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家庭教師

 目が覚めて2ヶ月。アドリアーナの体力は、医師も驚くほど順調に回復した。リハビリ方法を聞いた時に「一を聞いて十を知る」という言葉を思い出し、医者に勧められたことの10倍を実行していたからだ。


 朝は4時に起床、庭でダッシュとスクワット、屋敷内の階段を上り下りする。ようやく木刀を持てる筋力がついたので、素振り300本も追加した。やりすぎと止められないよう家族や使用人が起きる前にやらねばならない。


 その後、朝食までは筋肉トレーニングの本を読む。基礎はすでに理解したので、直近では「辺境騎士の教える、10日で筋肉倍増計画」という実用本を読み、自分用のメニューを作っている。さらに日中は、足首に錘をつけて自然と筋力がつくようにしている。そして夜9時には寝る。7時間は睡眠を確保したいからだ。


 今日からは家庭教師の授業が始まる。学校が本格的に始まるのは1ヶ月後だが、2年間ブランクがあるため少しでも他の学生に追いつけるよう個人講義をしてもらうことになった。さらに学校が始まってからは授業後に補習をしてもらう。


 本来、ロッシーニ家は研究者家系なので周りに家庭教師ができる大人はたくさんいる。だが、今回はもう一人受講生がいるということで場所と人選に時間がかかった。


 それにしても、多くの貴族が避暑地へ出かける真夏に家庭教師の授業を受けるとは、もう一人の受講生も相当な勉強好きか、逆に苦手な子のどちらかだろう。アドリアーナは比較的物覚えが良い方と自認しているので、後者であれば何か助けてあげたい。

 

 久々の勉強、久々の外出、久々の家族以外の人との接触ということで、少し早めに、授業が開かれる王立図書館へ行くことにした。案内された教室のドアを開けると先客がいる。


 若い男女が向き合っている。令嬢は彼の耳元に囁いており、青年も微笑している。ダンスの練習だろうか。まだ時間もあるのでドアをそっと閉じて教室の外で待つことにした。


 すると令嬢は赤ら顔で慌てて出てきた。去り際にアドリアーナと目があったがそのまま逃げるように去ってしまった。ダンスの邪魔をしてしまって申し訳ない気分になったが、男性の方は出てこないので気にせず教室へ入ることにした。


 ソファーに腰掛けているのは、まだ若いが妙に落ち着いた雰囲気の青年だった。仕立ての良いダークネイビーに金の刺繍のベスト、肘まで袖を折った白いシャツは、ゴールデンブロンドの髪とオリーブの肌によく似合っていた。


 透き通るようなパープルサファイアの目を細めてこちらを一瞥した。先ほどとは打って変わって笑顔の消えた、美しいのに冷たく凍りつくような視線だ。

 

「君もあれの仲間か?」


 アドリアーナは少し考える。「あれ」とは、令嬢、即ちダンス仲間のことであろう。


(ダンスとくれば、男女交友、そして夜会皆勤賞。渡りに船とはこのことだ)

 

「残念ながら違います。しかし、ダンスであれば私もお願いしたい!」

 

 アドリアーナは握手を求め右手を差し出す。彼は腕を組んで目をそらす。


「嫌だ」


 アドリアーナは考えるより先に反射的に言葉が出てしまった。


「どうして?」


 (男女交友プロジェクトの第一歩だ。逃すものか)

 

「俺のことを何も知らないのに言い寄ってくる女はうんざりだ」

 

 青年は深海のような光のない目でこちらを見て言った。


 それは図星だった。誰でもいいから友達になりたい、というのは確かに失礼だとアドリアーナもちょっと納得した。彼女が引き下がったのを見て、青年はまた目を細めてじっとこちらを観察する。そんなに視力が悪いならメガネを掛ければ良いものを。

 

「ああ、君はロッシーニ家の眠り姫か?」


 そんなあだ名がついていたのは知らなかったが、アドリアーナに間違いないであろう。

 

「私の名はアドリアーナ・ロッシーニ。あなたは?」

「ラファエロだ」

「初めまして、ラファエロ様。ひょっとしてあなたが真夏にわざわざ私と授業を一緒に受ける物好きな方ですか?」

「ああ。何か急に棘を感じるが」


 そんな話をしていたら教室のドアが開く。大量の教科書を持った男性が入ってくる。デスクに本を置き身だしなみを整える。

 

 「ふー、はじめまして。講師を務めるダミアン・ヘンドリッヒです。ゼフィーロ王国史、地政学、修辞学を担当します」

 

 メガネと前髪で目がよく見えないが、ニコッと笑った顔は優しそうで一安心だ。


「あなた様がラファエロ殿下、そしてこちらがアドリアーナ嬢ですね」


 (殿下!?)


 アドリアーナはびっくりしてラファエロを見る。ラファエロは、彼女が自分のことを誰なのか知らなかったと察したようだ。先ほどまでの態度とは変わって、右手を胸に置き落ち着きと品格のある声で言う。

 

「5年ぶりにアストリア王国から帰ってきた。我がゼフィール王国視点での歴史はなかなか学ぶ機会がなかったので、改めて勉強したい。二人ともよろしく頼む」


 ラファエロがとびきりの笑顔を見せるので、ヘンドリッヒも顔が高揚しドギマギしているようだ。「こちらこそお願いします!」と返事をする声が裏返っていいる。


 人質として隣国に送られていたゼフィール王国・第二王子が最近帰国した、という話は小耳に挟んでいた。だか、まさか一緒に勉強する仲間が王子とは知らなかった。先生とラファエロに向き直り、アドリアーナも挨拶する。

 

「私はロッシーニ侯爵の長女・アドリアーナと申します。2年間療養していましたので、久々に勉強できることを楽しみにしています」


 アドリアーナは、驚きから一転、王子様らしい考えや行動を間近で勉強できるのがとても楽しみになった。


 ◇ ◇ ◇

 

 個人授業初日は、ゼフィール王国とそれを取り巻く地政学からスタートした。中等部までは地政学を学ぶことはないので、アドリアーナにとって全ての視点が新しく、刺激を受けた。楽しすぎて、つい先生を質問攻めにしてしまったことを反省する。


 一方、ラファエロは興味がないのか、ソファに深く腰かけてクラシック音楽でも聴いているかのようにリラックスしている。ただハインリッヒ先生が質問を投げかけるとスラスラ答えていたので、知識はあるのだろう。


 (ラファエロ様はアストリアに人質として5年もいたのだから、私よりよっぽど地政学について考えたはずよね。交友関係は断られてしまったけど、是非とも彼からたくさん吸収しよう)

 

 ヘンドリッヒ先生からは早速宿題が出た。今日の議論と課題書籍を踏まえ、ゼフィール王国の外交戦略を分析するというものだ。いきなりタフな課題を投げかけてくる点、先生は結構スパルタだ。早く2年分を追いつきたいアドリアーナには、これが嬉しかった。


(もっと早く。もっと勉強しないと。王立アカデミーに入るには学年トップを目指さなきゃ間に合わない)

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