80.もう一人いた?
連日、アイスローズは放課後にもパン屋「太陽と麦のかけら」に通っていた。エレーナに教えてもらって以来、すっかりお気に入りになったのだ。アップルデニッシュ、くるみパン、塩味発酵のパンをローテーションし、勉強中の軽食にしている。
本来ならアイスローズは、夜に勉強している場合ではなく、夜会や舞踏会に参加するべき時期なのだ。
しかし、先日エドガーのファーストダンスの相手を務め、意図せずセンセーショナルなデビューをしてしまったアイスローズは、アンナマリアの提案により、ほとぼりが冷めるまでしばらく不参加で良いということになった。
アンナマリアの話では、エドガーも夜会等に姿を見せていないらしい。
未だ、エドガーは王城学園を休んでいる。入学以来、公務のたび欠席することはあったが、ここまで連続したことはなかった。
(……何かあったのかしら)
新聞に目新しい記事はない。
強いて言えば、王都の空き家が火事になったことが載っていた。学食が休みになった件といい、乾燥する時期だからなのか、続いている。
穏やかじゃない気持ちが湧き上がるが、エドガーが巻き込まれるような事件については、「王太子探偵という戯れ」の記憶があるアイスローズにわかるはず。今はなんの予感もしていない。
いつからだったか、エドガーを漫画のキャラクターではなく、現実の人間として見てきたつもりだった。でも、不十分だった。
エレーナを「ヒロイン」の型にはめて見ていたことに気づいたのと同時に、エドガーに対しても色眼鏡をかけていた自分に気づいた。
彼の言葉一つひとつには、どんな思いがあったのか。今までの彼から、アイスローズが見逃していたものはあったのか。
(エドガーに確かめたい)
社交界デビューの夜、エドガーのセリフには言ったまま以上の意味はなかったのかもしれない。続く言葉は、アイスローズの想像つかないものかもしれない。
(それでも、頭の中の漫画のエドガーに問いかけるんじゃなくて、目の前のエドガーに確かめたい)
ーー例え、この期待してしまう気持ちが報われなかったとしても。
「タンパク質も大切だよ、お嬢さん」
顔を上げれば、女将さんが焼きたてパンを並べている。「太陽と麦のかけら」の女将さんとはすっかり顔見知りになり、適宜会話する仲になった。女将さんは最近「女性のタンパク質不足」が気になっているとのことで、今日はバケットに薄切りハムとチーズをサンドしたものをもらうことにした。
店から出ると、珍しくサラがしょんぼりとドア側の縁石に腰掛けていた。
「サラちゃん……? どうかしたの?」
サラは顔を上げるとアイスローズに事情を説明してくれた。
「お母さんたちがしょうひんの入れ替えを考えているの。サラは塩味発酵のパンが一番おいしいと思っているのに、あんまり売れないからもう作らないようにしようかって」
「なるほど」
そういえば、初めて会った時もサラは塩味発酵のパンについて熱弁していた。
クロワッサン色の頭は項垂れて、いかにも悲しそうだ。
「それは困ったわね……みんながサラちゃんみたいに、あの美味しさに気付いてくれれば良いのだけど」
いかんせん、塩味発酵のパンは見た目が地味なのだ。アイスローズもサラからの押しがなかったら手に取らなかったかもしれない。しかし、一度食べれば虜になるという不思議な魅力を持っていた。
(うーん、商品の売り出しといえば………)
サラのつむじを見ながら、アイスローズは考える。サラの悲しんでいる顔は見たくないし、塩味発酵パンが無くなって困るのはアイスローズも同じだ。
しばしの後、アイスローズは閃いた。
「そうだわ! サラちゃん、よければ一緒にやってみたいことがあるの!」
✳︎✳︎✳︎
一時間後、公園のテーブルベンチに座るサラの手には、POP広告が握られていた。
「すごい……」
サラは横にいるアイスローズに、「こんなに綺麗なものを作れるなんて、魔法みたい」とまで言ってくれた。
POP広告とは、小さな紙に商品名や価格、宣言文句を書いて商品棚に添えるものだ。「お客様の感想」「お客様から多い質問」を書いているものもあるが、今回はサラの塩味発酵パン・イチ押しポイント&アイスローズの食べた感想からキャッチコピーを二人で考えた。
丁度、美術部で使っていたカラーペーパーの端切れがあったから、サラの似顔絵を作って飾り、パンを握ったイラストの手が立体的になるように工夫した。
我ながらプロ級の出来栄えだ。パンのかごの脇にでも飾って貰えれば、今日からでも使えるはず。
「お姫さま、ほんとうにありがとう! これできっとお母さんも考え直してくれる!」
サラはPOP広告とアイスローズを見比べては、何度もお礼を言ってくれた。
夢中になっていたが、気付けばもう影が長い。いい時間だ。サラを家に帰さなければ。
アイスローズが別れの挨拶をしようと立ち上がった時。
サラはそっとアイスローズの制服を掴み、仕草でアイスローズの顔を自分のところまで下げさせた。そして、内緒話をするように囁いた。
「おかえしにね、サラの秘密を教えてあげる。お母さんにも誰にも話したことがないんだ」
「あら、いいの? どんなお話かしら」
アイスローズは微笑ましくなって、口元を緩める。
(もしかして、好きな人の話? ウォルトはサラちゃんが好きなのよね)
ところが、サラは予想だにしないことを言った。
「お姫さまは、生まれるまえの思い出ってある?」
「ーーえ?」
✳︎✳︎✳︎
目を見開くアイスローズ。サラはアイスローズの驚いた顔を、満足げに見ながら胸をはった。
「もっと小さい時にね、サラはお店の階段から転がり落ちたの。そのとき、サラのじゃない思い出が、うわっと頭に入ってきたの」
「そ、それってまさか漫画のーー!?」
前のめりでサラに掴みかかる勢いのアイスローズ。
(サラが前世で読んでいた、「王太子探偵という戯れ」の記憶!?)
「ま、まん……が? それなあに?」
「はぇ?」
自分でもびっくりするほど、変な声が出た。
それから、5歳児相手に掴みかかりそうになるなんて。慌てて身体を離す。
「サラが知っている思い出も、お姫さまのなのよ!」
サラはぴょんぴょんと飛び跳ねた。アイスローズは目が点になる。
(あ、なんだ、そういう設定のお遊びということ? 一瞬、真剣に捉えてしまった。自分が転生者だからって)
「サラはね、フロール王女だったの! まだ、ベリル帝国があったころの、エレミアおうこくの王女さま、ね」
「まあ、ステキね。私もフロール王女に会ってみたかったわ」
そういうことならば、と話を合わせるアイスローズ。ちなみに「フロール王女」は実在した人物だ。「ベリル帝国」なんて難しい単語をよく知っているなと思いつつ、大人の話でも聞いたのだろう。
世界史の知識を呼び起こす。
「ええと、フロール王女は確か、ベリル帝国が革命により崩壊した時代の、エレミア王国の王女様よね? ベリル帝国にお嫁に行く予定だった」
「そう、革命のちょくぜんに婚約破棄され、修道院へ送られた。『醜聞』が原因で。結果的に、ベリル帝国へ嫁がなくて済んだから、前世のサラ……フロール王女は命拾いした」
途端に饒舌になるサラに、アイスローズは多少目を見開く。なんだか、5歳児の知識を超えているような。
「でもね、本当はフロール王女は書いていないんだよ?」
「? 何を?」
「ーーフロール王女が婚約破棄された『醜聞』のもとになった、平民へのラブレター」
「!」
フロール王女には元々、当時のベリル帝国皇子との縁談があった。しかし、フロール王女が若気の至りで平民宛に書いたとされる「ラブレター」が醜聞となり、ベリル帝国側から婚約破棄されたと聞いている。
「フロール王女がラブレターを書いたとされる相手の名前も覚えているよ。『サナリ・シライシ』」
「ーーシライシですって?」
アイスローズは聞き返す。
(いや、というかその前に、こんなことあり得る?)
「王太子探偵という戯れ」は、魔法は勿論、不思議要素もない漫画だ。サラが前世の記憶持ちだなんてエピソードは、ストーリーになかった。大体、サラは漫画での主要キャラクターでは無いはずだ。
(でも、その世界に「私」という前世を思い出した異端の存在がいるわけで)
漫画の登場人物が、漫画内で自分について全てを語っているわけではないだろう。ましてや、主要キャラクター以外なんて。
(ということは、本当に……?)
「サラの話、信じられない?」
はっ、と我に帰るアイスローズ。サラは一心にアイスローズを見つめてくる。
「いえ、まあ、うん、ん?」
なんとも答えられないアイスローズ。
「なんだかね、お姫さまならわかってくれる気がして。サラじゃなくてフロール王女のときのサラなら、そう言ってる気がした」
そこまでサラが言ったところ、女将さんが店の入り口からサラを呼んでいる。
返事をしたサラは、アイスローズにさよならの挨拶をして、駆けて行った。「絶対に、お姫さまとサラの二人だけの秘密だよ」と言い残して。




