聞について、ラブレターのお相手の名前は残っていないんだよ。どうやら平民、ということだけが資料にあるくらいで。研究者たちは勝手に、馬番とか庭師とか言っているけどね」
レインは説明する。
「そうですか……」
「でも、もしアイスローズ嬢の仮説通りなら、『そのラブレターは残っている』かも知れないよ」
「え?」
顔を上げるアイスローズ。
「アイスローズ嬢の話は、フロール王女のお相手のルーツが、東方にある可能性は? ということでしょう?」
サラとの約束もあり、アイスローズは「サナリ・シライシ」の名前は伏せている。シライシのルーツに関係あるかだけ、かなりボカしてレインに尋ねているのだ。
「東方の国には、特殊な紙があると聞いている。それこそ大切な手紙なんかに使うそうだよ」
「特殊な紙、ですか」
「エレミア王国をはじめこの辺りの国で使われている紙は、インクが乗りやすいように化学薬品が入っているんだ。だからどうしても朽ちやすい。でも、その東方の全てが自然素材で作られた紙は、とても腐りにくい。実際に、300年以上前に書かれた巻物が見つかったことがあるよ。もし、その『お相手』がフロール王女にその紙を渡していたら、彼女が大切なラブレターに使った可能性はある」
「つまり、燃えたりなんかしてなければ、そのまま残って……!?」
アイスローズは目を見張る。
レインはニコリと笑った。
「これは僕の願望が入った、飛躍中の飛躍さ。まあ、どうして思いついたか分からないけど、そのアイスローズ嬢の考えが正しければ、歴史的大発見になるね」
「……!」
「いいねえ。これだから歴史研究は止められない。想像しただけでもゾクゾクするよ」
レインはいかにも興奮したように頬を染める。それから、山のような資料をアイスローズに貸してくれた。
✳︎✳︎✳︎
アイスローズは資料を抱えながら、外廊下を歩いていた。ヴァレンタイン家の馬車に積むためだ。
前方の視界が塞がるほどの本を運んでいれば、正面から風がふわりと吹いて一番上の紙が飛びそうになり。
ーーパンッ。
前から来た男子生徒が、紙を本の上に押さえ付けてくれた。この長身のシルエットは。
「! イーサン!」
「お久しぶりです。そんなに一人で抱えて、何しているんですか?」
「と、ジョシュ様!」
イーサンの後ろから、ひょっこりとジョシュが現れた。キリッと淡麗なイーサンに柔和なジョシュ。珍しい組み合わせだ。
二人はアイスローズの本の山を見ると、運ぶのを手伝ってくれた。かなり腕の筋肉にきていたから、正直とても助かった。
積み込み中、ふいにジョシュの手袋と袖の間が目に入る。
「ジョシュ様、その傷は……?」
ジョシュの腕には小さく腫れたような、おそらく新しい火傷があったから。
ジョシュは素早く、手を隠した。それから話題を変える。
「失礼いたしました、アイスローズ嬢の心配には及びませんよ。そんなことより、今日はエドガー殿下の休学届けを出しに来たんです」
「え、休学……ですか?」
アイスローズは目を見開く。
休学届とは、王城学園の規則では確か、30日以上連続して欠席する時に提出するものだ。
「でも、安心してください。殿下からの伝言です。それをアイスローズ嬢にお伝えしたくて。公務がしばらく続いておりますが、建国記念の学園祭までには片づけると、エドガー殿下は息巻いてましたよ」
ジョシュは請け合うように言った。
外廊下からも見える、建国250年記念の時計塔は完成間近だ。これに関するセレモニー準備の公務などもあるのだろう。
アイスローズは幾分かの不安がおさまったことに感謝しつつ、丁寧に言った。
「それは大変ですね……難しいかもしれませんが、くれぐれもご無理されないようお伝えください」
「はい、確かに。その言葉だけでエドガー殿下は百人力ですよ」
「勿論、ジョシュ様もですよ」
アイスローズの言葉にジョシュは少し驚いたかのように目をぱちぱちした。そういうジョシュもクマが酷いのだ。
ジョシュは頷きながら、いつも通りに軽く笑いながら去って行った。しかし、イーサンにだけは……含みある視線を残して。




