第4話 【なかった教室の残響】
ハイデル=シティ郊外、県立・霧ヶ丘高校。
春だというのに、この学校の影は、どこかだけ光を拒むように薄暗い。
そこに、ひとつの七不思議があった。
“校内図に載っていない教室がある。
放課後、ひとりで歩いているときだけ、
階段の踊り場から廊下が一本増えている”
「いや〜、普通に怖いでしょ、それ」
職員室前の廊下で、女子生徒たちがひそひそと笑う。その少し先で、星野ミオは校内図を広げていた。
「“ただの噂”って流して、後から事故るほうがダルいのよ」
教頭の遠慮がちな言葉を、軽く切る。
「ここ三年、事故も失踪もゼロ。なのに“見た”って証言だけ増えてる。はい。こういうの、一番めんどいタイプ」
図面を指でなぞる。どこにも、余分な教室はない。
「なのに全員、“同じ言い方”するんだよね」
“廊下が一本、生えてた”
ミオは、階段を見上げた。
◇◇◇
放課後、部活の音が遠ざかる時間。
校舎は、人の気配を少しずつ手放していく。
「人が多いと、出ないの」
ミオはそう言って、佐久間と二人だけで歩き出した。
「古い校舎ってさ、図面より“人の使い方”のほうが強くなるの。動線にクセがつく」
「へぇ、そう言うもんですか?また屁理屈なんじゃないですか?」
「はぁ?いやまぁ、ソースはないが…」
三階、二階。同じルートをなぞる。
何も起きない。
「ん〜、ハズレ?」
佐久間が何かを言いかけたとき。
ミオが、足を止めた。
「……ねえ、サク。ここ、こんなに暗かったっけ?」
窓の外の色が、妙に深い。
時間が、わずかに沈んでいる。
「階段に、“時間のクセ”がついてきた」
壁を見る。そこに、一本の線。
塗りつぶされた“扉の跡”。
「消したんじゃなくて、押し込めたんだね」
◇◇◇
学校の記録を見る。
古い図面には、確かにあった。
特別教室C。
だが現在の資料には存在しない。
教頭が、言いにくそうに口を開く。
「……特別支援学級の件で、問題がありまして」
差別。分断。放置。そして、統廃合。
「“なかったことにした”ってわけだ」
ミオは静かに言った。
「でもさ、人間って逆なんだよ。消したものほど、形になる…。よし、サク。夜にもう一回行くか?」
「えっ?拒否権あります?」
「い〜や!無い☆」「なら、聞かないで…」
◇◇◇
夜。完全に静まった校舎。
「このクラスだけ、人の流れが違ってたはず」
ミオは歩き出す。足音を数える。
四十二歩。……終わらない。
「十歩、余分」
同じ景色のまま、空間だけが伸びる。
振り返ると、踊り場が遠い。左の壁に、影。
昼間は“線”だったものが、今は“凹み”になっている。
「開いてる」
そこには、半分だけ開いた暗闇があった。
◇◇◇
二人は教室の中に入って行った。
「サク。腕、離さないでよ」
ミオは、一歩踏み込む。
「絶対、腕離さないで!」
「え、ちょ、待ってください先輩、距離バグってません?普通こういうの、手首とかじゃ…」
「うるさい。離したら置いてくよ」
「いや怖いのはそっちなんですけど!?っていうか、なんでそんな平然としてるんですか」
「馬鹿なの?平然としてるように見える?」
ミオは前を向いたまま、小さく笑う。
「内心、ちょいビビってるよ。だから掴ませてんの」
「……それ、逆じゃないですか普通」
「いいの。アタシが前で、サクが後ろ。それでバランス取れてんでしょ」
佐久間は一瞬だけ黙って、握る力を少し強めた。
「……じゃあ、絶対離しませんからね」
「うん。頼んだ」
空気が変わる。
古い教室の匂い。チョーク、ワックス、紙。
そこに、“誰もいない気配”だけが残っている。
黒板の端。白い粉で残された文字。
『3-∅』
ゼロ組。存在しないクラス。
机の配置が、歪んでいる。一席だけ、空白。
「最初から、“居場所が決まらなかった”」
ミオは、その空いた場所を見る。
床の色だけが、新しい。消された跡。
黒板に、かすかな傷。
“ここは なかった教室”
読めるようで、読めない。
そのとき、かすかに、椅子を引く音がした気がした。
ミオは、何も言わなかった。
◇◇◇
翌日。学校は、七不思議を“否定”した。
構造上の名残。危険区域。立入禁止。
正しい説明。正しい処理。
それでも、噂は消えない。
“中をのぞくな”“席が一つ、空いている”
◇◇◇
数週間後。
ミオと佐久間は、再び校門の前を通る。
掲示板には、新しい張り紙。
特別支援学級、再設置。
「ふふ……やっと、“ある”って言えるんだ☆」
小さく呟く。
そのとき、校舎のどこかで、、
一本多かった廊下が、静かに元に戻った気がした。
気のせいかもしれない。けれど。それでも。
“見たことがある気がする”人だけは、これからも、毎年ひとりは現れる。
なかったはずの教室を、確かに通った記憶と一緒に。
続
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