79.ヒロイン・エレーナ②
その日、授業を終えたアイスローズとエレーナが向かったのは王城学園から乗合馬車で行ける海岸沿いだった。
埋め立てられた海沿いは、まっすぐに白い道が伸びていて、一定感覚にカラフルな木製ベンチが並べられていた。座れば、港を低い位置から見渡すことができる。
波の音と、空からは海猫の鳴き声が聞こえてくる。
エレーナが誘ってくれたのは、フィッシュ&チップスの屋台だった。カラリと揚がった薄い衣付きの白身魚に、フライドポテトが添えられている。紙のお皿にのっているから手が熱いし、一緒についてきたフォークは木のヘラのような簡易な形で、若干食べにくい。でも、塩とビネガーを好きなだけ振りかけ、熱々を口に入れればいくらでも食べられそうだ。
「なんか申し訳ありません、食べ物ばっかりご紹介することに。私自身が食べることが好きなので……」
エレーナは頭を下げる。
「ううん。ありがとう、エレーナさん。来たことがないお店で、食べたことのないものばかりだから楽しいわ」
アイスローズは思ったままを言った。比較的自由に出来ている令嬢とはいえ、アイスローズは街中の屋台には明るくないのだ。
(それにしても、エレーナからデートに誘われるなんて)
とても嬉しかったけど、彼女の心内が気になる。やはり、エドガーとの噂話がエレーナを不安にさせてしまった?
ーーだとしたら、このタイミングでなんとしても否定しなければ。
通りかかる人々はエレーナをチラチラ見ていた。中には、通り過ぎたのに首を回してまで二度見する人まで。
制服でも、黙っていても、エレーナはヒロインオーラがダダ漏れしているのだ。
あらかた食べた頃、エレーナは口を開いた。
「あの、失礼になったり、違っていたら気にしないで欲しいのですが……」
「?」
先に口火を切られたアイスローズは、フォークを膝の上の皿に置く。エレーナはそれを目で追い、再びアイスローズの顔に視線を戻した。
「アイスローズ様は、私がエドガー殿下を好きだと思っているのではないですか?」
一瞬、聞き返そうかと思った。
あまりに驚きすぎたから。
「さっき、サラちゃんとの会話でそうなんじゃないかって。あの子たちはアイスローズ様とエドガー殿下がご結婚されると思っていて、それを……アイスローズ様が私に一生懸命否定されて」
エレーナはアメジストの瞳を逸らさない。
「夏にトレゲニス邸へみんなで行った時にも同じようなことがありました。ユージーンが『アイスローズ様とエドガー殿下が婚約するかも』というようなことを言って。その時も、アイスローズ様は私の目を見ながら必死に否定されていました。だから、そうなのではないかって」
アイスローズは何も言えなかったが、その反応を見て、エレーナはやっぱり! というように眉に力を入れた。
「はっきり言います。私はエドガー殿下を好きではありません」
予想だにしないエレーナのセリフに、アイスローズは反応出来なかった。
(今、なんて?)
「って、なんか言い方に語弊がありますね! いつか言ったように、エドガー殿下は人として素晴らしい方だと思っています。そういう意味では、勿論すごく大好きですよ?」
エレーナは慌てて修正した。
「でもそれは、純粋な尊敬であって、恋愛感情じゃない。アイスローズ様はお優しい方ですから、ずっと私に気を使っているんじゃないかと思っていました。でも、」
「我儘かもしれませんが……仮に、私がエドガー殿下を好きだったとしてもーーアイスローズ様に気を使われる関係にはなりたくない。だって、それってなんだか」
「さびしい」
アイスローズは目を見開いた。
エレーナの黒髪がサラサラと風に揺れる。
「アイスローズ様はいつも……買いかぶりかも知れませんが、私を『とても良いもの』のように扱ってくださいますよね」
「! それは……」
エレーナは少し困ったように笑った。
「もしかして私は、アイスローズ様に憧れすぎて、よく作った自分しか見せていなかったのかもしれません。私なんて本当、大したことないですよ」
「最近このフィッシュ&チップスの屋台の他には、鶏肉とニンニクを交互に刺した串焼きにハマってます。ニンニクは騎士団訓練場帰りの疲労回復になりますが、臭くなります。でも人に会わないならば、全く気にしません。休日は、お笑い芸人『かまえかた』の舞台に行ったりして、大口で笑っています」
「……『かまえかた』?」
「色んな剣の『構え方』で漫才するコンビ芸人です」
思い返してみれば、アイスローズはずっとエレーナのことを「王太子少年の事件日和」「王太子探偵という戯れ」における「ヒロイン」のエレーナ・シライシとして見ていた。だって、いつだって漫画の表紙で二人寄り添っていたし、アニメのエンディングだって想い合う二人のPVみたいだった。
令嬢にはドレス、プリンにはカラメル、探偵漫画には幼馴染ヒロイン、というくらいには、エドガーの隣にいるエレーナを見続けてきたのだから。
エレーナのことを考える時は、彼女の漫画のキャラクターや立ち位置がいつもアイスローズの頭にあって。
(目の前の彼女に……本当に向き合っていたことは一度もなかった?)
驚愕の事実にアイスローズは固まる。
こうやって自虐ネタを話してくるのも、エレーナの優しさでしかない。
(エレーナにそこまでさせて、私は今まで彼女の何を見てきた?)
エレーナは続けた。
「あと、実は……イーサン様にも嫉妬していました」
「ん? なんでイーサン?」
アイスローズは予期しないワードに首を傾げる。
「アイスローズ様はイーサン様を『イーサン』と名前で呼び捨てにされていますよね。私の方が、昔からアイスローズ様といるのに」
ここだけの話ですが、エドガー殿下と一緒に愚痴っていたくらいですよ、とエレーナは可愛らしく、しかし拗ねたようにはにかんだ。
(エレーナが嫉妬していてくれた? ヒーローを取り合ってじゃなくて……私に?)
「え、えーと、エレーナ?」
「はいっ!」
とりあえずリクエストに応えて(?)呼び捨てしたところ、エレーナはキラキラの笑顔を返してくれた。こんなことで、そんなに喜んでくれるとは。
わかっていたつもりだった。
この世界が「王太子探偵という戯れ」の世界であっても、登場キャラクターたちは確かに生きていて、それぞれの意志があり人生があって。
冷んやりとした夕方の風と潮の香りが、この世界は確かに現実なのだと教えてくれる。
人の運命は些細なことで左右される。それは知っている。
どうして目を向けてこなかったのだろう。
漫画のストーリーが必然だとしても、人の『感情』へは何ものだって干渉出来ない。人の心や気持ちが、現実世界でどう転んでいてもーー……少しも、おかしくなかったのに。
(私は、自分で勝手に視野を狭めて、自分基準な見方のみをしていて…… ちゃんと確かめようともしてこなかった……!?)
アイスローズは座ったまま、胸を掴むように身体を前に倒す。
(あれ、だとしたらエドガーも……)
「アイスローズ様?」
エレーナが心配そうに覗き込む。
「ありがとう、エレーナ」
「?」
アイスローズは直ぐに、いたずらっ子を彷彿とさせる笑みを浮かべた。エドガーについて考えるのはまた後でだ。そして、指差す。
「ねえ、さっきエレーナが言っていたニンニクの串焼きの屋台って、あそこかしら?」
「あ、はい。そうですが」
「せっかくだから……一本いっとく?」
くいっ、と口に入れる仕草をするアイスローズ。エレーナは漫画でも見たことがないくらい嬉しそうに、破顔した。




