暗示者
赤目の暗示者のことは誰にも言わないまま数日たった。ロッシーニ家の書斎で文献を読み漁った結果、アストリアに赤目で精神魔法を得意とする一族がいるということはわかったが、それ以上の情報はわからない。アドリアーナは、知っていそうな人に聞くしかないと思った。
◇ ◇ ◇
昼食時のフラビオは、教室で本を読んでいることが多い。アドリアーナは他のクラスメイトが教室を出たのを待ち、彼の席の前に座る。
「フラビオ、単刀直入に聞くけど、暗示のこと教えてくれない?」
彼は読んでいた本を置き前を向く。
《なになに? 僕に興味持ってくれた?》
頬杖をついてニコッと小首を傾げる。
「暗示魔法を防ぐ方法を知りたいの」
フラビオはそれを聞いて急にムッと不貞腐れた顔になる。
《僕はアドリにそんな強引なことしないよ?》
「いや、フラビオという訳じゃなく……」
しばらく待ってもアドリアーナがそれでも言わないのを見ると、フラビオは人差し指で彼のつけているサングラスをトントンとタップする。
《サングラスは術を受ける側にも、暗示の効果を中和する効果がある。魔法を使う人間の目の色次第で効果は変わるけど》
「赤目だったら?」
怪しむように目を細めるので、アドリアーナはつい目を逸らしてしまう。こういう目で見られると、心を読まれてしまうんではないかと不安になってしまう。
《アドリ。何しようとしてるか知らないけど、僕を連れてって。精神魔法を使うのは大体ヤバいやつだから、僕がいた方が良い》
妙に説得力があるので一瞬躊躇ってしまったが、今回は誰も巻き込むわけにいかない。
「ありがとう、フラビオ。でもそんな危ないことする訳じゃないから。じゃあお昼行ってくるね!」
これ以上はボロが出てしまいそうだと思い、アドリアーナはフラビオに背を向けて立ち上がり教室を出ようと決めた。
《赤目には緑だよ》
◇ ◇ ◇
翌日の放課後、アドリアーナはX組の教室で一人待っていた。
ドアが開くと入ってきたのは、ダミアン・ヘンドリッヒだ。
「アドリアーナさん、ご相談ってなんでしょう」
アドリアーナが緑のサングラスをかけると、彼の口元がきゅっと引き締まる。それを見てアドリアーナは立ち上がると、机に手をついてダミアンを睨みつける。
「先生。2年前、先生は私に何をしたんですか?」
「……記憶が戻ったんですね?」
(先生、なんで)
アドリアーナには、この瞬間まで否定したい気持ちはあった。彼女に地政学の面白さを教えてくれた人だ。2年間の勉強ブランクに遠慮もせず、彼女に期待をかけて負荷をかけてくれた人だ。だから信じたかった。
「なんで眠らせたんですか? 記憶を消したんですか? 本当に先生が? 信じていたのに」
相手から情報を引き出さねばならないのに、質問の形をとった糾弾の言葉が止まらない。
ダミアンはアドリアーナを落ち着かせようとする。
「静かに。とにかく、ここでは話せないのでまた連絡します。それまでは誰とも話さないように」
「そんなこと信じられる訳ない」というアドリアーナの言葉も聞かずに、ダミアンは教室から出ていく。
と思ったらすぐ戻ってきて、ぐんぐんアドリアーナに近づいてくる。前髪を上げて赤目でアドリアーナの目をじっと見て暗示をかけようとしているようだ。緑色のサングラスも外された。
キーンとした静寂の後、心に赤いマグマのようなものが流れ込んでくる。
叫ぼうにも声が出ない上に体も上手く動かない。
ダミアンは、動けなくなったアドリアーナを教室前方の教師用デスクの下に移動させる。
「しばらく動けなくしましたから抵抗しても無駄ですよ。でも、しっかり聞いていなさい」
何を言っているのかわからない。何をされるのかわからない。体が動かせない、声も出せないという恐怖の中で、アドリアーナは落ち着こうと自分に言い聞かせる。
すると、ドアの開く音がする。
「おや、ヘンドリッヒ先生、ロッシーニ君見ませんでした?」
(助かった!)
入ってきたのは、今年着任したばかりのグラッシという体育教師の声だった。ヘンドリッヒは、慌てる様子もない声で答える。
「彼女はちょうど帰りましたよ。期末試験の質問を受けていたんですが、この後、王宮図書館で勉強すると言っていたかな」
(グラッシ先生! そこ言葉を信じないで。私はここにいます!)
「猿芝居はそれくらいでやめておけ、ヘンドリッヒ」
グラッシは、蛇のように絡みつく気味の悪い喋り方をする。
「アストリアのスパイが、我が国の貴族を教育するこの学校に紛れているとはなぁ。経歴が綺麗すぎて怪しいとは思っていたんだ」
アドリアーナは、「スパイ」という言葉にドキッとした。週末読んだ文献で、赤い目のダミアンがアストリア人の暗示者一族の一員である可能性は高いと思っていた。だがアストリアのスパイであるとなると、ラファエロの暗殺未遂との関連がますます現実味を帯びる。
「鬱陶しいネズミだ。2年前もお前がロッシーニの娘を逃したということは分かっている。答えろ。あの娘は記憶を戻したのか?」
「僕だったらそんなことよりも、暗殺計画が15歳の小娘に気づかれるあなたたちの情報管理の弱さを心配しますけどねぇ」
(私が暗殺計画に気付いていた?)
「記憶は戻ってませんよ。あなたたちが幻覚薬を飲ませて彼女を廃人にしようとも、私が暗示で中和していたことも知りません。ふふふ」
ダミアンは相変わらず余裕のある口調だ。だが、アドリアーナには全く話が見えない。
(グラッシ先生が私を廃人に……? ヘンドリッヒ先生が私を逃した? 何のために?)
「まあ、どっちでもいい。もう一度、口を聞けない体にすればいいだけだ」
こんな殺意を向けられたのは初めてで、ゾッとした。虫を駆除するくらいの軽さで、自分の命が語られていることに怖さと怒りが湧いた。しかし続いて聞こえた言葉に、さらに衝撃を受ける。
「ラファエロ様もアストリアに汚されてしまってお労しい。できるだけ苦しまないように消えていただくのが、あの方にもゼフィールの為にもなる」
(……!! ラファエロ様を殺そうとしている?)
「はぁ。本当にあなたたちの考え方は、気持ち悪いですね」
「何とでも言え。王子がアストリアのスパイに殺められた、なんて世間に知られたら大変だな。いよいよ戦争しかない」
グラッシの動機が全く読めない。だがまともな人間ではないことは分かった。
(早く、早くラファエロ様に伝えないと)
「僕も時間が無限にあるわけじゃないので、あなたのお喋りにずっと付き合ってられないんです。取引しましょう。でもあなたでは話にならないのでヴィラノヴァ子爵のところに連れて行ってください。私の力は、あなた達も使いたいんじゃないですか?」
「はぁあぁぁ。ことごとくバカにしやがって。まあいい。腕は認めてやる。ついて来い」
しばらくするとドアが閉まる音がした。
(先生が守ってくれた……?)
体が動くようになったのは1時間後。見えない縛りが取れたように、急に動けるようになった。
もう陽は落ち、夕陽が廊下に刺していた。教室の外の様子を伺う。誰もいないのを確認すると、アドリアーナは走って校舎の出口に向かった。
(ラファエロ様、ヘンドリッヒ先生、どうか……ご無事で)
◇ ◇ ◇
今日は学校で勉強をして帰ると伝えていたので、ロッシーニ家の馬車は待ってくれていた。
「王宮まで」というと御者は驚いていたが、アドリアーナの必至の形相に何かを感じ取ったのか、そのまま走り出してくれた。
招待もなく王宮に向かうなど、到底受け入れてもらえるわけはない。ただアドリアーナにはそれを考える暇も惜しかった。そして、あの王子なら、この状況なら非礼を受け入れてくれるに違いないという自信もあった。
王宮の門に着くと、馬車は当然停めさせられる。ラファエロとブルーノに緊急の要件とだけ伝えてもらう。門番兵は訝しい顔をするが、緊急と言われれば確認だけはせざるを得ない。
30分ほどすると、門番の号令が出る。許可が降りたようで、王宮内の応接待合室に通してもらう。
さらに20分ほど経ってようやく応接室に通された。
ラファエロとブルーノが応接室にいたのを見て、ホッとした。あったことを伝えた。
赤い目の男の話を聞きヘンドリッヒを疑った。情報を聞き出そうとしていたところグラッシが現れたこと。グラッシがアドリアーナを廃人にしようとしていたこと。彼の身に危険が迫っていること。
アドリアーナは一気にしゃべった。
ラファエロとブルーノは向かいのソファーに座り、一言も遮らず聞いている。ラファエロの顔色は青白く、表情は硬直している。ブルーノは拳を強く握っている。
アドリアーナが喋り終わったところで息をつくと、ラファエロが立ち上がり、近くの執務デスクに腰を預ける。代わってブルーノが話し始める。
「実は、我々の調査でヴィラノヴァ子爵はクロだと分かりました」
子爵は、反移民を掲げるゼフィール純血主義派閥の中心人物だった。あまり大きな勢力ではないので注目されていなかった。だが戦争を続けたい軍部過激派と結びつき、反アストリア・アライアンスを築いていたのだという。
体育教師グラッシは元々軍人で功績が認められ、準男爵の称号を与えられた男だ。
「ではグラッシは軍部過激派から、貴族学院に送り込まれていたということですね」
アドリアーナの中で色々なピースが繋がっていく。しかしラファエロを狙う理由がわからない。純血主義の勢力なら尚更。
「でもなぜラファエロ様を狙うのですか?」
「それは」と、ブルーノが説明する。
5年前のアストリア新王戴冠から両国は友好関係になり、人や物の交流が増えた。しかし、和平の担保になっているゼフィール王家の人質がアストリアで殺されたとなると、それは戦争を意味する。純血派からすると、ラファエロはアストリアに取り込まれ「汚れた」血だと思っているので、殺されても問題ない。純血派にとっても軍部過激派にとっても好都合なのだ。
「そんなことのために、ラファエロ様の命を」
アドリアーナは、絶句してしまった。一言も喋らないラファエロの方を見る。
執務デスクに腰を預けているラファエロは何かを深く考えているようだ。そして視線をこちらに向ける。腕を組んで見下ろすようにアドリアーナに問いかける。
「なぜヘンドリッヒを疑っていることを知らせなかった。なぜ一人で向かった」
「それは……」
みんなを危険に巻き込みたくなかったからだ。
「俺はそんなに頼りないか」
「違います! ラファエロ様の身に危険がおよんではいけないと思ったんです」
しかし結果は、ヘンドリッヒが連れ去られた。アドリアーナを守って。
「俺は、君一人に命をかけて守ってもらうほど、弱いのか。それとも信用できないのか」
「違います!」
(本当に違うと言えるのだろうか。信頼を裏切ったのは私だ)
沈黙が流れる。馬車での待ち時間よりさらに長く感じる。
「情報提供、ご苦労。しかと受け取った。君には護衛をつける。ブルーノ、手配を頼む」
ラファエロは事務的にそう言うと、アドリアーナに向ける瞳は冷たく光がない。
「君はもう下がってくれ。この後の調査とヘンドリッヒの捜索は全て我々が対応する。これ以上は関わらないように」
何も言えないが、動くこともできないアドリアーナ。
「まだ何かあるか、アドリアーナ嬢」
「いえ、ご配慮感謝します。くれぐれもご無事で」




